食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

イスラムの農業革命-イスラムの隆盛と食(3)

2020-10-15 23:00:44 | 第三章 中世の食の革命
イスラムの農業革命-イスラムの隆盛と食(3)
今回はイスラム帝国での農業技術の革命について見て行きます。
もともとアラブ人は農作物があまり育たない乾燥地帯で生活していました。農耕ができるのはオアシスぐらいでした。それが、広大な土地を支配することによって作物を育てることができる土地を大量に手に入れたのです。ここに科学技術の進歩が組み合わされることで、農作物の大量生産に成功するのです。

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イスラム科学が発展してゆくと、実用的な技術もイスラム社会に広く普及することになった。その一つが新しい農耕技術だ。この技術のおかげで食料生産量が増えてより多くの人口を養えるようになり、さらなる文明の繁栄をもたらすことになった。そのため、この新しい農耕技術の開発は「イスラムの農業革命」と呼ばれる。

農業革命を生み出した要因の一つが植物学の進歩だ。それぞれの農作物について、適した土壌や育てる季節、必要な水分量などが詳しく調べられた。また、接ぎ木の技術も盛んに研究された。こうして効率よく農作物を育てることができるようになった。

農業革命を起こす上で最も重要だったのが灌漑技術の進歩である。カナートの技術は古くから知られていたが、それに加えて、高い位置に水を運ぶ技術が生み出された。この技術によって、広大な土地に水を運ぶことができるようになったのだ。

これは「水汲み水車」または「ノーリア(noria)」と呼ばれるもので、垂直に立てられた車輪にバケツがくくりつけられており、車輪を回転させると水面下に入ったバケツに水が入り、高いところで用水路などに水を流し出すようになっている。中世のイスラム帝国では直径が20メートルにもなるノーリアが使われていたそうだ。また、イベリア半島のバレンシア地方にはイネを育てるためのノーリアが8000もあったという。


スペインのノーリア(Falconaumanni撮影)

ところで、水は高いところから低いところに流れるので、広い土地に効率よく水を運ぶためには、それぞれの場所の高さが詳細に分かっていないとだめだ。この点でもムスリムは優秀だった。彼らは「三角法」を用いて正確な測量を行ったのだ。三角法は三角形の角度と辺の長さを研究する数学の一分野で、ムスリムはインドからその基礎を学んでさらに発展させることで高度な三角法の理論を生み出した。

このように、数学の進歩に果たしたムスリムの役割はとても重要で、私たちが普段使っている「0, 1, 2, 3 …」のアラビア数字も、アラブ人がインドの「ゼロ」の概念を取り入れて作ったものだ。これがイベリア半島に持ち込まれ、16世紀中頃のヨーロッパで、それまで主に使われていたローマ数字に代わってアラビア数字が使用されるようになる。

ところで、このような有用な知識は広く活用されなければあまり意味がない。イスラムでは、新しく得られた知識は書物としてまとめられ、主要な都市に送られて多くの人の目に触れるようになっていた。このように新しい知識を迅速に活用する体制が整っていたのだ。

ムスリムが作り出した新しい農業技術は、イベリア半島(現代のスペイン・ポルトガル)を通してヨーロッパに導入される。ムスリムはイベリア半島の各地にノーリアを作り、集中的な灌漑設備を整えて行った。また、ヨーロッパ固有の農作物に加えて、コメ、ほうれん草、ナス、ニンジン、アーティチョーク、ザクロ、モモ、サフラン、サトウキビなどのアジア原産の農作物をイベリア半島に持ち込み、それぞれに合った土壌で栽培を行ったと言われている。また、大量の家畜も飼育されるようになった。

このような大規模な農業改革の結果、イベリア半島の食料生産性が向上し、人々の生活が豊かになったと言われている。このようにムスリムによって持ち込まれた農業技術は、現在でもスペイン農業の基礎となっている。