食の歴史 by 新谷隆史ー人類史を作った食の革命

脳と食を愛する生物学者の新谷隆史です。本ブログでは人類史の礎となった様々な食の革命について考察していきます。

ウィーン料理のはじまり(2)-近世のハプスブルク家の食の革命(3)

2021-08-16 17:44:44 | 第四章 近世の食の革命
ウィーン料理のはじまり(2)-近世のハプスブルク家の食の革命(3)
前回から近世を始まりとするウィーン料理菓子について見ていますが、今回は近世の中頃以降から影響を受けるようになったハンガリーオスマン帝国に起源がある料理についてお話します。

ハンガリーは、ヨーロッパとアジアを分けるウラル山脈が起源地とされる遊牧民族のマジャール人によって11世紀に建国されました。1240年にはモンゴル軍の侵略を受けるなどしたため、城砦や城壁を整えて防御力を高めたと言われています。

しかし14世紀になると、オスマン帝国の勢力が拡大し、ハンガリーにも侵入して来るようになりました。1526年にはオスマン帝国軍との戦いによってハンガリー王が死亡し、その後王位はハプスブルク家に移りました。そして1541年にオスマン帝国軍によってブダ(現在のブダペストの一部)が征服されると、ハンガリーの国土のうち、西部と北部はハプスブルク領となり、中央部と南部はオスマン帝国領に、そして東部はオスマン帝国寄りのトランシルヴァニア公国が支配するようになります。その結果、ハンガリーにはオスマン帝国の食文化が導入されました。

1683年にはオスマン帝国軍がオーストリアに侵攻しウィーンを包囲しましたが、ポーランド軍の活躍でこれを撃退し、それ以降はオスマン帝国の勢力が衰えて行きました。そして1699年に締結されたカルロヴィッツ条約によって、オスマン帝国が支配していたハンガリーの領土はハプスブルク家に戻されます。こうしてハンガリーに取り込まれていたオスマン帝国の食文化がハプスブルク家にもたらされることになったのです。

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代表的なハンガリー料理と言えば、パプリカを使った牛肉の煮込み料理の「グヤーシュ」だ。このグヤーシュがオーストリアに持ちこまれると人気の料理となり、「グーラッシュ(Gulasch)」と呼ばれるようになった。現代では定番のウィーン料理の一つになっている。


グーラッシュ(Bild von RitaE auf Pixabay)

パプリカはトウガラシの変異種で、トウガラシの辛みの成分であるカプサイシンを作り出せなくなっている。このため、辛味以外のトウガラシの独特の風味を楽しむことができる。ハンガリーでは主にパウダー状にしたものを料理に使う。

ハンガリー人はトウガラシを品種改良することでパプリカを生み出したが、このトウガラシはアメリカ大陸が原産地で、ポルトガル人が植民地のインドに持ちこんだものをオスマン帝国が本国に持ち帰り、さらにハンガリーに伝えたのである。

しかし、ハンガリー人は辛いものが苦手で、トウガラシ内部の隔壁と呼ばれる辛い部分を取り除いて食べていたという。そして「必要は発明の母」という通り、18世紀になって辛くない「パプリカ」を生み出したのである。

グヤーシュのグヤは牛の群れを意味しており、遊牧民だったマジャール人が宿営地で食べていた牛肉の煮込み料理が起源と言われている。グヤーシュの作り方も至ってシンプルで、牛肉を野菜と一緒にパプリカとトマトで煮込むだけだ。グーラッシュの作り方もグヤーシュとほとんど変わらない。

ハンガリーにあるパンノニア平原はウシの一大放牧地で、ここで育てられた大量のウシが国外に輸出されていた。1699年にハンガリーのほぼ全土がハプスブルク家の領土となったことから、ウィーンには大量の牛肉が持ち込まれるようになった。その結果誕生したのが、ウィンナーシュニッツェル(ウィーン風カツレツ)と並ぶ人気を誇る「ターフェルシュピッツ(Tafelspitz)」だ。これは、塊の牛肉(仔牛肉がベスト)を野菜や香辛料とともにじっくり煮込んだ料理で、食べやすい厚さにスライスされて供される。リンゴと西洋わさびで作ったソースをかけて食べることが多い。


ターフェルシュピッツ

ターフェルシュピッツは長らく庶民の料理だったが、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世(在位:1848~1916年)が大好物としたことから、高級レストランでも欠かせない料理となった。

さて、いくつかの有名なお菓子もハンガリーからオーストリアに伝えられた。その一つが「アプフェルシュトゥルーデル(Apfelstrudel)」だ。これは、シュトゥルーデルという薄い生地でリンゴを巻いて作ったアップルパイの一種で、マリア・テレジアが好んで食べていたと伝えられている。


アプフェルシュトゥルーデル(Bild von RitaE auf Pixabay)

シュトゥルーデル生地は、小麦粉に塩・卵・水を加えてよくこねた後、非常に薄く延ばして作る。この生地で詰め物を幾層にも巻いてから焼いたものをシュトゥルーデルと呼んでおり、時には肉や野菜を入れて食事の料理とすることもある。18世紀にハンガリーから伝えられたと言われている。

シュトゥルーデルの起源は、中世からアラブ地域で作られていた菓子の「バクラヴァ」と考えられている。バクラヴァの生地も、小麦粉に塩・卵・水を加えてよくこねた後、向こうが透けるくらい薄く延ばして作る。そしてこの生地を幾層にも重ねたもので、ナッツなどをはさんで焼いて菓子とする。オスマン帝国でよく食べられていた菓子であり、現代のトルコでも名物となっている。


バクラヴァ(DevanathによるPixabayからの画像)

パラチンキ(Palatschinke)」)もハンガリーからオーストリアに伝わったお菓子で、小麦粉の生地をクレープ状に焼いたものにジャムなどを包んだお菓子だ。

このお菓子の起源は、古代ギリシア・ローマ時代からある「平たいケーキ」を意味する「プラケンタ」で、ドイツや東ヨーロッパの国々でよく食べられている。オーストリアではアプリコットジャム(アンズジャム)が入ったパラチンキが人気だ。


パラチンキ(Bild von thechuk auf Pixabay)