MARUMUSHI

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【氷菓】.

2017-11-12 00:30:25 | 映画日記
アニメ版 #氷菓 を観た。

映画版から一歩も二歩も踏み込んだ作品で、京都アニメーションの代表作、あるいは最もよく出来た作品とよばれるだけのことはあるなと思った。

福部里志の言葉が突き刺さる。
”期待という言葉は簡単に使ってはいけないんだ。自分が諦めてしまったものに対して、それを持っているものにしか期待という言葉は使ってはいけないんだ”、と。
それまでの環境、あるいは生来のものとして、才能というものがある。
埋めようのない差。それを知るためには、ギリギリまで自分を追い込むしかない。ギリギリまで追い込んで、それでも圧倒的に届かないもの。それが才能だ。
折木奉太郎と福部里志の間には、推理力という名の想像力に圧倒的な開きがあった。だから里志は奉太郎に期待する。
ただ、奉太郎はその推理力の使い所を知らない。それを込み込みで利用されてしまうこともある。利用され、勝手に絶望し、勝手に捨てられる。
伊原摩耶花はもっと過酷な世界に身を置こうとしている。
漫画家になりたい。その夢のために、色々なしがらみの中を歩いている。しかも一人で。才能の無さも自覚して。

やらずにすむことはやらない。やらなくてはならないことは手短に。
それがモットーなら、彼はそれで怒ることはなかっただろう。でも、千反田えるという存在が彼を徐々に変えていった。
「千反田はそれじゃ納得しないだろう?」と彼は言い出す。
彼は千反田のために推理を始めているのだ。やらなくてすむことをやっている。
雪が降り出し、水も温んでくる頃、彼らは目前の将来を見なくてはならなくなる。
誰よりも天然で、何も考えていないような千反田えるは、あの四人の中で最も先を見て、自分の運命を受け入れて生きていることを奉太郎は知る。

あるものは夢を探し、あるものは夢を追い、あるものは漠然とした夢をいだき、あるものは自分の最後の居場所さえ見つけている。


彼らは早晩、散り散りになる。高校という場は一瞬の接点でしかない。
なりたいものになれるか、夢は叶うのか、思った通りの居場所にいるのか。それはわからない。
夢は叶えるためにある、という言葉があるけれど、僕はそうは思わない。
夢は叶わなくても良い。それを目指し、挫折することで夢をかなえるよりもずっと深い人生を得られると思う。

screamには、叫ぶ以外にキャッキャと笑い声を上げる、という意味がある。
”氷菓”は嘆き苦しみ絶望を表すだけの言葉ではないのではない。
当然苦しみはある。でも、そこで笑いながらすごすこともある。
”氷菓”、それはちょっとビターで、甘いひととき。灰色で居続けることは難しいのかもしれない。


2017年11月11日のつぶやき

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