#ひかりのたび #dream of illumination #ひかり
『ひかりのたび -dream of illumination-』を観てきた。
光は色々なものを映し出す。
映し出されるものは、その角度で色々な表情を見せる。
カッコイイ、カッコ悪い。優しい、怖い。かわいい、不細工。
どんな風に光を受けても物事が一刀両断で分けられれば楽だけれど、実際はそうじゃない。
善だけど悪。悪だけれど善。光の当たり方で人はコロコロと変わる。どっちが本物か?いや、どっちも本物じゃない。そもそも人に本物も偽物もない。ひかりの当たり方次第だ。
不動産ブローカーを父に持つ女子高生。彼女は父の仕事の業の深さを彼女なりに理解し、彼女なりにそれが自身に同影響するかも理解している。
父は良い人でも悪い人でもない。
娘を思い、全力で守ろうとする。幸せを願う。父ならば不自然なことじゃない。
でも、彼のやっている仕事は敵を増やす。街中を敵にするかもしれない。
田舎に行けば行くほど、町は閉鎖的になる。外から来た者はやはりよそ者とみられてしまう。父はそれの町を巧妙なやり方で切り売りする。海外のブローカーにも。そのやり方を町の人間はどうしても認められない。「代々守ってきた土地」という考え方があるからだ。でも、閉じた町を開き、町を再開発することも1つの考え方だ。どっちが良いとか悪いとかではない。ひかりのあたりかた次第で変わるのだ。
僕は思う。
町の有り様なんて、あるべき形に、あるべきようにしかならないのではないか、と。
ブローカーがどんなに頑張ろうが、町長がどんなに頑張ろうが、結局町の形はあるべきようにしかならないのだ。不動産ブローカーとしてそのことを知っていて、町長はそのことを認められない。それだけのことなんじゃないだろうか。
だから、机を拳で叩き呪うように声を搾る町長の姿に、不動産ブローカーはこういうのだ。
「大丈夫ですよ」と。
あなたが思うほど、悪い状況にはならない。
そして、わたしが思うほど、わたしは世界のことを知らない。
限定された場所にだけひかりは当たっている。わたしたちが見ているものは狭い範囲でしか物事を見ることは出来ないのだ。
だから、大丈夫ですよ。
町のレストラン。そこでバイトする娘の姿を、ぼんやりと眺めながら眠ってしまった父。
ふと目覚めた父は、水の入ったコップをひっくり返してしまう。あわてる父。
それを見て笑う娘。滑稽なものを見たという笑顔。
その姿を見て笑う父。
女子高生でもブローカーでもない二人の姿。
娘と父。それをはっきりと浮かび上がらせるひかり。
Dream of illumination
父が娘に見た光。これからもずっと続く、ひかりのたび。
全編モノクロという思いきった手法。
この作品に色はいらない。色という情報はむしろ邪魔になる。光と影があればそれでいい。
志田彩良の年の割には達観した考え方と同時に年齢相応の魂の揺らぎの表現が観ていて純粋さを感じる。
高川裕也は、慇懃無礼とも言える態度やフリをする態度。仕事をゲームと割り切っているような大人の気味の悪さが上手い。
舞台挨拶では、高川裕也さんは面白いオジサンです。悪い人ではない(とおもいます)。
澤田サンダー監督は多分シャイです。ずっと高川さんの顔を見て喋ってたのが印象的でした。
『ひかりのたび -dream of illumination-』を観てきた。
光は色々なものを映し出す。
映し出されるものは、その角度で色々な表情を見せる。
カッコイイ、カッコ悪い。優しい、怖い。かわいい、不細工。
どんな風に光を受けても物事が一刀両断で分けられれば楽だけれど、実際はそうじゃない。
善だけど悪。悪だけれど善。光の当たり方で人はコロコロと変わる。どっちが本物か?いや、どっちも本物じゃない。そもそも人に本物も偽物もない。ひかりの当たり方次第だ。
不動産ブローカーを父に持つ女子高生。彼女は父の仕事の業の深さを彼女なりに理解し、彼女なりにそれが自身に同影響するかも理解している。
父は良い人でも悪い人でもない。
娘を思い、全力で守ろうとする。幸せを願う。父ならば不自然なことじゃない。
でも、彼のやっている仕事は敵を増やす。街中を敵にするかもしれない。
田舎に行けば行くほど、町は閉鎖的になる。外から来た者はやはりよそ者とみられてしまう。父はそれの町を巧妙なやり方で切り売りする。海外のブローカーにも。そのやり方を町の人間はどうしても認められない。「代々守ってきた土地」という考え方があるからだ。でも、閉じた町を開き、町を再開発することも1つの考え方だ。どっちが良いとか悪いとかではない。ひかりのあたりかた次第で変わるのだ。
僕は思う。
町の有り様なんて、あるべき形に、あるべきようにしかならないのではないか、と。
ブローカーがどんなに頑張ろうが、町長がどんなに頑張ろうが、結局町の形はあるべきようにしかならないのだ。不動産ブローカーとしてそのことを知っていて、町長はそのことを認められない。それだけのことなんじゃないだろうか。
だから、机を拳で叩き呪うように声を搾る町長の姿に、不動産ブローカーはこういうのだ。
「大丈夫ですよ」と。
あなたが思うほど、悪い状況にはならない。
そして、わたしが思うほど、わたしは世界のことを知らない。
限定された場所にだけひかりは当たっている。わたしたちが見ているものは狭い範囲でしか物事を見ることは出来ないのだ。
だから、大丈夫ですよ。
町のレストラン。そこでバイトする娘の姿を、ぼんやりと眺めながら眠ってしまった父。
ふと目覚めた父は、水の入ったコップをひっくり返してしまう。あわてる父。
それを見て笑う娘。滑稽なものを見たという笑顔。
その姿を見て笑う父。
女子高生でもブローカーでもない二人の姿。
娘と父。それをはっきりと浮かび上がらせるひかり。
Dream of illumination
父が娘に見た光。これからもずっと続く、ひかりのたび。
全編モノクロという思いきった手法。
この作品に色はいらない。色という情報はむしろ邪魔になる。光と影があればそれでいい。
志田彩良の年の割には達観した考え方と同時に年齢相応の魂の揺らぎの表現が観ていて純粋さを感じる。
高川裕也は、慇懃無礼とも言える態度やフリをする態度。仕事をゲームと割り切っているような大人の気味の悪さが上手い。
舞台挨拶では、高川裕也さんは面白いオジサンです。悪い人ではない(とおもいます)。
澤田サンダー監督は多分シャイです。ずっと高川さんの顔を見て喋ってたのが印象的でした。