熟年夫婦のケチケチ旅日記

後期高齢者の仲間入り。これからも日々何か楽しいことや、感動することを見つけて、前進していきたいです。

もう一つの潜没橋(恋路橋)

2006-11-03 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記
国道163を、南大河原附近の木津川に掛る潜没橋は恋路橋と、言うらしい、
なぜこの名前が付いたのかしら?
この橋を渡って進むと、恋志谷神社と天満宮と言う神社に突き当たります。

恋志谷姫神は、後醍醐天皇の側室で、後醍醐天皇は、笠置の戦いで破れ、壱岐に流されました。其の時姫は病を直すため伊勢にいました、やっと病も治り南大河原の地まで帰り着いたとき、後醍醐天皇は、壱岐に流されたと聞き、あまりの悲しさに、自らの命を絶ったとのことです。

江戸末期には渡し舟があったとか、後醍醐天皇はどのようにして、この川を渡ったのでしょうね、どちらにしても、なんだか切ないですね。

神社の石の鳥居は、柳生宗矩が愛した、この地に建つ二つの神社の改築に当り、天保4年柳生宗冬が石の鳥居を建立したとのことです。

この地・南大河原も、元柳生藩の領地だったようです。

布目川の甌穴郡

2006-11-03 | リタイヤ夫婦のケチケチ旅日記
10月31日に、飛鳥路街道を通って飛鳥路村に行きましたが、そのとき立ち寄ることができなかった、天照御門神社と布目川に出来た、甌穴(おうけつ)郡を見に再度飛鳥路に行って来ました。

国道163から潜没橋を渡り又狭い村内の道を進むと、左山側に天照御門神社が鎮座されていました、其の向いには、東明寺が、在りました。

布目橋から下流に少し行ったところに甌穴郡が見られます。
甌穴とは、(案内板より)
円筒形をした美しい代表的な甌穴は河底のくぼみに、うずまき流が生じ中に落ち込んだ小石が回転しながら河床を深く削って出来たものである。この辺りの河床は非常に堅い花崗岩で成り立ち、このような所に出来るものは珍しく、穴が出来るまでには数十年から数百年かかるものと推定されています。地元では、この甌穴を九つ壺と呼んで親しんでいます。

深く掘られた円形の穴には、推量の少ない今は、水がたまっていました。