① 価値/価格 が高い低価格路線の飲食店
② 大商圏型の飲食店(専門店)
③ ライフスタイルを提案する飲食店
「コンサルタントは信用するな!」
上記は、某有名コンサルタント会社の主軸スタッフのブログにあった
“今後の飲食店の在り方” として有望であろうと挙げられていた3業態です。
これは否定しません。ただし、今の世間情勢やここ数年の飲食業界の流れを
観察していれば、誰でも行き当たる “考え得る業態” だと言っておきます。
( ・・・ そやから、頭デッカチのコンサルタントは嫌いやねん! )
世の中の流れを一纏めで括って、「正解」 としてしまう危うさがあります。そして、
こうした内容に世の中のミーちゃんとハーちゃん(何と古い表現か!)は、大きく
影響されるのです。いわゆる “時代の潮流に乗る(乗りたい)” というやつです。
( ミーちゃんもハーちゃんも、もっとオリジナリティーを持とうぜ! )
しかし、少し考えればわかるのですが、大手の大型飲食店と個人の小さな飲食店が
同じ土俵で闘えるわけはなく(闘う必要もなく)、このような視点で新業態開発やリノ
ベーションをしてしまえば失敗する確率が上がります。良かれと思って進めた施策が
現実(その店舗がサプライできる範囲と顧客ニーズが重なる部分)から懸け離れた
ものとなってしまい、取り返しのつかないことになりかねません。
( 自身の器を知れ!と言っているのではなく、自身の器を自身で強化しろ!です。 )
「分母と分子」
① の分母の 「価格」 に対する認識には、そう大きな差は無いはずです。公共や
交通機関の料金などをベースにすれば、500円や1万円といった貨幣が持っている
値打ちの認識はできるということです。しかし反対に、分子の 「価値」 に関しては、
人によって認識に隔たりがあり、その認識を共有することは非常に難しいものです。
( 高速道路の通行料700円は高い?安い?飛行機のファーストクラスは ・・・ ??? )
今の時代、個々が持っている 「価値観」 が大きく違うことは明らかです。だから
こそ、私はこの 「価格」 を常に分母としている最近の見方に疑問を感じるのです。
“時代のニーズは ・・・” と語っている人ほど、常に 「価格」 を分母に置いている ・・・
私の認識では完全に逆です。 ( 離婚が増えているのも 「価値観」 の違い?
なぜ最初に共有しない? そして、なぜ日々更新しない? 毎日、分母を更新しろ! )
客単価5,000円ラインの飲食店(実際の支払も5,000円の場合)で、来店顧客が
5,000円の価値を感じれば、良い(満足できる)お店として認識されて、それ以上の
価値を提供できれば感動さえ生むという発想です。もちろん、間違いではありません。
間違いはその先です。
( コンサルや識者が本を売る為には格好のテーマなのでしょうが ・・・ )
店側は、分母を上回る分子の創造に集中します。要は、商品やサービスの売価と
同時に対価であるはずの価格が先なのです。そして、そのベース(分母)は動かない
動かさないのです。その一般的な認識だけを頼りに分子を積み上げていく ・・・
危ないです。わかりやすく言えば、5,000円の満足感を作る為に何が必要かを考える
ということです。もっと砕いて言えば、どうすれば5,000円取れるかという発想です。
まあ、そこまでないとしても、何をプラスすれば客(売上)が増えるかという視点です。
( これでは価値観がブレまくる。「飲食」 というフィールドをシンプルに見直せ! )
元来、モノづくりや人と人との関わりが基本であった 「食」 の世界も、ビジネスという
商取引のみがベースとなって再構築されつつあります。そして、その手腕のみが
業界でも評価され崇拝されています。特に若い世代ほど、そこにしか目指すべき
ものがないかのような視野の狭さで日々エネルギーを消費しています。一人の人間
として寂しい限りです。( 皆が同じ方向を見ていると、人の横顔と後姿しか見えない。
先頭の人間にはそれすら見えない。いや、見ようとしていない ・・・ )
分母と分子を入れ替えれば、素直に業界(ひいては人生)を楽しめるのに ・・・
もちろん私の持論(自論)です。自身(自店)の持ち得るポテンシャルを分母に置き、
価値共有できるスタッフで顧客を募り、その対価を価格(分子)として頂くという発想
です。上記のビジネス発想とは逆で、分子を大きくすれば評価は下がります。逆に
分子が小さくなれば、“安くてええ店やねぇ!” という評価になるということです。
全ての基本(ベース)は、提供する(提供したい)商品や接客サービスも含めた
「店舗価値(分母)」 なのです。( 素直に 「価値」 を高める努力をしようや! )
勝手に分子が大きくなることはありません。なぜなら、自身の(自店)の持っている
ポテンシャルや発揮できるパフォーマンスをちゃんと自己認識できていれば、それに
見合う対価しか頂かない(頂けない)からです。勘違いが起こると困りますので補足
しておきますが、美味しいから高価格、高級だから高単価となるとは限りません。
常に 「価値」 がベースになるということは、同じ素材で同じ味付け同じポーションの
料理でも、店(客)によって価値表現(評価)は違うということです。いや、違うべきだ
ということです。そうでないと、世の中の飲食店がみな同じ価値になってしまいます。
まず、店側が一般的な評価基準でモノを考えて商売をしないことです。
( 数字ばかり合わせようとするな!でないと、自分にそのまま返ってくるぞ! )
もう一つ、あるとすれば、「付加価値」 という厄介な価値です。ビジネス目線では
この付加価値までもが価格に反映されます。近年、付加価値を付けて価格(売価)
を押し上げるということが当たり前になっていることも事実です。顧客(消費者)は、
それを受け入れた上で 「価値判断」 しなければならないのです。非常に複雑な
気持ちにもなり疲れる要素でもあります。特に、流行りのお店や高級店でこの傾向
は顕著ですので、顧客(消費者)の中には、家に帰った瞬間、開放感を感じるという
可笑しげな現象まで誘発している飲食店すらあるという事態です。
( “ゆっくりおくつろぎください” という場所の何%で本当にくつろげただろうか ・・・ )
「付加価値」 は、経済界では生産や流通過程で新たに生み出された価値のことを
意味するのですが、飲食業界では、“無理に生み出す” も含まれているような気が
します。そして何より、顧客(消費者)がその施設(お店等)の空間での時間の中で、
新たに感じた価値(期待していた価値とは違う別の要素)を指すものであって、店側
が無理に付けたり、初めから価格に反映させたりすべきものではないと私は考えて
います。特に、“腹を満たすだけの食以外の食(楽しませる場)を提供しているお店”
では、“全てを 「価値」” として分母に置くべきだと私は考えます。でないと、業界が
必ず衰退します。( プロなら、もっとプロらしい 「価値」 の提供をしてほしい! )
また、話が長くなってしまいました。② と ③ は次回ということで ・・・
「二升五合」
世の中、結構良い店は増えたと思う
しかし、本当に魅力ある店は増えているのか
街には個性とは名ばかりの似通った店が乱立し
自身のカラーを叩き売りする店すら現れている
飲食店はどこに向かうのだろうか ・・・
第五大成丸