ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
以前のブログ名:和色ムーブメント

「R250」 から繋がる景色

2008年08月18日 | こんたく堵


帰省して自由に行動できる時間があれば、
私は家族とは別行動で出向く場所が数ヶ所あります。
「R250」 から行ける数ヶ所の港(港湾)や海岸線です。





今回の帰省は一泊二日だったので、
単独で自由に行動できる時間はありません。仕方なく、家族も連れて ・・・

今思えば、
子どもたちが小さい頃は、実家を拠点としてあちらへこちらへとよく遊びに行った
ものでしたが、ここ数年はほとんど同じパターンで数日を実家で過ごすだけの
帰省になっていました。子どもたちにとっては、楽しみというより家族の半強制な
参加行事として捉えるようになってきていたようです。

元々、
私はアウトドアが好きではなく、山や川へキャンプに行くという習慣もなく、一日中
海で仕事をしていた家業の影響なのか、夏になっても海に行きたいとも思わず、
子どもたちを海水浴にもほとんど連れて行ってやらなかったことに気づきました。

私が子どもの頃、
親父の仕事関係を中心に、親戚も含め大人数でバスをチャーターして、季節に
応じて、松茸狩りに栗拾い、梨狩りや葡萄狩り、花見に温泉 ・・・ などなど
あちこち連れて行ってもらったものでした。ただ、子どもの頃、酔っ払いの大人が
嫌いで、身内が団体で動いて盛り上がることに少しトラウマもあります。

その中で、
毎年、親父の船で写真にある 「家島諸島」 へ海水浴に出掛けたことは今では
大きな想い出です。( 今は海上保安庁がうるさいので無理ですが ・・・ )
おふくろたちがこれでもかというほど沢山作った弁当とビールやジュースを積み
出発します。麦藁帽子を被り、大人はなぜか皆、白いシャツに黒いサングラスを
掛けているのです。( これは昭和なイメージでしょうか ・・・ )

私は毎年、
その海水浴に一人二人友達を誘います。たぶん、その友達も未だに非日常な
想い出として脳裏に残っているはずです。船の舳先から海に何度も飛び込み
日が傾くまで遊んだことを ・・・ 。

実家が
「釣具屋」 の友達がいました。( 今も地元で親父さんの後を継いで釣具屋経営 )
その釣具屋の主催で毎年、大きな船をチャーターして一泊の釣り大会が行われ
ていました。その友達が私を誘ってくれたので何度か連れて行ってもらいました。
正直、釣りは好きではありません。どうも性分に合いません。ただ、その友達とは
波長が合い、親父さんとも話が合いましたので、一緒に過ごすことが楽しかった
記憶が残っています。( 釣りの好きな人の気持ちが少し解ったような ・・・ )

人間関係には
“波長” という感覚、たぶん、それぞれの価値観の確認が大きく影響を与えている
のではないでしょうか。それはお互いの好き嫌いだけではなく、自己主張や相手の
気持ちを汲むという人間としてのコミュニケーション能力にも波及しているような
気がします。子どもの頃に、できるだけその活動を活発にしておくことは重要だと
感じます。( 偏った人間関係が偏った人間性をつくってしまうのかも ・・・ )

家島諸島の写真は、
赤穂御崎に近い海岸線から撮りました。家族を連れて赤穂までドライブに ・・・
予約ができなかったナポリピザで有名な 「SAKURAGUMI」 に “ひょっとして” を
期待して行ってみましたが、あっさり断られました。( 次回、もっと早く予約を! )
仕方なく、坂越にある 「海の駅 しおさい市場」 へ向かいました。ここは、家業の
港湾工事で毎日仕事に来ていたところなので地元感覚です。埋め立てて綺麗に
整備された港を見ると、冬の寒い時期に親父と一緒に仕事した想い出が蘇ります。

さて、
子どもたちにはこのルートどう見えたのでしょうか?
海が見えて景色の良いドライブコース、という印象しかなかったかもしれません。
街では駅前の表情が変われば、街自体の印象は変わります。道沿いにあった
お店が変われば、街に集まる人の層も多少変わります。港や海岸線も同じです。
私はその変化の確認の為に、時間が許す限りクルマを走らせたいと思うのです。
街で街の変化を視るように ・・・



■ こんたく堵 ■

今、自分が辿っている道は
昔、誰かが切り開いて歩いた道だ
という感覚を常に持ちたい

一人では何もできないのだから ・・・

第五大成丸



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