ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

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まさに 「灯台下暗し」

2008年08月17日 | 街的興趣


書写山から姫路市街を見渡して ・・・





私が高校卒業まで住んでいた街。もう大阪の方が長くなってしまいましたが、
この街には実家があり、親兄弟や親戚、友人知人もたくさん住んでいます。

今回の帰省は一泊二日。
“行ったことないとこ行こうや!” と末娘が一言。確かに、ここ最近は帰省しても
ワンパターンな日程で済ませていました。特に、一泊二日だとそうなります。
ちょっとヘンですが、本屋で一般旅行者のように街の情報誌を家族で漁ります。

それでも、
新しい飲食店の情報は新鮮であり実質的に役立ちます。しかし、この街には
遊べるところがありません。“無い” と言うと語弊がありますが、“遊びに行きたい”
ところが無いのです。もっと言えば、“連れて行きたい” ところが少ないのです。

ただ、
誇れる場所がない訳ではありません。世界文化遺産ともなった国宝姫路城は
誰に言っても否定されることはありません。しかし、子どもが何度もリピートしたい
場所ではありません。サファリパークや動物園、水族館などの施設に行けば
一日楽しく遊べます。が、“この街へ来てわざわざ○○○” という範疇で捉えれば、
行くたびに満足感・満足度は低下してしまいます。

家族が言います。
“ 東京ディズニーランドみたいな遊園地があれば ・・・ ”
“ 北海道の旭山動物園のような動物園を造ったらええのに ・・・ ”
“ 沖縄の美ら海水族館みたいな水族館やったら行ってみたい ・・・ ”
と。たしかにオッサンの私でもそう思います。が、そう簡単にはいきませんよね。

結局、
需要側の言い分を供給側が丸飲みできるかといえば、それは難しい相談です。
ましてや、自治体が主体となれば ・・・ 。街(都会)に住んでいると、大体の欲求は
満たされるものです。供給側は採算ベースを持ちつつも、どこまで満たすべきかを
計りながら進めることができます。鬩ぎ合いはあるにせよ、持ちつ持たれつの関係
で成り立ちます。しかし、そこには甘えも生まれます。

ですから、
地方が都市部に劣等感さえ持たなければ、北海道の動物園や沖縄の水族館の
ような発想が生まれる可能性はあります。都会では出し得ない存在感も示せる
かもしれません。そうした地方の存在感はその街自体の存在意義に他なりません。
いかに “どんな街にしたいか(するのか)” を誰かが持つかどうかだと考えます。

この街の最大の問題は、
大きな都会でもなく、辺鄙な田舎でもない、中途半端なロケーションの街だと
いうことです。歴史含め育むべきものと未来へ向けて創造すべきもののバランス
が取れていません。また、バランスを取ろうとする者を支援するような街質もあり
ません。“何かできることはないのか?” と、ふと考えている自分に気づいた時、
歳相応かもしれませんが、これまで自身の成り立ちに関わった街や人に対して、
自分なりに思慮することは無意味ではないと思えるようになり、この街の問題点が
これまで自己中心的な思慮を繰り返してきた自分自身とクロスオーバーします。

写真は、
ハリウッド映画 「ラストサムライ」(主演:トム・クルーズ) のロケ地にもなった
「書写山」 からの眺望です。それこそ、あの姫路城の天守閣には何度か登って
いますが、この書写山には行ったことすらありませんでした。家族もお初でした。
康保3年(966) 性空上人によって開かれ、比叡山と同じ天台宗の修行道場である
お寺 「天台宗別格本山 書山圓教寺」 があります。本当に恥ずかしい話ですが、
私自身、正式な名前を初めて知りました。

今回、
拝観を目的に来たわけでなく、ラストサムライの撮影が行われた場所が見れたら
・・・ と、麓から出ているロープウェイに乗ってみたい、という軽い気持ちで上がって
来ましたので、志納所の前まで行って、そこそこ大きな(広い)敷地であることと、
ロケ現場であった「護法堂拝殿」 と 「開山堂」 という施設が、その敷地の一番奥
の方にあるということが判明 ・・・ 即座にUターンして展望台へ向かいました。
( また、改めて拝観に来たいと思います )

たぶん、
この市街地の景色を上層から見たのは初めてです。 Google で見る航空写真より
やはり “実物” がいいものです。“こんな地形やったんや!” 灯台下暗しです。
ここに来る車中での事、子どもたちから “この標識にある地名何て読むん?” と
何ヶ所かで質問されました。ほとんど答えられたのですが、私も知らない地名が
数ヶ所ありました。大阪は読み方の難しい地名がたくさんあることで有名ですが、
地方でも難しい地名はあるものです。しかし、それが自身の育った街にあるにも
関わらず、まったく “知らない” というのはやはりちょっと恥ずかしいものです。

自身が
生まれた街、育った街、住んでいる街くらいは “知るべき” だと感じた一日でした。



■ 街的興趣 ■

人 道 街
人なり 道なり 街なり
人なりに 道なりに 街なりに
興味を持たなければただの言葉
興味を持てば興趣が増すだろう

第五大成丸



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