ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

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このお店から始まった [後編]

2008年05月01日 | 昭和懐古


[前編] で、“カフェ&バー(Cafe & Bar)” と紹介しましたが、
実際は、“カフェ&レストラン(Cafe & Restaurant)” でした。
今風に云えば、“ダイナー(Diner)” がより近いかもしれません。





朝一から夕方(4時~5時頃迄)が、私の基本就業時間だったと記憶しています。
「モーニング」 「ランチ」 「アイドル」 「ディナー」 と営業タイムは流れて ・・・
とにかく毎日、ありえないほど忙しいお店でした。昔ながらの喫茶店(1フロア)を
改装(2フロア)して、客席を増やして業態拡大を行なった結果、お客様はもちろん、
スタッフも3倍以上に増えていったのではないでしょうか。3毛作の業態は、現場
スタッフに予想以上の負担を掛けていました。皆、ギブアップ寸前でした。
特に、M元チーフはほとんど休憩をする暇もありませんでした。

私がお店に入ってから1ヶ月の間に、何人もの新しいスタッフが入店してきました。
しかし、忙しさとしんどさに勝てず辞めていくスタッフが後を絶たず、スタッフ不足の
解消はなかなかできませんでした。そのせいもあって、私はモーニングからディナー
まで仕事をすることが増えていきました。さすがに、20時間労働が続くとキツイ
ものはありましたが、若かったことと新しいことへの好奇心があったこと、そして、
何よりもM元チーフと数人のスタッフへの興味が大きく、嫌になることはありません
でした。まあそれより、その状況を少しでも自分が手伝えれば ・・・ という思いで
日々前向きに過ごしていたことが昨日のようです。

私は飲食店の基本をこの店で学んだのですが、
今、振り返れば、当時は閉鎖的な業界で、料理にしろ、サービスにしろ、ましてや
管理などの経営的な手法においても、これといったバイブルもなく、情報不足で
現場の職人やスタッフは、何年も掛けて先輩の技や考え方、お店のやり方を
盗んで自分のものにするしかない時代でした。そのいう時代に、M元チーフは、
自身が数年掛かって会得した技や味付けをいとも簡単に後輩の私たちに教えて
くれました。今考えれば、たぶん “何でこんなヤツらに ・・・” と感じることもあったと
思うのですが、そういう素振りを一切見せず、私たちとフレンドリーに付き合って
くれた本当に優しいチーフでした。

仕事の基本やスキルも日々得ることができましたが、それ以上に、社会人として
業界人として必要な資質のようなものもチーフからは貰っていた気がします。
チーフ本人にタメ口っぽく喋ったり冗談を言っても、笑って流してくれるのですが、
チーフ以外の年長者や立場が上の人に対してそれをやると、大きな声を出して
真剣に怒られました。それから、後輩の面倒はとことん見るという姿勢があり、
目配せや気配せ、アフターケアは徹底していました。

チーフは毎日、仕事を知らない(できない)私たちの動きや組み立てを見ています。
次の日、私が厨房に入ると、物の位置や調理器具の様子が前日とは明らかに
変わっています。包丁、まな板、フライパンが光っています。ボールや鍋、保存容器
が一糸乱れず棚に並んでいます。その日使うであろうラップ・アルミホイル・ゴミ袋が
すぐに使えるように配置されています。よく見れば、シンクもゴミ箱もピカピカです。
そう言えば、更衣室も整理整頓されていてゴミ一つ落ちていませんでした。
完璧でした。全てチーフが前日やって帰ったのです。後輩(部下)の私からすれば、
“チーフがここまでやるか ・・・” と感じました。当然、その日から後輩の私たちの
動きや考えはガラッと変わりました。チーフは何も言わず人を動かしたのです。

M元チーフとのエピソードは尽きません。( また 「続編」 で ・・・ )
このお店には約1年強在籍していたと思います。その後、チーフに付いて3軒ほど
店舗を回りました。飲食業界で云う、「親(オヤジ)」 と 「子(子飼い)」 の関係で、
私にとっては最初のオヤジで最高のおやっさんでした。


「昭和懐古」

急ぎまくり ・・・ 焦りまくり ・・・
簡単な良し悪しの判断さえも
間違えてしまうような青春真っ只中を
“昭和” という時代の中で過ごしていた。

第五大成丸



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