ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
以前のブログ名:和色ムーブメント

大人に問題が ・・・

2008年08月25日 | こんたく堵


嫁さんは仕事、
昼飯を作って食べるのが面倒になり、娘二人を誘い千里中央へ
ランチのついでに買い物 ・・・・・ いや、買い物のついでにランチ ・・・・・
まあ、どちらでもいいのですが、とりあえず出掛けました。





広場では、
「第9回こいや祭り」 とやらで、たくさんの若者が色とりどりの衣装を纏って元気
一杯に踊っています。それぞれのチームでメンバー構成も衣装も踊りも違います。
また、チームごとにテーマやコンセプトを持って踊りに取り組んでいるようです。

そう言えば、
ゴールデンウィークに兵庫県高砂市の商業施設(ショッピングセンター)でも
こうした祭りに遭遇しました。若者を中心に “踊りたい!” が増えているのだ
と思います。少し視点を変えれば、“どこかで、何かで、発散したい ・・・ ” と
いうことかもしれません。自己表現とまでは言えませんが、自己確認をしたい
という表れであったり、同じ価値観の仲間探しなのかもしれません。

仲間と踊ることで、
「楽しくなる」 「スカッとする」 という感覚を共有しようとしているのだと思います。
一生懸命に踊って汗している姿、少し緊張しながらも笑顔が溢れ楽しんでいる
若者の様子は、なかなかエエもんです。それに比べうちの冷めた娘たちは ・・・
結局、私は1時間余り一人で踊りを見ていました。
( 私は意外とこんな若いヤツらが好きです )





ちょっと驚いたことが ・・・
この踊りに参加していたあるチーム(大人数のグループ)の若者たちは、自分たち
の出番が終わって帰る際、エスカレーターを使わず、階段の端っこを一列になって、
他の人の迷惑にならないように静かに地下鉄の改札まで行儀よく進んで行った
のです。ただそれだけのことなのですが、当たり前のことが当たり前でなくなった
今の時代に “これはどうしたことか ・・・ ?” と、少し嬉しい戸惑いを覚えました。

たぶん今の時代、
親や学校の先生が “一列になって歩きなさい” “静かに迷惑の掛からないように”
と言っても聞かない子どもが多いはずです。小学校や中学校では完全に学校崩壊
になっているところもあると聞きます。親(先生)と子ども(生徒)には、お互いの
言い分があり、どうしても、それぞれの立場からの正論を持ち出し、衝突してしまい
ます。最終的には、子ども(生徒)が悪いと言わないまでも、親(先生)は 「大人」
という冠を翳して “正しい” を押し通すことが多いものです。子どもには 「子ども」
という冠しかなく、負かされることが多いものです。その不平不満を発散しきれず
ストレスとなり、そのうち ・・・

逆に今の時代、
子ども(生徒)が親(先生)を理解できる環境になれば、自分たちの “正しい” を
自分たちでちゃんと作れる能力は、大人(親や先生)より絶対に上だと思います。
もちろん、それを実践し高めていくパワーとスピードも上でしょう。もっと大人が
若者を信用してやるべきですし、もっとそれぞれを認めてやるべきなのでしょうね。
この部分は私も大人(親)として反省しきりです。どこかに “まだまだ子どもやから
解ってない” と勝手に決めつけているところがあるような気がします。意外と
子どもの親離れを望んでいるような言い方をしながら、実は、親が子離れできない
部分が多くの親にはあるのかもしれませんね。

ランチに話を戻します。
お蕎麦屋さんで娘たちと食べている時、二つ隣の席に家族4人が座りました。
お父さんとお母さんと子ども(小学校低学年の女の子と幼稚園くらいの男の子)
でした。ごく普通の家族です。しかし、食べ物を注文している時から、両親は
それぞれ自分の携帯電話を触っているのです(たぶんメールの打ち込み)。
結局、料理が運ばれてくるまで両親ともに子どもとは一言も会話をせず、向かい
合っているお互いとも目を合してなかったように思います。しかし、夫婦が喧嘩を
している様子でもありません。その光景が非常に不自然で、同じ子を持つ親
として何とも不安で、大人としてこの上なく不快でした。

数年後を想像すると、
あの子どもたちも自分の携帯電話を持つようになり、家族4人で出掛けても
それぞれの携帯電話だけを見て、それぞれ他人のように時間を過ごすのです。
家族って何なのでしょう ・・・ ? 親って ・・・ ? 子どもって ・・・ ?
やはり、最初の責任は ・・・ 「大人(親や先生)」 にあったのではないでしょうか。

今日、
私が見た若者たちの笑顔があの若者たちの本当に素直な笑顔だとすれば、
その同じ笑顔を自分の親や先生に日頃見せている若者は何人いるのだろう?
と、ふと思いながら踊りを見ていた私自身、親として、大人としての在り方を
再考すべきなのだろうと深く反省をした一日となりました。



■ こんたく堵 ■

何かに縋り
何処かに逃避しているのは
子たちではなく大人たちだろう
「子は親を映す鏡」 でなく
「子は親そのもの」 である

子は
親を正面から見てマネしているのではない
子は
親の後姿を素直ににコピーしているだけ

親は
それに気づかず子の足りないを指摘する
親は
自分で自分の足りないを指摘しているのだ

要は
親と子は鏡のように左右反対ではなく
同じ方向を向いている左右対称なのである
親が右手を上げれば子も右手を上げる
そのまんま!なのである

第五大成丸



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