ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

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聖夜のイルミネーション

2007年12月25日 | 街的興趣


大阪人は “大阪らしさ” を気する傾向があったりする
というより、そう見られることに対して嫌な気はしないという
一種独特のヘンな県民性(府民性)を持っている気がする。





とある店先にあったこの 「ブラックファイバーツリー」 が余りにも綺麗だった
ので勝手に撮影させて頂きました。場所は大阪の大人な街 「北新地」 。
確かに、“らしい” と言えば “らしい” のですが、ここは銀座でも六本木でも
歌舞伎町でもございません。天下の大阪北新地でしょう!“なんで大阪らしさが
出せへんのやろ?ちぃーと、大阪らしさが欠如してるのとちゃうの!” と感じた
私は無理を申しているのでしょうか ・・・ ???

“大人が楽しめる街” である前に、“大人を楽しませることができるお店” が
集まっているからこそ銀座や北新地なのです。そして、そこには必ず、
客人を楽しませるためのポリシーやこだわりが存在するはずですし必須です!
もちろん、高級感溢れる内装や本気の職人の味、老舗としての格式やスタッフの
もてなしの心などなどお店によって様々だとは思いますが ・・・ 。

イベントにのっかかって、グッズやイルミネーションをディスプレイし
“わぁ~キレイ!” “チョーかわいい!” なんぞと仰るまだまだ親のスネを
かじっているような若い世代まで集め、そこそこ大人の単価を当たり前の
ように戴いてしまうお店が増えているとしたら ・・・ ほんまにどうなのか?

この街がそういう街になっていくことに一抹の不安を抱きます。大人の街の
基本は、ハイリスク-ハイリターンだと私は思っています。それが、どこかで
お互いが、ローリスク-ハイリターンを求めてしまうと街のバランスは崩れるはず。
逆に、ハイリスクで見返りも期待せず、その評価もできない遊び方(使い方)は
アホです。せめて、ローリスク-ローリターンをお互いが納得しているのなら
まだ許せますが、そうでなければ全てがまやかしになってしまう ・・・ 。

難しい話かもしれませんが、
人や商店が集まって 「街」 が形成されます。逆に云えば、「街」 が形成されれば
人や商店を集めることはできるものです。ただ、その街に参加する人や商店は
その 「街」 に何らかの影響を与えてしまうという責任は負わなければなりません。
要は、「街」 の形や色・匂いに影響を与える(一部になる)ということであり、それに
関して無責任な態度で取り組んではいけないのではないかと私は考えます。

さて、話を本題に戻しますが、
 “「大阪らしさ」 って、ほんまに何やねん?”
いつも私自身が自問自答するキーワードです。
例えば、
 “「この料理の大阪らしさ」ってどないやねん?”
 “「この街の大阪らしさ」ってどこらにあるねん?”
といった感じです。

すべての要素にこの問答が必要かどうかは別として、
こと 「街」 については、この問答が無ければ、大阪の街の存在価値をどこで
見出せばよいのか悩むだろうし、街がおもしろくなければ大阪自体の存在価値
もなくなってしまう気がする。梅田や難波やなどの御堂筋主要ターミナルな街、
心斎橋や堀江や南船場あたりのアートな街、福島・天満・鶴橋・大正などの
大阪環状線ディープな街、船場地区を中心とした糸偏の街などイメージが
大阪と直結する冠を戴いている街はいいのですが、どうしても位置的に曖昧に
なっている街ほど気になるものですよね。

北新地は大阪の大人な街の代表ではあるのですが、
どうもその大人な街という冠に大阪らしさを感じないし、お金をたくさん支払う街が
大人な街というレッテルで済まされかねない気がします。大人な街と云えば、
京橋あたりはどうでしょうか?たぶん、大人な街であり、大阪らしい街として
大阪人の認知度は高いはずです。そう考えれば、東京の銀座と一線を画する
高級繁華街としての 「北新地」 の大阪らしさが必要不可欠ではないでしょうか。

クリスマスイブの大阪は、“聖なる・・・” とは無関係に活気に溢れ、明日もまた、
安くておいしいクリスマスケーキを求めて自転車(ママチャリ)で走り回る大阪の
おばちゃんの姿があるという想像は大阪人には難しいものではありません。
「大阪らしさ」 を 粉もん や おばちゃん にばかり背負わせていてはダメですよね。
もっと、もっと、「街」 が活躍しなければ ・・・ 。

本気の “大阪らしい聖夜のイルミネーション” を見てみたいものです!



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