ラグの「素直に生きれば人生は楽しい」

主に人生の歩き方について「人生お弁当箱診断」など
以前のブログ名:和色ムーブメント

無常の風は時を選ばず

2009年12月19日 | こんたく堵

「なんでやねん!どうなってるねん!」

16日の朝、
携帯の着信音が鳴って目覚めました。見知らぬ番号が ・・・ 今の私に朝早く
から電話が掛かることはなく、有ってもナンバー登録している近しい人だけです。
“ま~た、間違い電話かぁ?” と思い、出ませんでいた。しかし、すぐさま同じ番号
からの着信が ・・・ “リダイアル!かっ?” これも間違いだと思い、この2度目も
電話には出ずパスしました。すると程無く、3度目の着信音 ・・・ ディスプレイには
後輩 「」 の名前と携帯番号が表示されていました。 私が電話に出て “ハイ。”
と声を出すと、“○○○○の携帯から電話してます” と女性の声が ・・・ すぐに
J の奥さんだと判断できました。そして、この時点で私は、電話を直ぐに切って
しまいたくなるほどの怖さを感じていました。 J に何かあったのだと ・・・

奥さんは小さな声で、
“昨日(15日)未明、 J が交通事故で亡くなりました。” と語り始めました。
奥さんから放たれる予想を超える言葉(内容)に、私は絶句してしまい慰めの言葉を
返すタイミングすら失いました。心の中で “なんでやねん!” “どうなってるねん!”
と叫びながら震えが止まりませんでした。





「17日 通夜 そして、 18日 葬儀告別式」

余りにも、ツライ別れでした。
そして、やりきれない思いが胸と胃に痛みとなって広がっていきます。
“こんなツライことあったやろか?” と、半世紀の自分の人生を振り返ります。
ありませんでした。身内の不幸でもここまでは ・・・

2年前の夏( J が同じ会社で私の部下だった当時 )、
仕事帰りバイクで事故を起こし、足を骨折して 入院・手術 ・・・
簡単には完治せず、入院・手術・退院 を繰り返しました。その間、立ち仕事が
メインとなる飲食の店舗勤務はままならず、自宅待機 ・・・ 結局、私が退職する
のとほぼ同時に J も退職しました。( 会社にこれ以上迷惑は掛けたくないと ・・・ )

お互い、
月に1度は連絡を取り合い近況報告を交換していました。足の事もあったので、
私からは “無理せんと長い目で仕事探しや!” とアドバイスはしていました。
そして、余裕のない私が心配するのも可笑しな話ですが、“生活は大丈夫か?”
と、毎回声は掛けていました。“何とかイケてます!” と気丈に返していましたが、
その後、労災の保険金給付の打ち切り期限が迫り、足の状態と相談しながらも
無理して仕事を探さなければならない状態(生活環境)になっていたと思います。
“7月末までは理想を求めます ・・・ で、見つからなければ、8月から妥協します”
と話していた J が選んだのは、理想に近づくための妥協だったかもしれません。

繁華街、
オオバコ居酒屋の新規立ち上げ、そして、その統括店長 ・・・
会社の成り立ち、そのビジョンや方向性、スタッフの面々などなど、私が判断する
前に、過酷な日々が待っていることを J は十分に理解していました。そして、私の
“大丈夫なんやなぁ?” という問い掛けに、“トライしてみます!” と、意気込んで
話はしていました。私は、また足が痛むのではないかとそればかりが心配でした。

通夜の時、
J の親父さんに事故の話を伺いました。( 奥さんには聞けなかったので ・・・ )
“まだ、私たちも詳しい事はわからへんのやけど、トラックと正面衝突して心臓破裂、
ほぼ即死状態で、本人はそんなに苦しまんかったんちゃうかなぁ ・・・ ” と客観的に
捉えることで、現実を直視したくないという父親の姿がそこにありました( たぶん )。
より一層、私の心は折れそうになりました。( 聞かなければよかった ・・・ )

11月の新規開店前から
ほとんど寝ずに仕事を詰めていたと思います。オープンして数日経ったある日、
私は J の勤務するお店に出向き少し話をしました。“どう、大丈夫(足)?” という
いつもの挨拶から話を始めました。そして、今の店舗、スタッフ、お客様の状況、
メニュー内容等を聞きました。少し私から意見もしました。その中で一番私が
心配だったのは、睡眠時間が2~3時間程度しかないということ、働き始めてから
1日も休みらしい休みを取っていないということでした。

J は元々、
体育会系ですので、体力と気力(先輩への礼儀も)には自信を持っていました。
でもそれ以上に、あの時 J には、それに掛けるしかないという悲壮感が漂っていた
かもしれません。それなのに、“お前がそう思うんやったら、ガンバってみいや!”
と私は表ヅラの良い上司のようなアドバイスをしてしまいました。ほんま(本音)は
“無理すんな!(足の痛みの再発)今度やったら取り返しつかへんぞ!嫁さんと
小さい子供(息子)おるんやから ・・・ そこまで掛けれる会社(人)なんか?” と
言ってやりたかった。でも、何の支援もできない今の私には言えなかった ・・・

今回、事故と仕事の関連性はわかりません。
ただ、自転車で通っていた J がなんでトラックと正面衝突なんや ・・・


2ヶ月前、
“オープン1ヶ月前、(店長として)何をしておけば ・・・ ” という質問を持って
私のところへ J はやって来ました。近所の居酒屋で酒を飲みながら私なりの
意見とアドバイスをしました。うちの嫁さんが仕事帰りに合流、3人でそれなりに
盛り上がりました。家に帰ってから嫁さんと話した時、J の印象がそれまでとは
違ったようでした。一瞬、取っつき難いところがある一方、好き嫌いがハッキリ
していて、本当は裏表がないサッパリした性格 ・・・ 私に似ているということです。
( 私には裏表がありますが! ・・・ ??? )

しかし何より、
たくさん居る後輩の中でも、こんな私のような存在を一番慕ってくれていることが
わかったようで、嫁さんは今まで以上に親近感を覚えたようです。そういうことも
あってか、告別式に一緒に参列してくれました。うちの嫁さんも今は飲食業界人
です。簡単には仕事を休めません。“仕事、大丈夫なん(代わってもらえるの)?”
と私が聞くと、嫁さんは “仕事より、Jくんのあの大きい顔、もう一回、見とかな
後悔しそうやから ・・・ ” と返してくれました。通夜・告別式には、一緒に働いていた
スタッフも大勢、参列してくれていました。祭壇にある J の写真を見ても、棺桶の
中の亡骸を見ても、悲しさより悔しさしか感じなかったのに、そのスタッフたちの
顔を見ると、なぜか涙が ・・・

無念やと思います。
( 奥さんの泣き崩れた姿、たぶん一生忘れません )
これからやったと思います。
( “これからやと思ってたのに ・・・ ” という親父さんの言葉も忘れません )

奥さんや親父さんはじめ親族の皆様、そして、同級生やクラブ(部活)の先輩、
後輩、仕事を一緒にやってきた方々、 J はまだ、34歳やったはず。私の中で、
“サヨナラ” には、もうちょい時間が掛かりそうです。 もう少し時間が ・・・


■ こんたく堵 ■

人間はいつか死ぬもの
いつか別れの日はくるもの

もちろん 、
そんなことわかってますよ

そやけど 、
自分より若いヤツが突然 ・・・

やっぱ、ツライですわ
うん、やっぱ、イヤですわ

これって
「無常の風は時を選ばず」
ってことですか ・・・


第五大成丸



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2 コメント

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ありがとう! (第五大成丸)
2009-12-19 21:23:42
> 武田さん
 
連絡すべきかどうか迷いました ・・・
水くさいと言われるかもしれませんが、12月の忙しい時期だけに、
“気を遣わせたくないです” とJが言いそうな気がして ・・・
この前結婚した者や遠くで生活している者にも私から連絡できませんでした。
( 連絡を入れたメンバーが伝えてくれたようですが ・・・ )
 
Jの奥さんには、落ち着いたら連絡すると言ってありますので、
その時は一緒に行きましょう。ありがとう!
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本当に残念です (武田)
2009-12-19 12:30:08
ブログを見てびっくりしました。彼とは、同じ時期に仕事をす事は有りませんでしたが、自分の店のレセプションにも参加をして頂き、サッサンの結婚式の二次会で話をしたことぐらいですが、まっすぐ人の目を見て話の出来る方だと記憶しています。10月にご一緒にお店に来ていただく予定だったのに、その日に限ってお休みしてしまい、会う機会を逃した事を本当に後悔します。もう一度話しがしたかったです。
今は、ご家族の方も何かと大変だと思うので、落着いた時期に、お線香をあげに行こうと思いますが、お付き合いお願い出来ますでしょうか?彼の冥福を心からお祈りします。
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