(ちなみにこの写真は木村政彦が18歳の時の写真である。天覧試合優勝時の全盛期の肉体は押して計るべしである。)
『木村政彦は なぜ力道山を 殺さなかったのか』
木村政彦、私がこの名を知ったのは、大学時代。
グレーシー柔術が脚光を浴びたときに、盛んにテレビなどで
名前が出てきた。グレーシーに勝った唯一の日本人として。
その後、読んだ『空手バカ一代』の中で、力道山と対決して
だまし討ちのように負けてしまったのが、この木村政彦であった。
高度成長期を生きた人ならば、こちらの方が有名のようである。
昭和の巌流島としてテレビ放送され、視聴率100%とともいわれている。
私もその程度しか知識が無く、それほど気にもしていない人物であった。
しかし、格闘技史を調べていくと必ず当たる名がこの木村政彦であった。
そんな時、この本の存在を知り、早速購入をした。
先ずびっくりしたのは、701ページという辞書と見まごうばかりのボリュームである。
それはそうである、13年の取材と膨大な資料、3年半にわたる長期連載の末に書き上げられたたまものである。
しかも、著者本人も現代の高専柔術とも言うべき七帝柔道の出身である。
それ故にプロレスのアングルを徹底して排除されてある。
ただ分厚いだけでなく、その内容は、心にズシリと響く重みをも持つ。
しかし、読んでみると、非常に面白く、わずか2日で読破してしまった。
その内容は、木村政彦の人生と共に、明治の柔道草創期から戦後の格闘技史を背景とした作りとなっていた。
その種類、柔道を始め、合気道、空手、プロレス、ブラジリアン柔術、を網羅し、非常に内容の濃いものであった。
それだけの格闘技ジャンルに関わっていた、いや、
関わらざるを得ない格闘技界に欠くことの出来ない重要人物であったのだ。
詳しい内容を書くと非常に長くなるので、ここでは避けるが、
読んだ後、残ったのは不条理への虚しさであった。
「木村の前に木村なし、木村の後に木村なし」とまで言われた木村政彦。
確実に、彼は、現在過去未来全て含めて無手格闘技に於いては史上最強の格闘家であった。
しかし、時代によって、柔道から離れ、柔道の場を奪われ、
道を迷い、そして、だまし討ちとは言え、力道山に負けた。
その後、歴史の表舞台から消えていったのだ。
戦争がなければ、恐らく、史上最強の柔道家であったであろうし、
日本史上最高の英雄となれたであろう。
何という不条理、何という無力さ。
それは、木村政彦だけではなく、この本に登場する多くの人物、
柔道を始めとした多くの格闘技、そして、全ての日本人が時代に翻弄されたのだ。
しかし、それがあったからこそ、木村政彦はグレーシー柔術と邂逅し、
総合格闘技の礎とも言える痕跡を残すことが出来たのだ。
日本で忘れられた彼が、地球の裏側で英雄として語り継がれていた。
これも一つの皮肉であろうか。
この本は木村政彦を中心とした格闘技史であるが、
同時にリアルに描かれた昭和史でもある。
そこには、格闘技史であるが故、思想もイデオロギーもない、
リアルな歴史がある。
この本を読んだ後、私は、空手家を名乗ることが恥ずかしくさえあった。
この時代を生きた人間に比べれば我々は何とぬるい世界にいるのであろうか。
イデオロギー、思想、主義、主張、いろいろ言われることはあるが、
ただこれだけは言える、『明治から昭和初期生まれの日本人は熱かった』。
どこか冷めた人間が多い昨今ではあるが、
我々は、もう少し熱く生きるべきではないだろうか。
見よ!このボリューム!!