私塾 成趣館

広島県東広島市の古流沖縄空手道場。稽古日は火・金。幼年部5時~少年部6時半~一般部8時~10時。(木)7時半〜中高生の部

11/27稽古

2012-11-28 22:58:01 | 空手
11/27稽古(・ω・)ノ

少年部は一つ一つの技をそれぞれ数稽古させた。
T翔はエネルギーが有り余っているのか、とにかく元気だ。エネルギー発散のために道場を10周走らせてみたが、とにかく楽しそうにしている。T翔は体を動かすのが、心から好きなんだろう。

一般部は初心者は重心移動をしっかり意識しての動歩行の稽古。そして、そこからの技への移行。
I原さんはうちに来て、すでに一年経つので、そろそろ、ピンアン二段とアーナンクを仕上げていきます。
そのために、今は徹底的に膝を張って型を打ってもらってます。

とりあえず、稽古記録。
終わり(=゜ω゜)ノ

11/23一般部稽古

2012-11-25 19:24:07 | 空手
連続投稿です(・ω・)ノ

写真はとくにありません。
本日は参加人数が少なかったため、いつもと違って、より過酷な稽古にしました。
ただひたすら、ナイハンチ立ちの修正と広背筋による腕の操作の訓練です。

このナイハンチ立ち、徹底的に形を整えて行うと足が悲鳴を上げます。実際1分、ナイハンチ立ちを維持するよう稽古したところ、1分経った瞬間倒れるように脚を解放させていました。
そして、ナイハンチ立ちを保ったままひたすら脇を絞った腕の操作を、休憩を挟みながらとはいえ、ほぼ2時間行いました。もちろん、私もともに行いました。

この日の稽古はいつも以上に過酷であったとは思いますが、最後までついてきてくれました。

きつかったとは思いますが、折々にこういった稽古を行っていきたいと思ってます。
かく言う私もキツかった(笑)

終わり(=゜ω゜)ノ

11/23の少年部稽古

2012-11-25 19:22:40 | 空手
23日、金曜日の少年部稽古(・ω・)ノ

写真は稽古の合間の休憩の様子です。
休憩中、私は、よっぽどのことがない限り、何も口を挟みません。それ故、子供達は力の限り遊びまわります。
写真のボールはトレーニング用に買ったものですが、今や立派な遊び道具に。
ちなみに、休憩時間は3分。大人には考えられない集中力で遊ぶのです。
しかし、大事なのは意識の切り替え。
ここから、練習の頭へ切り替える。
この訓練こそが大事なことだとおもっています。
なんでも時間をかければ良いってものではありません。たった5分でも、集中さえすれば、だらだらした1時間よりはよっぽど身になることと思います。

そういえば月刊武道、と言う雑誌には、武道をやっている子供は、道場は神聖な場所として、静かに歩く、と書いてあったが、その筆者が見たら、頭に血が登って卒倒するんじゃないかなあ(笑)
子供は成長の過程なので、元気があるのが一番だと思ってますので、休憩中、時と場合では稽古中でさえ、元気に騒いでもいいと思います。あ、でも、あくまでも時と場合ですよ^^;

終わり(=゜ω゜)ノ

T川氏の個展

2012-11-22 14:25:20 | 日記
本日、友人のT川氏の個展に行ってきました。(・ω・)ノ

今回は広島市内舟入のとある喫茶店で行われていました。





T川氏と会場の雰囲気。
後ろのウクレレは、お店の店長さんのもの。ウクレレ奏者でもあり、お店でライブをされることもあるそうです。


店長さんと厨房の様子。
顔出しの許可をいただきました。
コーヒーと大判焼きを食べ、生地まで甘くて、サクッと歯応えと、フワッとした舌触りでとても美味しかったです♪( ´▽`)

T川氏は絵画教室をやっており、子供との関わり方について、多いに盛り上がり、凄く勉強になる話でした。
氏の作品も一つ買い、楽しい気持ちで帰ることが出来ました。

終わり(=゜ω゜)ノ

素直さとは何か?

2012-11-19 10:25:33 | 教育
ちょっと考えてみました(・ω・)ノ

こういう言葉をよく聞く、「素直な子ほどよく伸びる」
しかし、私はこの言葉に対して懐疑的である。寧ろ嫌いですらある。
この時の素直とは一体誰に対して素直と言っているのであろうか。
私の経験、肌で受ける感覚としては、「俺の意見に対して素直な子ほどよく伸びる」と言っている人が多いのではないかと感じる。
本当の素直さとは、自分の気持ちに素直なことではなかろうか。
自分の気持ちを押し殺して、相手の意見を「素直に」聞いたところで本人にとって良いことであろうはずがない。

小学生の時、先生に怒られたことがあった。しかし、私は先生に対してかたくなに自分は間違ってないと主張した。実際にそう思っていたし、先生の言うことに納得出来なかった。
すると先生は「礒部くんはもっと素直な子だと思っていた、先生は素直な子が好きだ」と言って立ち去った。
私は非常に違和感を持った。
自分は、自分の気持ちを素直に主張したのになぜ、素直でないと言われるのだろうか。

結局あの「素直さ」とは「俺の言うことを聞け」と言っているに過ぎなかったのではなかろうか。
これは特段その先生が酷い先生であったわけではなく、寧ろ生徒に対して思いやりを持った先生として評判ですらあったし、私もそう思っていた。

そんな先生ですら素直さという言葉について、深く考えることなく使っているというのが現状ではなかろうか。
生徒が、反抗する、言い訳をする、文句を言うということは、何か本人の立場で自分としての主張を「素直に」しているということではなかろうか。
だから私は子供たちが文句を言ったり、言い訳をしたり、反抗をしたりすること、それ自体に対して怒ることはしないようにしている。
その時こそ本人の言いたい「素直な」気持ちが出てきているのではないかと、私はそう愚考しているのです。
そして、それに対してどう対応するのかが指導者としての重要な役割ではないであろうか。それをせずに、文句を言わずに、ただ言うことを聞け、というのは指導者の傲慢にほかならないと考えるのです。

指導者とは読んで字のごとく、ただ指し導くだけなのです。進むのは本人であり、首根っこ掴んで強引にひこずっていくことはあってはならないのです。
自分で考え、自分で行動し、道を切り開いていく人間は、自分が納得していないのに人の意見に素直であってはいけないのではないか。
自分が正しいと思えば納得いくまで主張したらいい。
主張させないというのは、ただ他人に追従するだけの人間を育ててしまうのではないかと考えるのです。
確かに指導者がいる時はその方が良い成績を修めたり良い結果を出せたりするとは思います。
しかし、それでは一人立ちしたとは、とても言えないし、伸びしろを潰しているのではないか。
これこそ、リーダシップなき日本の所以ではないでしょうか。

これから世界はどんどん広がっていくのです。国と国との関わり合いも増えていくことでしょう。
そんな時代に、私は、子供達に小さくまとまるのではなく、大きくダイナミックな人間になってもらいたい、その思いで「素直さ」という意味を考えてみました。

終わり(=゜ω゜)ノ