なんで・・・油が断つことが「油断」
仏教の教典「涅槃経」に、王が家臣に油の入った鉢を持たせ「一滴でもこぼしたら命がないぞ」と命じたという話がある。
日本にも、万葉集に「ゆたに」が転じたものとあるらしい。
ゆったり・・のんびり・・・とした様子を表す言葉になったらしい。
本音と建前ね。
おいらは町内の役とか、自治会の役とか、PTAとか関わっています。
当然、知らない人が訪問してくれます。
いきなり依頼があります。
一度は、お断りします、ご辞退します。
おいらは茶道が好きですから、その「まわりくどさ」を知りました。
この国では、自分の信念を貫く行動をするのではなく、信念をうわべで曲げてまでも全体の「和」を乱さない行動です。
言葉の真の意味を無限に希薄化することを教育する。
「すまない」「悪かった」「すみません」
みずからの非を認めているからではなく、謝ることを社会的に要求されているから。
つまり得だから、謝る。
社会的に「損」だから謝る。
「人間」って人の間というけど、なんで「人」と同じ意味なんだろう。
「人間」もともとは「世の中、俗世間」という意味、唐の詩人・李白の有名な「山中問答詩」に書かれ、
仏教用語として日本に伝わった。
詩僧・月性の詩「人間到る処青山あり」・・・この世とあります。