「絶望読書」
(絶望に寄り添う人生論)
働けば社畜、働かなければ家畜。
寝て起きたら、また生きるのか。
100年後は、今いる全員死んでいる。
がんばらなくても、生きていける。
ネガティブだから自分の弱点を克服できる。
日本版「シンデレラ」
米福と粟福という話、米福は先妻の娘、粟福は後妻の実の子であった。
継母は姉妹を山に栗拾いに行かせる、米福には破れた袋を持たせて意地悪をする。
破れた袋で栗を拾うから山風でこぼれてしまう、穴に落ちている栗を拾い山姥に会う。
「こんなところになにしにきた」と山姥に聞かれ、破れた袋で栗拾いをさせられたことを言う。
可愛そうな境遇の米福を哀れんで宝箱をもらいかえる。
やがて秋祭りになり、粟福と継母は着飾り祭りにでかけた、家の仕事を命じられる。
でも、お坊さんや雀に助けられ、山姥にもらった宝箱から着物を取り出し遅れて祭りに出かけた。
すると、あまりにも綺麗で美しかったので貴賓席に案内されお菓子をいただいた。
ずっと下には、粟福と継母が見えた、米福は自分だけ饅頭を食べているのは耐えきれず、二人に投げて分け与え、一足先に帰宅してボロ着物に着替えて働いた。
すると長者の使いが来て、米福を嫁にほしいと伝えられる。
継母は、なにかの間違えだと粟福を嫁に差し出すと断られ、うらやましさと悔しさで、嫁入りに見立てて臼に粟福を載せて曳きまわし、二人とも誤って泥沼の田んぼに落ちて沈んでしまった。
その二人の変わり果てた姿が、今の「タニシ」なのだという。
愛する人を亡くしたり、大往生した人や、地域の有力者が亡くなったときに行われるものだった。
骨上げの儀式のときに遺骨を口に含み「骨嚙み」「骨食み」と呼ばれる風習です。
九州を中心に、昔は日本各地で見られた。
故人のエネルギーを授かりたい、大切だった人は自分の中で、生きていてほしい。
自分と同化してほしいという。
カニバリズム(食人俗)は、ここに起源がある。
息子の通う高校の地区別PTAの集まりがありました。
夜だけど風が心地よくて、ハーレーで出動。
幼稚園から高校まで、PTA保護者会に10年以上関わっているから、息子から「もう学校に来るな」って言われたけど。
行っちゃった。
三ツ星カメラさんに28日の撮影会の申し込みにいきました。
7月9日(土)のカメラのキタムラさんのイベント・プロカメラマンの馬場さんのSONY体験セミナーは店員オーバーで入れず。
いままでKONIKAMINOLTAが壊れた故障したので、ライカを購入。
でもSONYマウントAPSサイズレンズが残ってしまった。
「いじめっ子 VS いじめられっ子」ではなく現代では「グループ化」している。
「グループ内の同胞圧力」「グループからの排除」
「ハブ」「はぶる」
静岡県西部・遠州地方の方言「はぶせ」からきている仲間外せのこと。
「流鏑馬」の語は「矢馳馬」(やはせめ)からおこったもの。
矢を射るために馬を駆けさせる腕比べという意味。
おいらたちの「流鏑馬」はカメラで捉える。
※・・・三物、流鏑馬、笠懸、犬追物が鎌倉時代にあった。