ピカデリィーハウスに行きました。
車検書を見せたら・・・
2年間限定で正規輸入された、キャブの最終車で、ノーマルミニよりも一回りおおきなキャブがついた「ビックキャブ」というマニアの人たちが、けっこう探している型なんだって。
ピカデリィーハウスに行きました。
車検書を見せたら・・・
2年間限定で正規輸入された、キャブの最終車で、ノーマルミニよりも一回りおおきなキャブがついた「ビックキャブ」というマニアの人たちが、けっこう探している型なんだって。
自分勝手行動
土足で事務所に入り、嫁が注意したら事務所の作りが悪いと建築業の人に電話して土間にしようと動く。
事務所は親父の考えた作りになっている。
母親が怪我して、リハビリをさぼり回復のめどがたたないと、墓相が悪いと石屋さんに電話して墓の高さを変えようとする。
(母親の骨折は、自分が仕事に出たくないために自分は事務所にいて、母親に仕事に強制的に行かせて転んだ)
普通なら自分が出て、奥様は留守番でしょ?
もともと墓は、自分のわがままで祖父母の建てたものを移動して移築したものです。
(お墓の移動で、おばさん自分の妹の子供を永代供養に追い出しました)
嫌いだからという理由で
自分の貯金で直すなら問題がありませんが、何事も経費で落とそうとする。
親父は自分の貯金は絶対に使わない、自分が動けなくなったらそれをチラつかせるために。
(殺し文句は、会社に お前に 2000万円貸してある)
妹が母親の病院の世話で名古屋からきていても自分の家に泊まらせず、ホテルの部屋をとり、宿泊料金を経費で落とす。
弟の嫁が亡くなり、法事をした時も、弟に「俺が払ってやると」大きなことを言っても経費で落とし、結局は私の支払い。
なので弟は、親父が支払ったと思い、私には「ありがとう」の一言もない。
自分の使用する、ゴルフと旅行だけに使ってる高級車FUGA300GTの保険もガソリン代もすべて経費。
(自分のゴルフカーだけ法人使用)ゴルフにしか使用しないのに。
親父夫婦は旅行に行くが、私たちが旅行を予定すると、最後まで抵抗する。
(いつも口癖が、仕事もろくにせずに旅行ばかりいきやがって)
(さらに旅行に行っている間に、合鍵で私たちの部屋に入り、冷蔵庫、部屋の汚れ、台所のチェックする)
これが嫌で、嫁は旅行に行かなくなった。
(旅行の回数は、親父たちは月に一回、おいらたちは年に一回)
自分は経費を使用してもいいが、私たちはダメ。
過去を語るものがいなくなると自分の好きなように歴史を改ざんする。
(事務員さんにも作り話をしますから、事務員さんも、あきれ顔)
私の仕事の接待や友達がきて、話をしていても自分の話があると平気で割り込んできて、返事しないと怒りだす。
私たちが、なにごとも失敗すると、重箱の隅をつっくようにねちねちと嫌味を繰り返す。
(親父は、口先だけ言うだけですから永遠に失敗はない)
私の正しい事、仕事の決まり事を話しても信じないけど、他人の「嘘」は信じると話を聞く。
アルバイトさん・パートさん・親父に嫌われると、嫌がらせをねちねちとする。
(同じ仕事をしても時間給が異なる)
私たちの趣味は、たわけたものとしていいことは絶対に言わない。
人が見ていないと、オートバイは蹴っ飛ばす、スキーの板は倉庫や納屋にほかりこむなど、平気で行う。
昔の自分の住居に入り、私たちのタンスの服を勝手に倉庫にビニール袋にいれてほかりこみ、自分のゴルフ道具を私たちのタンスの中に入れる、ゴルフシューズもね。
私の兄弟姉妹が私のことを馬鹿にするのは、昔から親父が私を馬鹿にしてきたからなのです。
(常に外面がよく、外では物事をすべて理解したことを言いますが、家ではわがまま放題、使いたい放題)
こんな親父を私は、許すことができません。
当然、高価なお墓を作り、改造して作り直しても、入れるのは私です、当然、誰に反対されても入れません。
親父の親戚・兄弟たちも親父の、お金や 物事に対する考え方が嫌いなので、実家なのに誰も寄り付きません。
親戚の者も、親父が死んだら、赤飯とタイの尾頭付きを送ってくれと言われています。
(少しでも良いところがあれば、親戚・兄弟が一人でも親父の援護、フォローしてくれるものがいてもおかしくないのに、誰もいない)
私の人生設計は、子供たちが社会人となり独り立ちしたら、親子の縁を切り、夫婦二人でひっそりと暮らしたいと願っています。
最後に親父からの一言・・・
「お前ら 貯蓄を崩して 苦しむがいい」
これが、自分の息子に向かって言う言葉ですか・・・・
一度、書いておかないと気が済まないので、読まないでスルーしてくだってもOKです。
「私の勝手のメモ」
現在の商売を始めたのは祖父母の付き合いがあったために始められたものです。
我が家は貧乏で、親父は生コンの運転手、おいらは栄養士として働いていた。
たぶん親父は23万くらい、私は13万円の月給でした。
日頃、13万円くらいのボロ車しか、購入できない親父は、私の祖父に130万円のマークⅡグランデを購入してもらった記憶がのこっているのは親父が49歳頃の話です。
運営資金は祖父母が提供して、親父は口ばかりなので祖父母は私にかけたようです。
始めは苦しい経営状態でしたが、数年で軌道に乗り家族三人分の給料がでるようになりました、まだ独身で20代の私の給料は母親が貯金をしてくれるはずでした、私は毎月小遣いだけで家族三人で頑張ってきました。
穏便に平和に日々が過ぎ、私も嫁をもらい子供も授かり、過ごしていました。
ある日、親父が「お前ら貯金はしているやろうな?」と質問してきた。
たしかにガソリン、保険代金、水道費、ガス代金、etcは経費として落ちてはいたものの、嫁に10万円で生活して貯金は、さすがに無理だと思っていましたが、私の母親が私の代わりに長い独身の頃の貯金がしてあると信じていた私は、少し安易な考えをしていたと気づいたのは少し後のことでした。
母親は、たしかに貯金はしていましたが、すべて自分の名前で貯金しており、私の名前の通帳は一冊もありませんでした。
「やられた」と思った頃は、母親は、まだらボケが始まり嫁が経理担当になって初めて明かされたことでした。
両親は自分たちの給料は貯金して、私の給料で生活していたのです。
事務所を立て直し倉庫や改築に費用がかかり、親父は自分のお金をつぎ込んだと2000万円を私に貸したと自己記憶。
事務所経営が豊かなうちは、新車のクラウンV8・セルシオ(当時700万円)を次々と買い込み、いい思いをしてきた恩恵に授かってきたことなど記憶から消え、ぼけた母親の金は自分のものだと母親の貯金は次々と解約して使い込みます。
今年、赤字になった経営は私の賃金貸借法ができていないと一人怒りをぶちける。
親父本人は、いっさい仕事はしません、毎月ゴルフに行き、母親と旅行に行き、あそこが痛い、ここが痛いと病院通い、これが40代のころから現在まで至り、仕事は37年間なにもしていません。
事務経理仕事が嫁に変わってからも、親父は2000万円貸してあると、お客様の振り込み収入はすべて自分のポケットに、嫁が経理士に相談して帳面に記入していたから税務署に突っ込まれなかったものの、そんなこと知らぬ顔で怒り続ける親父。
(銀行振り込みの金額も、一度会社に落としてからと言うと、貸したお金を返してもらうのに、何が悪い)
母親も怪我をして病院に入院していても母親に給料は払い続け、すべて親父の小遣いになってゆく。
名義変更して私の会社になった平成17年現在で私の貯蓄は「ゼロ」からのスタートです。
それどころか、親父に2000万円、母親に200万円の借金を抱えてからのスタートだったのです。
プライベートな空間も与えられず、人の家庭に土足で入り込み、日曜日の休日も勝手に窓を開け水を撒き、カギを開けたまま何回も立ち去る、日曜日も留守番を強要され見張りに来る。
私の子供(孫)たちは普通、祖父母がこれば喜ぶのが普通の家庭なのに、逃げる、隠れる、消える。
なぜならば、学歴重視の親父は、すべて私たちの子供たちを馬鹿にして、妹の子供と比べ差別する。
娘の卒業式も兵庫県の引っ越しでさえ、協力してもらえず、「仕事もせずに何が学校や」とぶちまける。
まだまだ、書き込みたいことは多々ありますが・・・序曲まで
久しぶりの安土城跡、入場料金700円です、少し高くないかい?
近江八幡ヴォーリス建築が見たくて病院に・・・
目的の建築物が発見できず、退散。
ぶらぶらして
ヴォーリス建築の神髄ともいえる。
ヴォーリス記念病院の裏山の森にある、五葉館を写したかった。