和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

原風景

2010-11-01 12:20:46 | カメラ
以前書いておいたものがありましたので、
掲載するか迷いましたが、
満足に撮影に出ていないので、
穴埋めに掲載することにしました。

戦後間もない頃、岐阜県の養老で和尚は生を受け、
養老山地が造る扇状地の先端部に生まれ故郷がある。
扇状地を流れる谷川は天井川になっている。
年少の頃は藁葺き屋根の家所々にあり、
農家では労働力として牛を飼っていた。
和尚の家は米を自家消費に一部供出もしていた兼業農家だった。
ここで高校卒業まで過ごした。

故郷を離れて45年。

今の歳になって原風景は?と聞かれると
点在する藁葺きの家と、
扇状地の先端部に湧出する湧き水、
その湧き水に棲息するハリヨなどの天然記念物が思い浮かぶ。
水田は輪中地帯にあったので、
奈良平野と違って、水には不自由しなかった。
むしろ豊富な水をいかに制御するかが問題だった。

溜池の多い奈良平野は
昔からいかに水を取り入れるかが、
農生産の大きな課題だった。
和尚が生まれたところと奈良平野では
水利用に関して180°違うところがある。

集落の下手には輪中を形作る堤防があり、
そこから北、東を見ると濃尾平野が一望できる。
後ろは養老山が屏風のように立っている。
そんな中で年少を過ごした和尚には
忘れることの出来ない風景がある。
決まって晩秋の風景だ。

米の獲り入れが終ったよく晴れた日の夕方、
新雪に覆われた白山、御岳、乗鞍
そして真東に中央アルプスの山並みが西日に照らされ、
ピンク色に光って見える。
まだ空気が汚染されていない頃のことで、
暗くなるまで眺めていたものだ。
(蒸気機関車の汽笛の音が聞こえていた気がする)

上記が和尚の個人的な原風景とも言える記憶に残る風景である。

いささか個人としての原風景の説明が長すぎたようであるが、
問題は(別に問題ではないが)国としての原風景はあるのか、を考えると、
大和路の撮影を通じて、
この大和の国が日本の国としての原風景の痕跡を多く残しているのではないかと、
考えるようになった。
古事記や日本書紀そして万葉集などで記述され、詠われた中に
古代の姿を知る重要な手がかりがある。
その手がかりを素に現在の風景の中に原風景を読み取る。
古くからの社寺や遺跡などは写真としてとらえ易く、
万葉集などに詠われている山河などは今も実在する。
古代人が見たであろう例えば二上山は
昔も今も同じように見られ、共有できる自然である。
だからといって原風景的社寺、遺跡、山河をそのまま撮れば
原風景を撮ったことになるのかと言うとそうではない。
明日香出身の写真家上山好庸氏は自身のホームページの中で
『明日香路の散策はイメージの旅だと思っている。
人はどれだけそのイメージを膨らます事が出来るかによって、
旅の密度が違ってくる。』と言っている。
“散策”を撮影に置き換えても意味は変わらない。
つまり
「明日香路の撮影はイメージの旅だと思っている。
人はどれだけそのイメージを膨らます事が出来るかによって、
旅の密度が違ってくる。そしてそのあとに原風景が見えてくる。」と。

このように考えると、明日香村周辺こだわる理由が分かってくる。
ここまで来て
やっと長い道のりのスタート地点に立った心地がする。
これからも明日香通いが続きそうだ。



{上山好庸さん無断で引用しました。お許しを。}