和尚の大和路

和尚が撮った大和路写真を中心に、
旅で見つけた写真なども・・・

明日香・甘樫丘東麓遺跡

2013-09-06 18:36:38 | 未分類
今日、2回目の更新です。

(奈良新聞より)
飛鳥時代の権力者、蘇我蝦夷(えみし)・入鹿(いるか)親子の邸宅が営まれたとされる明日香村川原の甘樫丘東麓遺跡で、
これまでの調査地とは別の谷でも7世紀中ごろに大規模に造成していたことが分かり、
奈良文化財研究所が5日、発表した。
当時丘が広範囲にわたって開発され、土地利用されていた可能性があるという。

平成5~23年度までの調査で大規模造成が確認されている谷から、
北方約100メートルにある谷で、約800平方メートルを発掘調査。

従前の調査地より小さな谷ながら、斜面を削って低地を最深5・5メートル以上埋め立て、
東西20メートル以上、南北30メートル以上の平坦面をつくっていた。

平坦面には、倉庫など高床の建物の可能性がある東西3間、南北3間の総柱建物跡を確認。
そのほか東西3間、南北2間の掘っ立て柱建物跡も検出した。

出土した土器から、造成は7世紀中ごろとみられ、ごく短期間で遺構は廃絶したと考えられるという。

玉田芳英都城発掘調査部副部長は「東麓は広範囲に造成が行われていたようだ。
これまで点だった遺跡が面的に広がる可能性がある」と話す。

「日本書紀」には甘樫丘に蝦夷・入鹿の邸宅が営まれたという記述があり、同遺跡との関連が注目されている。

現地見学会は7日午前11時から午後3時。小雨決行。駐車場はない。
問い合わせは同研究所都城発掘調査部(飛鳥・藤原地区)、電話0744(24)1122。

コンニチハ

2013-09-06 01:58:35 | 風景写真
コンニチハ
とのさまではありませんがとのさまバッタです。


鼻がかゆい




朝は霧雨が降っていましたが
新聞の配達が終る頃、止んできましたので
安田に向けて走りました。
久しぶりの安田ですが
霧はなく、低い雲が周囲を覆っていました。
諦めて
宮奥ダムに変更です。
ここでも低い雲が覆っていました。
てつまんさんとI本さんがいましたので、
情報交換です。
皆と別れて、菟田野の田園地帯をロケハンです。

宮奥




粟原







和尚も写っています

水滴の中の影はカメラを構えているところです。

千股池でマスイさんと会った時に撮りました。
二上山


今回のイチオシはありません。