82歳からの旅

私の記録

 西鉄ストア リニューアル 開店に 買い物に

2012年11月23日 21時20分51秒 | 生活
             11月23日金曜日    
 今日西鉄ストア リニューアル開店に、私も家内と一緒に10時の開店に合わせて買い物に行った。改装の為に4~5日閉して今日開店するのです。
 
 ※ チャチャタウンは大型店に負けない、スーパーです。客を呼び込むため、アイデアを凝らしています、その為に買い物客が多いのです。曜日を決めてその日に行くと、サービス券が貰え決めた日だけ使えるのです・貰える日と使える日には行きたくなるのです。アイデアは略・・・

 開店間もないのに買い物カー、がないのです。運よく後2台残っていて、やっと間に合った。店の中はきれいに改装されて、大型店にと大差はなくそれに近い改装でした。その中を買い物カーと、買い物客で身動きが取れない程でした。

 店に入れない多くの客は、店の入り口に並んで待たされている。買い物客は宣伝のチラシを片手に持って、品物を探しているのです。買う品物を見つけるのも大変ですが、その中を通るのがまた大変ででした。その上にレジに並んだ人が列を作り、それが又買い物客の邪魔になっているのです。

 アーア驚いた驚いた、わずか一時間ばかりの買い物でしたが、こんなに買い物で疲れた事はなかった。レジに並んで待つ時間の長い事、ヤットお金を払って品物を袋に詰めながら。レジで計算する人は休む暇なく、次から次とお客の人で今日はウンザリしたでしょう。

 店は休業する前に買い貯めをして下さいと、その時はちょっと遅れて買いに行った処棚にはもう品物が無かったそうです。

 安くて良い品物を手に入れる為、死にもの狂いで求める人々。産地は何処の国か・又は何処か?。賞味期限は何時までか?・他の店と比べて品物は劣らぬか?・値段は?等々。短い時間この人混みの中頭の中で、検討し量りながらの買いものである。重労働ですね、今日の買い物は・・・・         何かチャチャタウンの開閉店の一件が、今の社会の凝縮のように感じられた。

















 知力を使って対話すれば、事実は自然に明らかになる・・・・現場で事実を・・・

2012年11月21日 19時15分35秒 | 教育
           11月22日木曜日   
 子供の好機心のテストから始まった。都市高速道路の上に陸橋がある、それが子供たちの通学路になっている。

 土曜日学校の帰りがけ友達と2人で、橋の下を通る車を眺めていました。ふと小さな石を落してみました、何回かしている中に車のフロントガラスに当たりました。車のガラスが割れてしまいました、子供は当たったので一瞬満足しました。

 車の運転手は血相を変えて、近くにいた4年生の児童を捕まえ学校に来ました。子供二人は自分ではない、6年生の児童だと言いました。学校には教頭と教務主任がいて、対応しました。私は校外にいたので、すぐ学校に帰りその児童に会って二人と現場に行って見ました。

 一人の児童を少し離れた処に待たせて、別の子に6年生が石を落とした様子を尋ねました。それから待たせた児童からも聞きました。つじつまの合わない所もありましたが、月曜日に6年生に尋ねるからと言って4年生の児童は帰宅させました。 

 私も帰宅して夕ご飯を食べていると、電話がかかってきました。それは4年生の児童のお母さんからでした。内容は車のフロントガラスの値段は、いくらかかるかと言う相談でした。其処で今日学校の帰り道で子供達が見た事、そして車のフロントガラスが割れた事、6年生の子供がしたと言っていることなどを話ました。

 そうして、車のガラスが割れた事の事実・「それからあとは誰が石を落したのかが問題」で子供は見ていたので知っているのです」と母親に言いました。

 それから「今人を騙す事は出来るかもしれません」が、「子供の生涯にとって事実を話す事が大事ですよ」と話しました。そうし「子供に事実をしっかり聞いて下さい。」と言って電話を切りました。


 月曜日に保護者が二人学校に来て、私に誤りましたので被害者の運転手に連絡しました。二人の保護者が、運転手にお詫びをいい、ガラスを弁償して等を話し合って解決しました。

 もとはと言えばふとした、子供の好奇心から出た事故でした。大事故に成らずに済んだことと、子供が最後に正直に母親に話した事です。

 もう一つ大切なことは、事実を如何にして見つけるかと言う事です。それは一刻も早く現場に行き、事実を把握することです。二人の子供がいたのが幸いでした、それから保護者には今の事でなく「嘘をついて大人を騙す事の子供の将来への影響」言う視点で考えてもらうのがプロの教師である事を保護者に感じさせる事が絶対に必要です。

 「大人は騙せるんだ見てないから」と子供に思わせない事。人は騙せても、自分の心は絶対に騙せないんだよ。一人になった時に、自分の心を事実が攻めてくるのですよ。君は嘘をついたではないかと、繰り返し繰り返し責められるのですよ。と・・・・・・

  子供と教師の対話の中で、このことを子供にしっかりと分からせることです。母親にも   

 最善をつっくしても、事実が見つからずに終わってもこれは致し方のない事です。「自分の知力と与えられた時間を駆使して最善を尽くす」出た結果に悔いはなし。














私の郷土ー海峡の町門司

2012年11月20日 18時58分15秒 | 歴史
           11月20日火曜日    
 ~見どころは一ぱい~ 門司は海陸交通の要所として日本史に名を刻む、多くの出来事の舞台となってきました。

      古く平家の滅亡は,古代から中世へ・攘夷の戦いは中世から近代日本へと大きく変革しました。奈良時代に遣唐使を唐の国に遣わす時、最後の送迎場所が対岸の彦島で弟子町と地名が残っています。彦島は門司から見れば、対岸ですぐそばにあります。 
 
  源氏と平氏の最後の戦「壇ノ浦の合戦」跡も、関門海峡一帯です。主戦場は関門橋あたりから、満寿・干寿の島あたりです。その折安徳天皇の住まいの跡は、「御所神社」のある場所です。其処に郷土の氏神「御所神社」が建てられ、秋には祭りで賑わいます。 

  合戦の時に、源 義経が八艘跳びした話や,二位尼に抱かれて安徳帝が入水した処は、関門橋の傍で和布刈り対岸の御裳川あたりと言われています。 

 少し後の豊臣 秀吉が韓国出兵で、名護屋城に居た時、秀吉の母の急病の知らせで帰阪しました。その際に暗礁に乗り上げ、船は半ば沈み危うく助かりました。其の座礁した浅瀬も、JR小森江駅の前の沖あたりです。

 日清・日露に戦勝後は、大陸貿易の基地として、門司港は重要視されました。更に韓国併合・満州国の建国後は、大陸での対外戦に備えて、兵糧や兵器弾薬等の貯蔵庫が建てられました。

 田ノ浦には米五万石を貯蔵出来る倉庫が建てられ、全国から集めた米を倉庫に送る鉄道が敷かれました。門司港~田野浦間の輸送の売上高は、トップだったと伝えられてbいます。

 門司港駅の前には、凱旋門が建てられて「門司港から大陸へ・大陸から門司に帰還した兵士は」その門をくぐったのです。


 この様に多くの歴史に彩られた関門の町門司は、今官民一体となって過去の歴史や伝統を生かし、「新しい観光の町レトロ門司」の再生を着々と進めている処です。

 参考文献 門司市史第二篇他 田 武義 
















「本当の教育」古い記録を整理して想う

2012年11月19日 05時44分54秒 | 随筆
            11月19日月曜日    

  1000人もの大規模校の朝の職員室は、とても忙しい状況です。四月初めの授業前の朝のこと、私が職員室に入っていくと一年生の先生が電話をしている。傍で聞くとはなしに聞いていると「友達がいじめるので学校に行かない」という保護者からの電話である。 

  そんな筈はないと私は思ったので、先生に電話を切らせ、授業に行かせた。そうして直ぐにその子の家庭訪問をした。その子は母子家庭の子です、家について玄関を開けて驚きました。何と親子三人が未だ、布団の中で寝ているのです。それで母子ともに起こし、子供をみると聞くまでもなく元気でした。

 其処で先ず妹を幼稚園に送り、それから小学校に行こう誘いましたが拒否するので、止む無く道端に腰かけて話をしました。
 
 
お母さんが子供の頃に母親は、どんな事をしてくれたか聞きました。毎日の学校の弁当の事や、遠足の時のおやつなどについても聞きました。はっきりとは応えませんでしたが、その頃の母親は貧しくとも何とか子供には学校に行かせていた事は理解されました。

 そんなことを話しながら「学校だけは行かせましょう。」「私と約束をしましょう。」と言うが母親からの返事はない、いろいろなやり取りの中で「あしたは、必ず学校に行かせますか。」と言うと首を縦に振り頷きました。
   

 毎日学校に行かせる約束出来ない、母親の気持ちが分かるような気がした。明日一日学校に行かせる約束が出来たので、母親と別れ児童を連れて学校は帰りました。

 五年生の児童が病気で欠席すると言う電話、これも私が家庭訪問に直ぐ行きました。(この子の場合以前何回かかかわっていたので、ピーンときました。) すると五年生の児童は家で元気で弟の守をしています。子供に問いただすと返事があいまいでした。
 

 其処で弟も車に乗せて、一緒に母親を探しに行きました。子供は知っていると思いました、いましたいましたA店にいました。弟を母親に渡して兄を学校に連れて帰りました。

 
 こんな親達の現状に接して、私はとても辛い思いになります。貧困で救いようのない母子家庭、自分の趣味や遊びの為に子供を犠牲にする不届な親たち。子供の教育権が親の無理解の為に、握り潰されているのです。こんなことは絶対に許されないことです、憲法に書いています断じて許してはいけません。

 小さな問題でも午前中から・そして午後は良く校区内に出回り色々な人と話をしました。校区の人は私が校区内を回っていると、何かあったんだと直ぐ分かります。
 もう古い古い記憶ですし今校長は、こんなのんびりした事はとても出来ないでしょう。

 こんな事をしていると他に多くの大事な仕事があって、処理出来なくてお手上げでしょう。その代りが出来る人を是非校内に、配置して欲しいと思います。


 「環境は人をつくる」とか「朱に交われば赤くなる」の諺のごとく、こんな事例がほかにもいくらでもあるのです。
 
 此処には子育てに無理解な親の教育問題、親戚や友人とこれから目を反らす今の地域社会・社会教育の問題・等々の問題の解決が先ずなされるべきです。こんな問題から目を反らして、いじめ問題等だけを取り上げても、本質的な解決はなされ無いと思います。

 視野の狭い「浅学菲才」な一教育者の僅かな経験をもとにした、独断と偏見を一つの私見としてお聞きください。

 ある日六年生の保護者が、児童を伴って相談に来ました。それで話を聞いてみると「五年生の児童から、殴られたので仕返しをしていいか」と言う六年生からの相談である。

 これを放置すると、殴られた児童は目に見えない侮辱を受ける・又は一種の「いじめ」に進む事も考えられる。それを阻止する為の相談である。其の訳は「五年生から殴られる」と言う事は六年生にとって侮辱である。若しこれが皆に知れ渡ったら、下級生からも舐められるわけである。

 これは体験した人にだけ,分かる惨めさである。其処で両方の担任を読んで其の対処について話し合った。その結果五年生の児童を読んで継続して指導することにした。

 此の問題は指導者が,六年生の児童の気持ちを,「どの様に理解し把握しているか」によって対応の仕方が変わるのである。

 教師たるべきは、弱い立場の人の気持ちを速やかに、しかも適格に把握することが出来なければならない。その上に立って指導を適切に行う事である。いじめは、「体の大小や、見かけの柔軟に非ず」見えない心の世界を見抜く慧眼が必要である。
 
 心の世界を見抜く慧眼のない教師には「いじめ」を防ぐ事は出来ない。まして事件が浮上したのに、指導者の側が「いじめではない」と勝手な判断をして対処しない事は「教育を放棄することである」これは教育以前の問題であると私は考える。