82歳からの旅

私の記録

孫「愛・まなみ」七・五・三のお祝い

2012年11月18日 08時21分08秒 | 日記

           11月18日日曜日  
   今日は孫「愛・まなみ」長女美保の娘が五歳

    に成るので七・五・三のお祝いです、
    五歳ですが大変なおしゃまです。着るものもドレス

    にしようか、それとも着物にしようかと迷っています
     神戸にいる一歳年上の従妹の沙羅ちゃんと、夏

    に一緒に写真に写ったのを見て、どちらを着ようかと迷

    うのです。結局今回は着物を着て、七五三をしました。
    孫の愛は五歳に成らない頃から、難しい言葉を使い私達

     夫婦を驚かせます。よくそんな言葉を知っているねと言  

    うと「五歳だから知らないこともあるのよ。」と澄まし顔  

    でいいます。然し五歳を過ぎた今も、平気で母のお乳に手  

    を入れる甘えんぼです。   
     言葉は両親の日常生活の会話を、注意深く聞いて分か 

    らない時は直ぐ「どういう事」と聞き覚えるのです。
      今日は孫の父親の両親も 遥々日田市からやって  

     きました。久し振りに孫の成長を姿を見て、安心と喜びの 

     様でした。
      戸の上神社で神主さんから、成長と安全のお祓いを

     受けて、3家族でお祝いの昼食をしました。その後日田の  

      両親は下関の赤間宮に、お参りをして帰りました。   

      ※ 戸の上神社の神主さんは、私が萩ケ丘小学校に勤務

      している時、サッカー選手や陸上選手

      して活躍した生徒でした。 
        それが立派な神主さんになって、とても嬉し  

      かったです。それで帰りがけに、一言挨拶をして帰りま  

      した。
       



(2011年12月25日 鹿児島のホテルで)愛ちゃん


その前日の会食の席で














貧しい時代・富める時代・に育てられた子供の違いは

2012年11月16日 14時32分01秒 | 教育
           11月16日金曜日  

 昭和一桁時代の家庭には、大抵4~5人の子供がいました。その頃は国も貧しく、食べ物も生活必需品も充分ありませんでした。現在の家庭には1人か2人です、例外もありますが。さて子供はどうでしょう、



         ・ 貧しい時代                      ・富める今の世
 
育て方 兄弟がいる中では甘やかせては        昔と比べて大事に育て甘やかされる
      育てられない。
玩具  少ない中で大切に使う 手造りの       高価な玩具・多くの種類 
     玩具
     風車 古ハガキを二つに切ってたけ      差が大きい・ 使えない程多くある
    に張って風車をつくりで遊んだ事、山」       使わないものもある
    に行って「かち・鳥」の罠を作り遊ん
    だ事                      昔と比べてレベルが違う 
    杉鉄砲や紙鉄砲・銀玉鉄砲など作って 
    遊んだ
    想像力や工夫をしてつくる為忍耐心が


おやつ 僅かな・粗末なもの 手造り サツマ    ・昔に比べて種類が多く高級品等もある          イモの蒸かしたもの・生のものなど、椎の実        
    与えられたもので我慢する               好き・嫌いして嫌いなものは・・・
    兄姉の使ったものを貰って使う。物を大事に使う     個人用として独占している 
    様になる。 教科書なども兄・姉の使った本を貰
    使っていた。 新しく変わった処には墨を塗って   
 
※ 欲しがるものは全て与えると・逆境の時に為す術を知らない。用なしの人間を育てるには
      欲しがるもは、何でも与えると良い。  
     
       苦労して得たものは大切にして使う















3日坊主の古い日記帳より 抜粋

2012年11月15日 17時22分45秒 | 日記

            11月15日  
   私はメモはよくとる方です。然し日記になると長続きしません。勤めを始めてから何時の頃かは分かりませんが、一年間の日記手帳を、持つようになりました。

 新しい手帳の中に、家族構成をはっきり明記する。父親ほか家系の人たちの、生年月日今年の年齢・命日と等も記録しておく。そうして常に、携帯するようにしていた。それと合わせて必ず手帳に,何時でも何処でも記録するようにしていた。
 これが実行できていれば、永久保存版として残せるのですが。何と中身は後で読み返して、残されるものはほんの僅かしかない。(ポケット用と、普通の日記帳のどちらも同じ傾向の中身)恥ずかしいし、人には見せられない。
 其の日記帳を整理しようとして、中々できないで困っています。中に1~2あとで読みたい記録もあるのです。其処で今回それを整理し、必要内容をきちんと記録して後破棄する事にした。
 では其の平成2年4月一日の記録から抜粋した記録を
来なくてよい4月一日が遂にやって来た、来なくても良い来るなと思っていた4月1日が。天はすべてに公平ですので、仕方のない事なのだ。
 今までのものを整理しようと思っている、それが出来ないのである。 ① どうし出来ないか ② 何故出来ないか  ③ 其の訳が分からない等々である。
 人間が生きて行くと言う事は、自分の生きて来た過去を引きずって生きて行くことである。・・・・
 今日は夫婦揃って夕飯を食べに行こう、と準備しているところに
洋服に着替えて。バスの時間を二人で相談しながら春の選抜高校の野球を見ている矢先の出来事。
 リーンリーンと電話のベルの響き、電話に出ると一緒に勤めた沼口教頭から「森林公園で花見をしている」から来ませんか、と誘いの
其処には、婦人部の中浜さん・高田さんがいるとこんばんは二人で夕飯を食べに行こうと、断りの電話をしたが すぐに思い直して行く事にした。

 桜花見もいいものだ、近所を見ると近くには黄昏が、花曇りもやがては晴れての、おでんやカラアゲ弁当、花見日和に、花見時お酒等も売っている、櫻の花も今を盛りと咲いている。

 通りがかりに、花見も出来る。電燈に照らされ、桜は真上に枝を広 

げ敷物等もちゃんとある。空いっぱいに、今を盛りと咲き誇りさすがは都会の花見かな。枝の隙間に三日月は、花見場所かはずかしそうにひっそりと遠慮なそうに眺めてる。

  其処に息子の嫁の両親が、通りがガリに・・・
     散歩がてらに通り行く
     なんと不思議な事だろう
     チョットビールを一杯と
     勧めて見たが 遠慮され

こんな事もあったかいな、ああそうだったなー 
随分遠い事のようだなあ しかし懐かしい思い出の記録である。

1990年4月1日の記録より













夜校長室の机でひとり

2012年11月13日 18時29分39秒 | 日記
          11月14日 水曜日      

33年間勤務した平成2年3月31日の日一人で!!!いよいよ今日が最後の日である。

  33年間勤務した職場を去るのである。
  12045日間もの永いあいだ  
  其の間の出来事や、色々な思いが脳裏を駆け巡る
  まるで宝石箱を 棚から落としたように
  周囲に散乱している
  その中で最後の萩ケ丘小の9年間の思い出が
  次から次へと、限りなく駆け巡る
  入学式 そして卒業式・・・
  体育会のこと 夏の暑い夜
  広いグランドでの子供会のキャンプ
  キャンプハイヤーを汗だくだくでした事
  暮れの中庭での保護者を交えての 餅つき大会
  自然教室での肝試しや 多くの子供達と一緒にお風呂に入った事など
  暑い夏休み 一人で作った玄関前の  
  樹木の間に作った子供の探検遊歩道  
  子供が自由勝手に、探検できる、
  コオロギやカマキリなどの住みか
  春にはメジロや鶯も
  夏には蝉が・秋にはコーロギがいて
  小さい子供の探検場所・遊び場だ
  其処には職員が手作りした水車が回っている
  三棟ある校舎の廊下には職員の作った
  北九州の立体地図模型など
  沢山ある、
  先生たちが子供の為に作った宝物
  どれもみんな手作りの教材で
  勤務外に作ったものばかり
  何時までも残してほしい
  制作した先生方に感謝の気持ちで一杯
  感謝・感謝 頭は下がる

  思いはめぐる 次から次はと  
  もう帰ろう と
  これが最後であると思うと
  明日からは
  今日という日が
  此のひと時が
  これから残された人生の
  一人で何時までも
  思い耽った此のひと時が
  私の脳裏に
  私の思い出の宝よ
  光輝け 萩ケ丘小よ
  何時までも
  
  1990年3月31日午后9時47分30秒この瞬間を



 

食うか食はれるか その2

2012年11月12日 21時36分14秒 | 雑学
            11月12日月曜日 
 
 人間は如何にして、動物のトップになりえたか。
 
 人間が他の動物と同じ様にドングリや,椎の実を食べて海辺で貝を採って食べていた頃から、集団で狩りをし農作物を作って食べるようになる迄にどんな生活の変化があったのでしょうか。

 多くの動物はボスを中心に、集団で生活をしています。ボスは集団を守る為に、敵との戦いの先頭に立って勇敢に戦います。集団員はボスに従って皆戦います。

 その代償として食べものはボスが最初に食べます、食べる順序も決まっています。種族を残す為交尾期に成るとメスをめぐって激しいオス同士の戦いが始まり、其の戦いに勝ったものがメスと交尾出来るのです。負けたオスは集団を去るか・ボスに従うしかないのです。

 さて人間はどうでしょうか? 人間は狩りを一人でしても、長期間に亘って家族を養う事はとても出来ないと思います。

 其処で集団生活がされ、役割の分担がされる様になりました。女は子育てや、家庭内の仕事を分担しました。男は狩りや集団を守る為の弓矢を作り、全員で分担を決め厳しく戦い集団を守って来たのです。そうする事によって強い肉食獣等に、に打ち勝ってきたのだと思います。

 若し人間が動物と同じようにボスを中心に、女性を巡って死にもの狂いで戦い其の戦いに勝った者がボスになる。女性は自分の妻として集団に君臨すると、狩りの役割分担や集団の掟は守れなくるでしょう。

 交尾期がなくなり・・・・一夫一婦制が定着し、妻は自分の夫に尽くし夫は妻を守り通す。それが今の様に成るまでには色々の確執や変遷があったと思います。

 このように集団の中で役割分担をし、力を合わせ厳しい決まりを守って命がけで猛獣から身を守り戦い、勝ち残って来たのだと思います。



 以上は戸川行夫の著2巻を参考にて、私の雑学で文の内容を構成いたしました。 
  ひとはなぜ助平になったか 性談どうぶつ 戸川行夫著
  ヒトはなぜ子育てが下手か 親子動物記  戸川行夫著 講談社出版 どちらも1200円 を読むとよくわかります