82歳からの旅

私の記録

整骨院で体の治療を

2012年11月10日 20時42分59秒 | 私の健康
             11月11日日曜日  
 

 私は5~6年前頃から腰が少し曲がりかけてき、腰椎も少し痛みを感じていました。それで整形外科に行き何回も、診察してもらいました。其の結果はもう「歳が歳ですので、仕方がないですね」おまけに「顔の皺を治して、と言うようなものですよ?」と言われたのでもう諦めていました。

 妻の和子が膝の痛みがひどく、治療の為近くにある整骨院で治療しています。私が車で送り迎えしていますので、私も治療を受けるようにしました。  

 約4か月通った今腰の曲がりは、若干良くなって来たように思います。腰椎も少しずつ良くなっている様な気がします。其の整骨院は予約制で,其れが中々予約が毎日は取れません。3日か4日位なら受け付けてくれます。

 しかし土曜日や祝日明け月曜日は、もう予約で一杯です。治療は時間通り約20分位で済みます。近くに在る事や待ち時間が短いのが、患者の私にとっては好都合です。それで毎日の様に、治療に通っています。

 此の治療の為に、私の生活のスケジュウルが決められます。今までは私の意志や好みで,決められていた一日の生活に大きな制約が出来たのです。

 パソコンやバイオリンの練習、畑仕事 池の掃除( 囲碁・読書TVの時代劇を観る) 等が思いどうりに出来ません。それで毎日がぎごちないようで、一日がすぐ終わってしまいます。その上どれも始めると、時間のかかる事ばかりです。

 私は何か始めると熱中する性格です、それで何かを始めると遂次の事を忘れてしまいます。大事な会合の出席の返事を出して、忘れて後でお詫びをして会費を届けますそんな失敗は何回もありました。

 それでも癖は治りません、妻が家に居る時は安心するので妻から( 時間の観念がない・呆けよるよ)と何時も叱られます。こんな生活をしていきながら、やがて召されて天国に行くのでしょう。私にとって天国はもうすぐ其処のようです。閻魔大王が大手を広げて、一丁目あたりで待っていますよ。  















食うか食われるか

2012年11月08日 21時45分50秒 | テレビを観て
              11月9日木曜日

   テレビでアニマルプラネットの番組がある、内容は主に動物の生態の様子が多いようである。その中でアフリカの砂漠に住む、動物たちの生きて行く姿がリアルに写し出されている。
 
 草食動物と肉食動物(他の生き物を主食とする)の生き様は、将に食うか食われるかである。其の為に毎日の生活は種族を守り、如何にして種の食を徴奪をするかである。

 ある種は集団をつくり、集団で行動することで種を守っている。その為には他の種からは見えない掟があり、それを守らないと集団の中には入れないのである。

 又生きて行くためには必ず水が必要であるが、砂漠地帯では水を求めるのも大変な事である。干ばつになると僅かな水を求めて、全ての生き物が移動してやってくるのである。幾日も幾日もかけて・・・・・

 又長老の動物は本能的に、何処に行けば水があるか知っていて長旅をして集まってくる。途中で倒れて死ぬ動物も多くいるが、途中で来る動物を食べようと待っていてる動物もいるのです。

 たどり着いた処には肉食動物もいるし、草食(食べられる動物)もいる。この様な厳しい環境の中で、生きていくのです。そんな中弱い子供を守る為や、種を守る続ける為に命を懸けて戦いながら生きているのです。

  一場面を紹介いたしましよう・・・・河を渡るムーの群れの中の、群れから逸れた一匹のムウにワニが噛みき戦う場面があります。(必死で逃れようとするムー、何とか水の中に引きこんで食べようとするワニ)。足を銜え水の中に引きずりこもうとするワニとの永い永い戦い、命がけで逃れようとするムー どちらも必死で少しの隙も許されません。命がかかっているから・・・

 一瞬水の中に体ごと引き込まれたムー、暫くして水から出てきたムー「あー良かった助かった。」河から陸地に上がるまでには高い土手がある、それを傷ついた片足でよじ登るムー。何回も土手を攀じ登りながら落ちて河の中へ、それでも挫けづに立ち上がるムー。

 
  将に生きる事の厳しさを,目の当りにして・・観客の胸はなるのです。私達人類の祖先もこの様に真剣に命がけで、必死に、他の動物との厳しい戦いに勝ち残って生きてきたのです。

 私達は祖先が生きて来たように必死にそして真剣に、生きて行かなければいけないと思った。
 生きると言う事は生半可な事ではないのです。 




















心の中にあるたくさんの絵の中から

2012年11月08日 08時33分22秒 | 友人
             11月8日

 私の心の中には、沢山の絵を直しています。誕生してから今日に到るまで、82年間もの永い永い間一生懸命に書いたその絵を・・・

 一日一枚一枚,いや何枚も書いた日もあるのよ。それを一つ一つ整理しなおして、置きたいと思うのです。妹は言いました、生活に関係のないものは捨てるのよ。・・・・・・・・確かにいらないものは皆さんは、捨てて生きて来たのです。でも誰もまだたくさんの絵を、残しているのです。では残った絵を、私はどうしようかな?

                 心に残る一枚の絵から

 沢山ある絵の中から、小学校一年生の時の絵を一枚だけ出してみます。入学前に伯父さんから貰ったランドセルです。それは紙と布で作ったランドセルでした、戦争の始まる前で物のない時でした。( 昭和12年7月7日から昭和20年の8月15日迄戦争の明け暮れで何もかもない時代でした。私が7歳から15歳のときでした。)

 家の人に見せるため、ランドセルを背負って家の中を回りました。鏡の前に立って見ました、夜は枕元に置いて寝ました。何しろものの無い時に、自分のものがと突然に出来たのですから、それに一年生に入学出来る嬉しさとで一杯でした。我が家に春が来たのです、春が来た 春が来た 何処にー来た 

 「 思いだしました未だ伯父さんにお礼も言っていないのです,今度伯父さんの家に行って丁寧にお礼を言いましょう 」
 
 その時の嬉しさが、今の私を育てるスタートだったのでしょう。とても良いスタートだったと思います。これから始まる人生のコースを、間違うことなく走り続けたのです。この絵を大事にしてこれからも、生きて行こう












 私の書棚の中にある過去の・文化生活の・残骸は

2012年11月07日 08時40分00秒 | 日記
         11月7日水曜日
 私の書棚の中にはカメラの使えないもの、ビデオの使えないもの・・・等々です。
 
 テープレコーダのミニの録音セットが出た時に,早速買って講演会で録音しました。宴会などの後に2次会に行って、自分の好きなカラオケをならしたりして楽しみました。


  グループでホテルに泊まった時等、風呂の傍に置いて、いい気分で歌いながら温泉に入った事もありました。

 ビデオもそうでした,「VHSよりもやがて8ミリが主流になりますよ」、との業者の言葉に誘はれ8ミリ撮影のビデオカメラを買い写真を撮りました。

 今では其の時撮影したテープが本棚に、行儀よく並んでいます。その為にVHSト8ミリ両用使える高い、テープレコーダも買い使いました。

 今はそれがCDに変わり、テープはメモリーに変わりました。若い頃記録にとったフイルムが、ドカッと本棚を占領しています。

 それだけなら良いのですが、8ミリビデオデッキは、子供にやって自宅では見られないビデオテープが本棚で威張っています。

 科学の進歩が速すぎるのです、いや私が先を見る眼がなかったのです。私だけではありません、今何処の家に行っても沢山あります。

 新しい商品をどんどん作り、それを買わせて産業界は成り立っているのです。ああそうだったのか、慌てて買った自分が到らなかったのです。  

   こんな事の連続ですよ私の生活は   















二人分の幸せを生きるには

2012年11月06日 15時51分09秒 | 雑学
          11月6日火曜日

 弟は高校を卒業して上京し、苦学しながら自分生涯の生活の夢見ていました。以来働く事一筋に生きてき、定年退職後は、千葉県の木更津市に家を新築して年金生活をしていました。

  弟は私に比べると几帳面で真面目です、だから自分の身に合った遊びもしませんでした。  

 そんな弟を見ていると、弟が不憫でなりません。運悪く痴呆になって今はグループホームに入所しています。

 何とか普通の生活が出来るようにと、思い色々と努力しました。

  幼児の本や小学生の学習もさせましたが、今はグループホウムで痴呆に合った生活をさせています。

 そこで私は弟の分まで、生きる事を考えました。その為に私一人だけの幸せでなく、弟の分まで幸せに生きようと決心しました。

 私は父母が自分の生活を犠牲にし、私を育てたからには人より2倍も3倍も幸せに生きる覚悟です。その上に弟の分まで幸せに生きなければなりません。

 これは大変な事ですがそれが、父母や弟に対しての私の役目だと考えています。

 弟の分迄幸せに生きる事、これが今後の私に掛けられた課題で在ると思う。