最近、おつかれ、おれ。と、コンビニで手に取る缶ビール。奮発して新製品のAsahi Bitter Premium。風呂から上がって缶を開けている最中なのでございますが、これ、めちゃくちゃうまい。世の中にでてからこういう酒が普段から手に取れるような大人になるために、明日も勉強がんばろう(笑)。医大生・たきいです。
バイト先の塾で暇だったので、本棚にあった、推薦入試やAO入試の対策本的なのを眺めていた。「アホでも・オッケー」とか毒づかれることもあるAO入試であるが、小論文が課されることが多いのが特徴のひとつともいえよう。この大学は一般入試しかないが、小論文は筆者が今いる大学の入試でも課されていた。受験生当時は今いる大学に進学できるとは思っていなかったなどの事情により、小論文対策はほぼ皆無なまま受験に臨んだものだ(笑)。その割には結構な高得点を取っている。浪人時代の友だちで医学部に進学した人のほとんどは、小論文の授業も取っていたのだが、斜に構えてそんなものは受講していなかった。現代文の授業は真面目に受けているんだからよかろうという思考回路で、さらに時間を割くのが無駄だと思っていたのである。とてつもない自信だ。
というのも、若かりし頃の筆者は作文で全国5位の表彰状をいただいたりしたこともあってか、自分はそこらへんの受験生とは段違いに作文がうまいと思い込んでいたこともある。浪人時代に書いていた文章を今になって読み返すと稚拙すぎて恥ずかしくなるのだが、一応毎日作文を書く習慣があったので勘も鈍ってはいない。故に大学入試の作文ごときになにも怖いものはないと思っていたのである。
その本に書かれていたことには、小論文が大学入試に導入されたのは、医学部が初めてなのだという。答えがひとつではない問題に対処する力を見るのが目的という、表向きな、それこそ「作文」の主張が出題者側の意図としてはあるようだが、乱暴な書き方をすれば医師になるうえでの人格不適合者の排除が目的とされているような気もして怖い。医学部に面接がふつう課されているのはこのような事情によってであり実際のところ大多数の人にとっては合否には影響しないという説もある。
小論文対策として一貫して綴られていたことは、「自分がたかがガキであることを自覚して、大学の講師陣たちに読んでいただける」ような文章を頼むから書いてくださいね、ということである。大胆すぎる要約だが。いわば、何かネタを一つ用意して、そのことに関して主張を一貫させて、文章の表現には穏やかなものを使いましょうというところである。
何も小論文対策をしていなかったとはいえ、高校在学中に全員受験の小論文模試のようなものは受けさせられたことがある。男子高だったこともあってか、みんなあまり真面目にやっていなかったこともあってか、確かクラスでは一番点数がよかった気がしたが、それでも低い点数に腹が立った記憶がある。採点のバイトをなさっているオバサンよりも、俺の方が楽しい文章書けるのにふざけんな、といった具合にである。
しかし、小論においてはこういう怒りがよくないのである。減点された箇所。たとえば、普遍的な事実を述べるときに修飾語として用いた「…というのは書くまでもないことではあるが」、というところで確か減点されていた。これ、冷静に見ると若造に言われると腹が立つ表現なのである。こういうところだ。下手に出て文を書けることが、小論を書けるということである。
「自分の主張をはっきりと」とかよく言われがちなウザイお言葉である。しかしこれ、ネタを用意しておけということだ。出題文とか出されても、自分のネタに話を持っていく過程が、一貫した主張というものをかたちづくるのである。そう、だから小論対策には結局は毎日ブログを書くことが手っ取り早い。
筆者のブログ。よく毎日そんなに更新しているね、とプライベートでよく言われる。確か昨日も言われた。しかしそのほとんどは15分くらいで書き終えているし、ネタを一つでも探せて来れれば書けるのだ。訓練すれば誰だって書けるようになる。
それにしても作文とは人から「書け」と言われると面白みが半減するものだと思う。読書感想文も然り。であるから、もう少し若手のブロガーというのも数が増えてもいいものだと思う。うちの学長も毎日日記をとか実はよく発言しているのである。人のブログを読むのもいい。しかし、自分で書くのはもっと楽しいに違いない。是非あなたも始めよう。笑
(真面目に漢文を勉強することになった人(笑))
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