4.
フォーラムの講演は、図解と要点を箇条書きにしたパワーポイントによる見やすくわかりやすい内容だった。フォーラム全体も実に淡々と手際よく運営されていて、協賛の医薬品会社が作った乳がん患者のためのパンフレットまでが3冊セットで配られ、無料にしてはあまりによくできすぎているように思えた。 . . . 本文を読む
3.
こうして、同病者の前向きな闘病の姿には勇気づけられていたが、自分の具体的な悩みとなるとなぜか話は別、逡巡は続いていた。女性ホルモンを抑えることにより冬の間中冷えに悩まされた私は、相変わらずホルモン療法に懐疑的になりがちだった*。 . . . 本文を読む
1. 事件が続き、波瀾万丈の日々を送っていた2006年の春から初夏にかけて、私はがんに関するシンポジウムや集会に顔を出すようになった。なんとか自分を保つために、自分の悩みや苦しみを共有してくれそうな人たち、つまり同病者の生の声を聞きたかったのだ。 . . . 本文を読む
44.
朗らかな人の周りには、自然に人が集まる。暗くしていると、自然に人は離れて行く。だから私は、落ち込んでいるときでもそれを覆い隠し、無理して明るく振る舞おうとしてしまう。実際、父が難病を告げられた明くる日でも、何食わぬ顔で同級生のオフ会に幹事として参加していた。でも、それは自分自身を奮い立たせる行為であると同時に、自分を偽って無理している行為でもあることに、私は気づいて気づかぬふりをしていたのだ。 . . . 本文を読む
43.
そんな根暗な思考回路から抜け出し、視点を転換したいとき、私が思い出すようにしているのが河合隼雄氏の言葉だ。2005年4月末、ある福祉のTV番組でうつ病について語っていた内容がとても印象的で励みにもなったので、ここに紹介させていただく。 . . . 本文を読む
42.
こうして、波瀾含みの6月は検査やその結果を聞くために何度も通院することになったが、N医科大学付属病院の女性診療科の担当医も内科の担当医も、皆Y先生同様に感じがよく、患者に敬意を払って接してくれたことは、何よりありがたかった。 . . . 本文を読む
40.
次に、ホルモン治療を始めてから即座に止まった生理が、1年2ヶ月ぶりに復活した。ホルモン治療薬の「タモキシフェン」*を使っていると子宮体がんの罹患リスクが高くなるので、最初は不正出血かと思ってぎょっとしたが、どうやら生理のようだった。 . . . 本文を読む
39.
2月に義父の認知症騒ぎに始まった不穏な日々は、見てのとおり半年近く続いた。これら大事件の他にも、給湯器が故障したり、振り込め詐欺から電話があったりと、波瀾万丈のてんこ盛りだったのだ。信仰心のない私ですら、お祓いをした方がよいのではないかと真剣に思うほどだった。夫が腸の内視鏡検査の結果事なきを得たのは何よりの朗報、暗黒の日々の中の一条の光だった。 . . . 本文を読む
36.
4月になった。手術からちょうど1年が経ったことになる。去年満開の桜を病棟から眺めたことを思えば、今年はまだ平和だといえるだろうか…。
ところが、私が心のよりどころにしていた絵門ゆう子さんが、闘病の末に亡くなってしまった。急に連載の文調が変わったので心配していた矢先のことだった。 . . . 本文を読む
35.
しかし、ただでさえ、がん患者はがんになったことで自分の免疫力に自信をなくしているし、そもそも、がんが発症した時点ですでに免疫力を極限まで落としてしまっているのだ。免疫力を上げることでがんを防ぎたい気持ちは山々だが、がんの再発や転移を防ぐに充分なほど、しかも自力で免疫力を上げるのは、想像するより容易ではないかもしれないと、もう一方で考えてしまうのががん患者の心理でもあると思う。 . . . 本文を読む
34.
自分が冷えその他の副作用を感じるばかりではなく、それは血液検査の結果にも表われていた。血小板は標準値下限から外れたままだったし、白血球の全体量はすでに標準値に戻っていたが、白血球中のリンパ球と顆粒球のバランスが悪いままだった。 . . . 本文を読む