えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...ありのままに、ユーモラスに......♪

映画「ひめゆり」を観て

2007年08月11日 | 雑記
 映画「ひめゆり」を観て来ました。

 このドキュメンタリー映画は、第2次世界大戦の本土決戦の舞台となった沖縄で、兵士たちの看護に濠内で当たった当時の女学生たちが、戦後50年も経ってから重い口を開いて語った当時の真実を、柴田昌平監督が13年かけて記録し、まとめたものです。

 自分たちの体験をきちんとした形で映像で記録したい、遺言として残したいという彼女たちの想いが、半世紀にわたる苦悶の殻を打ち破らせたのかもしれません。

 重い重い荷物を戦争の生存者として背負って生きてきた彼女たちが、淡々と、あるいは感極まりながら、ときには凄烈に語った内容が、静かに厳かに編集されています。淡々と流されているだけに、その真実が投げかけてくるものの重さがひしひしと伝わってきます。冒頭に流されているマーラーの交響曲第5番第4楽章の切ない旋律とともに、哀しく重い余韻が残されました。

 彼女たちが語り始めるに先立って、やはり当時の経験者たちが戦争の悲惨さを「風化させたくない想い」から作ったのが「ひめゆりの塔」だそうですが、いまだにそこに足を踏み入れられない体験者もいるそうです。

 語り部となった方々の勇気と「伝えたい想い」に心から敬意を表すると同時に、いまだ語ることのできない方々の苦悩が存命の間に少しずつでも軽くなることを、祈るばかりです。

 語り手の方たちは、私の母とほとんど同い年です。やはり当時女学生だった私の母が、学徒動員で呉の工場で働かされていた頃、彼女たちは沖縄で悲劇を体験したわけです。私は、母から聞いている被爆体験を自ずと重ね合わせながら、この映画を観ました。(私の母の「伝えたい想い」を形にしたのが、妹がつい先ごろ出版した絵本『ピンク色の雲』*です。)

 沖縄の語り部何人かが語ったことと、私の母が語ったことで共通していたこと...それは、生きるだけで精一杯だった日々、ふるさとや残してきた家族に思いを馳せながら、童謡の『ふるさと』を歌ったということでした。

 時を同じくして違う場所で戦争を経験した彼女たちが、同じように重い口を開き、後世に伝えていこうとしていること...戦争の真実やその裏にある国民一人一人の想い...その重みを、私たち後に続く人間は決して軽くしていってはいけないのだと、強く思わされました。

 機会がありましたら、みなさまも一度ご覧になってみてください。 

* 過去ログを参照してください。http://blog.goo.ne.jp/takuetsu1958/e/d34910e392ed2d53998088090fbfbf07




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