えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...ありのままに、ユーモラスに......♪

第5章 放射線治療 32.

2007年08月11日 | 乳がん闘病記
32.
 7月に入った。放射線治療が終わって少し経った頃から、皮膚の赤みが徐々に増し、乾燥も進んだ。
 2005年7月16日。月に一度のY先生の診療日。患部を見た先生は、「やはり塗り薬を使った方が楽になるのではないですか?」と言った。赤ちゃんでも使える保湿クリームを処方すると言う。私が前回「ステロイドはあまり使いたくない」と言ったのを覚えていたのだろう。「赤ちゃんでも使える」という言葉に安心して、今度は処方を受け入れた。でも、そんな薬でよいのなら、あのとき処方できることを伝えてくれたらよかったのに…。薬局でもらった説明書を見ると、「患部の血行をよくして、血行障害による種々の皮膚症状を改善するための薬」とあった。

 その3日後、薬をつけ始めたのにいつまでもヒリヒリするので疑問に思い、よく観察してみたら、皮膚が再生し、新しい柔らかい皮膚が見えてきていた。このときは新しい皮膚ができてくれさえすればそれでよいと思っていたので、単純に喜んだ。

 その頃は、退院後と同じように、心身ともに虚脱状態に陥ってもいた。5週間もの週末を除く連続の通院を無事終えて、緊張がほどけて疲れが出たのだろうし、治療自体の目には見えにくい副作用やホルモン治療の影響もあったのだろう。また、それまでは目先のことをこなすのに精一杯だったが、逆にそれが目標にもなっていたような気がする。治療に一区切りがつくと、暑くなったのと時期も重なり、だるくて体が動かなくなってしまった。

 ―何か次の目標を見つければ、また動けるかもしれない…― そこで、それからしばらくは、お見舞いを寄せてくれた友人や妹にお礼の気持ちを返そうと、品物を選ぶついでにウィンドウショッピングしたり、手作りに精を出したりすることで、気を紛らわせた。それと並行して、免疫力を上げるために免疫学の本を読み始めた。また、発病以前は読むのが怖かったがんに関する新聞記事によく目が留まるようになり、スクラップも始めた。同じ理由で以前はほとんど見なかった番組も、テレビで追うようになった。

 そんな日々の中で、放射線治療の前にはM先生にもY先生にも説明されなかった副作用を知ったり、治療中に受けた説明の裏づけが確認できたり、浮かんだ疑問が解けたりした。そのことが、私の中で次第にある大きな疑問へとつながっていく……。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 妹の出版 ~被爆体験を語り... | トップ | 映画「ひめゆり」を観て »

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

乳がん闘病記」カテゴリの最新記事