2011年4月2日付の朝日新聞朝刊に、「東電や社員への苦情や脅迫、嫌がらせが目立ち始めた」という記事が出ました。
電話相談を受けつけるコールセンターには連日苦情や抗議が殺到、渋谷にある東電のPR施設である「電力館」の壁に落書きされたり、役員の個人データがネット上に流されたりしているといいます。東電が社員の安全を守るために社員寮の表札から社名を消せば、「さすが隠蔽のプロ」などといった書き込みがネットでされているとか。これらにより、社員やその家族までもが肩身の狭い思いをし、まいっていると...。
それに対し、九州大大学院教授(社会心理学)の山口裕幸さんが「こうした感情的行動は解決にならない」、今回世界から賞賛された国民性を自ら否定する行為だと同記事内でいっていますが、まさにその通りですね。
東電幹部への不満は誰もが否めないでしょうし、事故収拾の目処が立たないことへの不安や苛立ちや怒りの矛先が東電に向いてしまうのはわかりますが、一般社員にまで矛先を向けるのは妥当ではないと思います。むしろ、一般社員は事故収拾のために全国から借り出され、劣悪な環境の下で命を懸けてがんばっているのですから、いじめの標的にして萎縮させてしまっては、むしろ逆効果や悪循環を生むことになりかねません。
落書きしたり、ネット上で誹謗、中傷している暇があったら、その時間とエネルギーをマイナスエネルギーとして使うのではなく、プラスのエネルギーとして使ってほしいです。
近年、私たち大人世代が他人の目に余る行為を注意しなくなった、できなくなったといわれていましたが、こういうときこそ、勇気を出して「それはよくない」「それは違うでしょう」と声を出していきたいですね。
そして、老いも若きも、国民全員が原発による電力供給を享受してきたという紛れもない事実を、いつも忘れてはならないと思います(^_^;
自分にも言い聞かせているtakuetsu@管理人でした。
4.3追記:この記事は、最初は「東電を批判している場合?」というタイトルで掲載しました。
電話相談を受けつけるコールセンターには連日苦情や抗議が殺到、渋谷にある東電のPR施設である「電力館」の壁に落書きされたり、役員の個人データがネット上に流されたりしているといいます。東電が社員の安全を守るために社員寮の表札から社名を消せば、「さすが隠蔽のプロ」などといった書き込みがネットでされているとか。これらにより、社員やその家族までもが肩身の狭い思いをし、まいっていると...。
それに対し、九州大大学院教授(社会心理学)の山口裕幸さんが「こうした感情的行動は解決にならない」、今回世界から賞賛された国民性を自ら否定する行為だと同記事内でいっていますが、まさにその通りですね。
東電幹部への不満は誰もが否めないでしょうし、事故収拾の目処が立たないことへの不安や苛立ちや怒りの矛先が東電に向いてしまうのはわかりますが、一般社員にまで矛先を向けるのは妥当ではないと思います。むしろ、一般社員は事故収拾のために全国から借り出され、劣悪な環境の下で命を懸けてがんばっているのですから、いじめの標的にして萎縮させてしまっては、むしろ逆効果や悪循環を生むことになりかねません。
落書きしたり、ネット上で誹謗、中傷している暇があったら、その時間とエネルギーをマイナスエネルギーとして使うのではなく、プラスのエネルギーとして使ってほしいです。
近年、私たち大人世代が他人の目に余る行為を注意しなくなった、できなくなったといわれていましたが、こういうときこそ、勇気を出して「それはよくない」「それは違うでしょう」と声を出していきたいですね。
そして、老いも若きも、国民全員が原発による電力供給を享受してきたという紛れもない事実を、いつも忘れてはならないと思います(^_^;
自分にも言い聞かせているtakuetsu@管理人でした。
4.3追記:この記事は、最初は「東電を批判している場合?」というタイトルで掲載しました。
オール電化を勧める東電が電力供給の義務を果たすのは当然のこと。それが果たせそうにないなら劣悪な環境下で頑張るのも当然のこと。それに、福島に行ってるのは東電全従業員のわずか1%です。
批判さえ許さない意見には恐怖を覚えます。
投稿した後、タイトルをつけ間違えたかな?と思っておりました。
確かにおっしゃるとおり、批判と嫌がらせは全く違うものですよね。
私の文章が未熟だったかもしれませんが、私の主旨は「がんばっている社員をいじめてもプラスのエネルギーにはならないのでは?それはやめましょう」「自分たちも原発による電気を享受してきた&こうなるまで東電を牽制できなかったのだから、自分を棚に上げっぱなしじゃいけないのでは?」ということで、東電を批判するのを止めましょうと言っているつもりは全くないのですよ。
私自身は東電の幹部にはもちろん批判的です。言いたいことは山ほどあります。
でも、批判するなら建設的な批判をしたいと思っています。今はそれができるほど自分が勉強していないので、まだできないだけで...。
今さらタイトルを変えるのも変ですが、やはり誤解を生むのでタイトルを変え、その旨を追記で記しました。
それでも、記事の内容から受ける印象は同じでしょうか?
サルコジさん、見え見えですよねぇ。日本にがんばってもらわないと自国の電力事情が危うくなりますから、必死なんでしょうね。アメリカもしかり。
フランスが事故早期にホウ酸100t、防護服1万着送ると言ってきていましたが、あれは支援という名のもとの半ば指示だったのでしょうね。とりあえず人海戦術でなんとか止めろという...。
淡水の藻の光合成を利用した発電? 初めて聞きました。大きな電力につながるのでしょうかね。淡水なら津波の被害を想定しない場所でできるので、大きな利点ですね。
変な方に向かうことが
一番、恐いですよね。
皆、
同じ方向を向かねばなりません。
・・はなこころ
でも、下手すると、国家権力にねじ伏せられたり、マインドコントロールされたりして、いつのまにか皆で変な方向を向いてしまうことだって、大いにあり得ます。気をつけなくては...ね。
時々こちらのブログを拝読させていただいている者です。
読ませていただいた記事に同感です。
東電に対する不満を嫌がらせというカタチでぶつけても、
事態はまったく改善しないどころか、嫌がらせ自体はただの犯罪ではないかと。
嫌がらせをする為のエネルギーは、仰るとおりもっと別のところに使ってほしいものです…
わたしにも東電に対する批判的な気持ちはもちろんありますが
批判するにしても、自分達の電気に頼った生活も同時に振り返っていかなければと改めて思っています。
震災からこの方、多くの方がそうであるように、私も自分に何ができるか毎日考えながら過ごし、記事内容にも悩みながら更新してきました。ブログ書いている時間があったら、他にできることがあるんじゃないか...とかね。
でも、こうして賛同していただき、自分と同じ回路で考えてくださっている人がいることを知ることは、本当に励みになります。前に進む勇気が出るのです。
ということで、記事にしようかどうしようか迷っていた考えを、これからまとめてみようという気持ちになりました。ありがとうございます!
ぜひまたお寄りくださいませ(#^.^#)
安全性が万全ではないことを予感しながら、その対策を採るでもなく過剰な安全宣伝でもって他人も自身もごまかしてきたツケが出たのです。確かに現場の末端社員に責はないかもしれませんが、ある程度の管理職・幹部社員(大卒採用以上と考えます)は責を追うべきです。かつてずっと電力会社は就職先として一流とみなされ就職希望者も多かった訳ですが、私の大学時代の同級生達には「電力会社は話を聞きに言ってみると、どうも原発周辺が胡散臭いよ(過剰な安全宣伝や技術的問題や被爆問題の隠蔽などの件です)」と言って内定を断ったりした者もいます。と言うことは逆に就職した人間はそれを承知だったと言うことになりますし、大卒で管理職要員で入る人間であれば「俺はそんなこと知らなかった」という言い訳は許されないと思いますよ。ある組織に就職すると言うのはそういうことです。そうでなければ、自分が直接手を下さなければ、犯罪集団に就職しても良いことになってしまいます。
(そして、そのような安全軽視の運営をしながら給与も良い=キャリア公務員の3割から4割増でしょう
国際的に見ても、このまま「東京での慮雲被災者だし、、」というような態度を日本国民が取っていれば、国民全体がこの原発災害を引き起こした存在として東京電力と同次元の存在と見られかねません。原発災害に対しては『一億総懺悔』のようないい加減な対応でなく、東京電力という組織とその構成員にきちんとした責任を取らせる(=落とし前をつけさせる)事をしない限り、日本は世界に対する国家的責任を果たしたと言うことにはならないと思います。(もちろん、これは最低限のことで、もっとすべき事は出てくるはずですが)
やはり、いじめは良くないと思うものの、東京電力に対しては
(1)いい加減な原発運営をやってきた責任についてはしつこく追及する。この点、多額の広告料を東京電力からもらっているマスコミはあてにならないので、ネット等でしつこく発信すべきです。
(2)末端現場社員を叩いてもしょうがないが、会社の全体的ポリシーを理解した上で入社したとみなされる(たぶん大卒採用以上)管理職は大幅な給与カット(国家公務員を基準にその8割程度でよいのではないでしょうか)、上級管理職は退職、関係上級管理職・役員は懲戒解雇、といった責任を取らせる。
といった事が必要になると思います。
「こんなブログに自分の意見を載せても、結局は自己満足にしかならないのだろうか? もっと形のあるエネルギーに変えられないか?」と自問自答しながら日々更新しているのですが、こうしてご意見をいただくと、やはり無駄ではないのかなと思い、意見を発信し続ける勇気をいただけます。
自分とは違う意見にも耳を傾け、それについて考える...とても大事なことと思っております。
さて、本題ですが...ご意見を伺っていて、私自身が感情論に傾いていることがよくわかりました。
「東京電力は被災者」論はとんでもないと思っておりますが、自らが被災者だったりしながら現場で作業せざるを得ない末端社員(多くは子会社、孫請け会社の社員でしょうか)に対し、どうしても同情的な気持ちになってしまうがために、全社員の中の線引き=「どういうポジションから上が幹部側か、どこから下が責を問いにくい組合側の社員か」という点で、甘めに見ていたことに気づかされました。末端社員を利用して私腹を肥やすだけ肥やしてきた幹部に対する目を、どうしても普通の社員にも向けることができないでいたのです。
ですから、passers byさんの(1) ・(2) のご意見は、伺ってみれば確かにそうだなぁと思います。
東電にきちんと責任を取らせるべきだとももちろん思っているし、地元の末端社員とて、原発の危険性を知りながら原発に関わり、またその恩恵を受けてきたことも承知しておりますが、passers byさんとちょっと違う点があります:
『一億総懺悔』という表現はいき過ぎだとは思うものの、ここに至るまでに東電他電力会社、その関係者(政治家や黒幕?)に思うままにさせてきてしまった国民の責任も、決して小さいものではないと私は考えているし、自分を棚に上げることがどうしてもできないのです。
この点に関しては、年代が関係するかもしれません、ジェネレーションギャップがあるかもしれないと。
私は50代前半、いわゆる団塊の世代の後の世代で、「三無主義」と言われた世代に属します。親世代が築いてくれた高度経済の恩恵を甘受しながら、競争力の高くない中で特に自己主張せずとも大過なくのほほんとして過ごしてこられたためか、自分自身が被爆二世であるにもかかわらず、気づいてみれば、日本全国に原発ができていて、その電力を享受してきていたのです。
そんな自分を猛省し、子孫のためにこの負の遺産を引き継がせてはならない責任を、今痛切に感じているのです。
おそらく、これは30代以前の若い方にはない感覚ではないでしょうか? だって、完全に被害者、今回の事件を糾弾する側ですものね。
失礼ですが、passers byさんは私よりずっとお若いのではないかと想像しております。違ったらごめんなさい。もし、同年代なのに、感覚や考えの違いがこのようにあるとすれば、それは私の生き方が甘かった、ということになるのでしょう。
あともう一つ...こういう顕著な事件が起きると、それを引き起こした張本人だけにとかく目が行きがちですが、その背景やそれを起こした仕組みにも目を向けることが大事かなと考えております。
それについて、9.11後のアメリカ社会を取材していて気づき、声を大きくして言っているのが、ジャーナリストの堤未果さんです。
よろしければ、過去記事をご覧になってみてください:
http://blog.goo.ne.jp/takuetsu1958/e/068bbf91ea275cfaf0f7a04ee49d2d4d
長くなってごめんなさい。要旨が伝わることを願います。