えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...ありのままに、ユーモラスに......♪

夏の家族ハイキング2008 ~波瀾の二子山~

2008年08月26日 | 里山・風景
 8月14日、夏恒例の家族ハイキングで二子山@秩父に登りました。(★クリックすると、大きい画像が見られます。)

 家族ハイキングは私の父が長年奨励している行事で、父と私や妹、そしてその子どもたちとで、連休の頃や夏休みに行なってきたものです。高尾山程度の山にしか登らないので山登りとは言えず、実質は小学生の遠足並みのハイキングです。

 でも、今回は私たちにとって特別な行事でした。2年前に発症した父の難病(重症筋無力症)がこの5月に急激に進み、いつ動けなくなるかわからない、ひいてはいつ寿命を迎えるかわからないという事態に至ったため、対症療法としての薬がなんとか効いているうちに「最後の家族ハイキングをしたい」との通達が、8月初めに父から届いたのです。

 「最後」という殺し文句に慌てた私たち、「一番暑いときに、なんで山登りぃぃぃ!」と文句言いつつも日程調整した結果、息子と甥っ子が同行することになりました。娘と姪っ子は調整つかず...たまに同行することもある夫や義弟も今回はパス...。
 ということで、882.7mの小山に5人で登ってきました。

 南多摩(南武線)→立川(青梅線)→拝島(青梅線)→東飯能(八高線)→ 芦ヶ久保(西武秩父線)と乗り継ぎを重ね、家を出てから2時間半で芦ヶ久保駅に着きました。

       
 従兄弟同士同じ大学に通っています。息子が来年就職なので、その意味でも「最後の家族ハイキング」かもしれません。

 父が何年か前にそれぞれに買い与えてくれたトレッキングシューズの紐を結び直し、出発したのがすでに10時半過ぎ。まずは秩父線の高架下を遊歩道でくぐるのですが、トンネル内には灯りがなく、昼間でもほとんど真っ暗。まるで肝試しだと言いながら、30mほどのじめじめした道を歩き、登山道に入ります。
 道には岩がごつごつのぞいており、登り始めの傾斜もきつく、先頭を行く息子の口からは早くも「ケツ筋が痛いぃ...」の言葉が。オバサンたち、ましてや父がしんどいのは当たり前ですね。

          
 この日はでしたが、沢沿いを歩くので涼味満点です。聞こえるのはせせらぎとセミの声だけ。夏空の下にいるのが不思議なくらい、涼しく、森閑としています。

        
 他の登山者と行き交うこともなく、490m地点の「兵の沢」(ひょうのさわ)に着きました。ここで汲める天然水は冷たくて美味しい! 咽喉を潤して一息つきました。
 ここまでは87歳の父も同じペースで登ってきました。ほんとに難病に侵されているのでしょうか?!
 標識に「足元注意 きつい登り坂あり」とあるので、ここから先は男の子たちに自分たちのペースで行かせることにしました。

          
 夏の強いが差し込み、葉が輝いて美しいこと。でも、至る所に朽木、倒木がたくさんありました。折りしもオリンピックで柔道を見ていたので、「朽木倒し」という技を連想しました。

    
                       (右)裏画像あり
 途中中年の男性一人と行き交っただけで標高770m付近まで来ると、オオキツネノカミソリの群落が斜面いっぱいに広がっていました。
 この先は注意書きどおりのきつい登り坂だそうで(父は数回登山経験あり)、父はここに留まって弁当を食べると言うので、花の写真を撮りたい&おさぼりしたい私と妹はあっさり同調。実は、頂上まで登るつもりは端からなかったのです...(#^.^#)

 を甥っ子に渡していた妹は、先に食べることに。私は花に近づきたいのですが、なかなかどうして思うようには近づけず...私がもたもたしている間に、父はいつのまにか花のところまで行き、写真を撮り始めています。87歳?難病??最後のハイキングゥゥゥ???

 悪戦苦闘しても、木漏れ日が頼りの雑木林で三脚無しの撮影がうまくいくはずもなく、早々と切り上げて妹のところに行きました。
 とっくに食べ終わったかと思いきや、妹はウロウロしながら「まだ食べてなーい」と。なんでも、スズメバチに襲撃されて逃げ惑っていたとか! なんとなんと...。
 食べ始めると、確かにスズメバチがやって来て執拗に体の周りを飛び回ります。を頬張りながら、動かないように忍の一字! 消化不良になりそうです。

 ところが、スズメバチを交わすうちに空模様が急転、しかもが鳴り始めました。父が「あれは発破の音じゃないか? 石灰岩の採掘のために、毎日12時半に発破かけるんだ」とまことしやかに言うので、しばらくは悠長に構えていましたが、やはりどう聞いてもの音なので、早々に下山することにしました。

          
 頂上付近にいるであろう男の子たちにすると(父のですよ。私たちは不携帯の時代錯誤姉妹なので!)......頂上でを食べようとしたら、やはりスズメバチに襲撃されたので断念...少し下りたところでを頬張っていると、今度は景色が暗転 風がピタリと吹き止み、かしましかったセミや鳥もピタリと啼き止み、あたりは不気味な静寂に包まれたとか......そのうちが鳴り始め、「これ、やぱいんじゃないの?」という甥っ子の一言で、下山を始めたところだったとか。
 2人に急ぐよう言い渡し、私たち3人も彼らの合流を待たずに下山し始めました。

 足場の悪い道は、上りより下りの方がよっぽど足の筋力を使い、じきに
  私「股関節が痛くなった...」 妹「私は膝が痛い...」
 で、2人で休んでいると、父が私たちを尻目にさっさと横を通り過ぎて行くではありませんか! 87歳?難病??最後のハイキングゥゥゥ???
 「最後のハイキングっていうのが、これから何回もあるんじゃないのぉぉぉ?!」と、私たちは顔を見合わせ、思わずつぶやいてしまいました。

 空は刻一刻と暗くなり、の音も大きく......「兵の沢」を過ぎた辺りから遂にポツポツと雨が落ち始め、例のトンネルを出るとザァザァ降りに...「道の駅」に駆け込むと、間髪を入れずどしゃ降りになりました。
 店でコーヒーを飲みながら息子たちを待っていると、雨宿りの登山客で店は一杯に...。 

 合羽を持たせているとはいえ、が鳴っているのでやはり息子たちのことが気がかりです。すると、「兵の沢まで来た。もうすぐだから」というので、待つことに。
 でも、しかるべき時間になっても2人は現われません。再びすると、例のトンネルで雨宿りしていると。あぁ、肝試ししながらあそこにいるのね、よかった...。それにしても、“携帯さまさま”ですねぇ。
 ほどなく、合羽ごと黄色い濡れ鼠になった2人が無事戻ってきました。

 彼らが食べ残したを胃袋に納めるのを待ち、駅に向かったところ、駅員が出てきて申し訳なさそうに言うではありませんか。「正丸の辺りで大水が出て、只今運転を見合わせているんですよ...」 運転再開の目処も立っていないとか...

 仕方ないので、父が来る度に立ち寄るという食堂で時間をつぶすことにしました。顔馴染みであるためかおばさんたちも好意的で、頼んでもいない漬物を出してくれたりします。
 父に促されて見ると、冷蔵庫の側面に父が撮ったという花の写真の数々が...あれまぁ!

            
 ったく、父はお節介なんだから!(ぅうぅん~ん? ひょっとして誰かに遺伝してるぅ???)

 ここで時間をつぶすこと1時間半、駅に偵察に行くこと数回...でも、いつも同じ答えが返ってくるばかり。辺鄙な場所ゆえ、折り返し運転をしているという吾野駅までタクシーを使う以外、移動の手段はありません。 
 そのうち父が「わしはもう体がもたん。タクシーを呼ぶか...」と言い出しました。父の病気は夏より冬が、昼間より夜が不調なのが特徴なのです。
 慌ててタクシー会社に連絡すると、空車がないと言われてしまいました。別の会社は「30分待ってほしい」と...あらま...。それでも父に何かあるよりはましですし、たとえ運転が再開したとしても、満員電車に揺られるのは父が耐えられないかもしれません。

 ということで、タクシーを待ち、吾野駅まで20分ほどかけて移動しました。秩父タクシーの運転手さんは観光ガイドさながら、周辺の山の情報や世間話などを織り交ぜながら、退屈させずに運んでくれました。

 吾野駅のホームに上がると、運転再開のアナウンスがグッドタイミングゥゥゥで... あれまー、タクシー代が無駄になった?!と一瞬思いましたが、ほどなく来た上り電車は無人の回送電車。どうやら途中の駅で待機していたようで、ラッキーでした。

 こうして、大過なく「最後の家族ハイキング」?は終わりました。波瀾含みだっただけに、皆の中に良き思い出として残りそうです。
 たいした標高ではないので、男の子たちには物足りなかっただろうと思ったのですが、頂上近くには岩場をロープ伝いに歩く場所もあったとかで、結構楽しんだようです。
 息子の感想です。「あれ(頂上で経験した自然界の異様な変化)はすごーく不気味だったけど、おもしろかったよ。生き物には自然の変化がわかるんだねー」


<こぼれ話>
その1
 登り始める前、父はトンネルの手前で一同を呼びとめ、「遺言だ」と前置きして話し始めたのです。こんなところで「遺言???」と一同は唖然 
 身構えて聞き始めたところ、なんということはない、息子たちに登山のマナーを諭したのでした。女性と登るときは、男性が前と後に立って女性をはさみ、女性のペースで登ること、などなど...。「はい」「はい」「はい」「はい」......ったく、父はなんでも大げさなんだから!(ぅうぅん~ん? ひょっとして誰かに遺伝してるぅ???)

その2
 『死闘天宝山―日中戦争深発掘』 小柴典居著を、機会があったら読んでみてください。これこそ、私の父の渾身の遺言的著書です。


            

 来年も「最後の家族ハイキング」の機会がくることを心から願う私...再来年も、そしてその次も、ずっとずっと......

 長々と読んでくださり、ありがとうございました





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5 コメント

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Unknown (にりんそう)
2008-08-27 10:09:29
taku様、お久しぶりに寄らせていただきました。すっかり模様替えをなされてのですね。
写真も文章も合って、とってもやわらかさが感じられるブログに変身ですね。
楽しい?山登り記、楽しみました。
87歳?難病?最後のハイキング?・・・ううん~。お父上様は、本当に山歩きがお好きなのですね。
確かに山へ登った後の2,3日は体の調子がとってもいいこと、私は何度も経験しています。山からいい”気”を戴くのでしょうか・・・。
何もない山歩きより、いろいろあったほうが印象が濃く残ります。さぞかし良い思いでとして深く残ることでしょう。
一緒に歩いている気分で、読ませていただきました。
二子山ってキツネノカミソリの花の群生地なのでしょうか。たくさん見られて良かったですね。
返信する
Unknown (りかちゃんのまま)
2008-08-27 18:24:44
素晴らしい親子・家族の時間ですね。
お子様やいとこさんが家族をもった時に、きっと同じ恒例行事をするよう気がしました。

お父様の気力・体力に乾杯完敗。

キツネノカミソリは去年の暑い夏の盛りにわざわざ群生地に見に行ったことを思い出しました~
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Unknown (りか)
2008-08-27 18:29:36
乾杯の後の絵文字が間違えて変です。どうしよ~適当にかえてください。
(このコメントは載せないで消して下さいませ)
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にりんそうさんへ:群生地というほどでは... (takuetsu@管理人)
2008-08-27 23:17:08
にりんそうさん、長ーい記事を読んでくださり、ありがとうございます! にりんそうさんは山歩きがお得意でしたね、そう言えば。1000mにも満たない山なんて、山ではないでしょう?!

父は若い頃からこの程度の山しか登っていないので、登山家とは決して言いがたいですが、山歩きは好きなんでしょうね。

私たちに実際に体験させて会得させようとしていることは、わかる気がします。そう、にりんそうさんがおっしゃる、山からもらう「気」なのかもしれませんね。
息子が体で感じたような、自然の営み、そして、人間はその中で生かされているということなど...。
あと、平地を歩くだけではだめなんだと、よく申しております。上りも下りも歩かないとと。

二子山はオオキツネノカミソリの群生地、というほどではありません。ただ、ある地点でまとまって咲いているのです。崖の上にあるので、父の案内がなければ見過ごしていたと思います。現に息子たちは気づかなかったようです。
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りかちゃん親子へ:訂正できないんです (takuetsu@管理人)
2008-08-27 23:24:51
りかちゃんママ、温かいコメントをありがとう!

父の教えはこれに限らず押しつけがましくて一方的で、私たちはとかくけむたがってしまうのですが、体をもって伝えようとする姿勢とか気持ちとかは受け止めているつもりです。
孫たちも同様ではないかと...。

りかちゃん、リクエストに添いたかったのですが、一旦投稿された文書の訂正はきかないのですよぉ。非公開にしたり、削除したりはできるんですけどね。
いつも絵文字を入れてくださってありがとう! お気持ちをいただいておきますね。
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