被災者のみなさまに重ねてお見舞い申し上げるとともに、救済を指揮しているみなさま、実際に救援に当たっているみなさま、原発事故関係のみなさま他、震災に対して尽力されているすべてのみなさまに、感謝と応援の気持ちをまず申し上げます。
その中で、燃料や食糧・日用品など、全国的に買いだめ行動が広がっており、「被災地に不足する恐れがあるので控えてほしい。冷静な行動を」と政府は国民に呼びかけています。確かに、被災地で最も必要とされる燃料を買いだめたり、過剰な量を買いだめるのは決してよいことではないと思いますが、最悪のシナリオを想定して、自分の命を守るために必要な最低の食糧や日用品を備蓄することは、果たして非難されるべき利己的行動でしょうか?
実は、私も例に洩れず、原発の1号機の最初の爆発があったとき、ただちに買出しに走りました。「買いだめ」ではなく「買出し」にです。恥ずかしながら、日ごろの最小限の備蓄が足りないと判断したからです。でも、時すでに遅し、防災品はおろか、飲料水・保存食品や米など、私が求めようと考えていたものはほとんどありませんでした。
被災地の方には大変申し訳ない言い方になりますが、日本として今最も避けなければならないことは原発の最悪の事態です。そして、原発の構造や機械に詳しい人ほど、事態の深刻さを早期から認識していると思います。我が夫は一端の技術者ですが、技術士(機械部門)の資格保有者なので、当初から危険性を指摘し、単身赴任先(神戸)からこちらに警告を送ってきていました。かつて、大手鉄鋼会社で大規模な設備の開発・設計・製作・保守・点検という一連の作業をいくつものプロジェクトで行ってきた経験から、今回の事故のソフト面の問題点を一早く認識していたのです。
でも、政府の対応はどうだったでしょう? 対策は後手後手、関連部門との縦横の連携も悪そうに見えます。原発に関しては、国民をパニックに陥らせないために情報をコントロールしているやもしれません。
ですから、被災地に物資が不足しているのは、国民が買いだめに走っているために物資の絶対量が不足しているからではなく、被災地への輸送経路や手段が確保できていないからではないでしょうか? 企業の寄付や海外からの援助もあり、物資が絶対的に足りないとは思えないのです。国民のせいではなく、輸送できていない政府のせいではないでしょうか?
福島の南相馬市長の悲痛な訴えが耳に残ります。「物資が全く足りない。ようやく届いたと思ったら、原発からの避難区域30km圏内なので、入って来られない。こちらから30km圏外の地点まで取りに行かなければならない。ここから出たくてもガソリンがない。県や国から見放されてしまったように感じている」と。
そんな政府の対応を目の当たりにして、誰が政府の言うことに従うでしょうか? 原発に万が一のことがあっても、何百キロという広範囲の国民が避難するのは、人口密度が高く平野の少ない日本では不可能でしょう。国民が避難し、ある程度の期間生活できる備蓄を備えた地下シェルターがあるわけでもありません。代わりに屋内退避を強いられた場合、政府は一軒一軒物資を届けてくれるのでしょうか? 万が一のとき、自宅の地下シェルターに避難したり、自家用ジェットで安全な地帯にある別荘に移動できる庶民なんておりません。
政府が守ってくれないのなら、自分の身は自分で守るしかないと考えるのが自然の流れではないでしょうか? ですから、これは利己的な行動ではなく、政府への不信感に裏打ちされた自衛的な行動だと私は思うのです。例えが悪いかもしれませんが、航空機内で酸素マスクが降りてきたとき、子連れの大人はまず自分のマスクをつけ、自分の安全を確保してから子供につけるのが基本です。ライフベストも同様ですよね。まず自分の命を確保しないと、周りの人間を助けることはできないのです。「自分さえよければよい」というレベルの話ではないのです。
日本国民は、被災に際して冷静であること、助け合っていること、秩序とモラルを保っていることに対して、世界各国から賞賛されていますよね。被災していない国民も、被災者のために何かしてあげたい、何らかの形で役に立ちたい、と大勢が思っているはずです。ボランティアに行きたいけれどどうしていいかわからないと、志を胸に歯がゆい思いをしている若者も多いと思います。そう、日本国民はすでに冷静に対応、自衛しながら、日本人としての英知と美徳を保っているのです。
我が家には、拙記事「我が家の『あのね...』」でいつも紹介しているとおり、いつもへらへらし、ちゃらんぽらんな25歳の息子がおります。彼は、自衛隊を派遣するか東電に収拾させるかと愚かななすり合いを始めたのを見て、こんなことを申しました。「チェルノブイリでは何十万人もの強制労働者を犠牲にして国民を守ったけど、民主国家じゃそれはできないから、最悪の事態になったら特攻隊員を募集するしかないよね」と。「そのときあなたはどうするの?」と訊くと、「代わりに家族や親戚の生活を一生保障してくれるなら、それと引き換えにオレは行くよ」と、かなり本気で言いました。将来の暗い日本で生きていたいとも思わないからと。息子を失ってまで、私は生きていたいとは思わないし、生きていけるとも思いませんが...体のごく一部とはいえ、がん治療ですでに50グレイという大量の放射線を浴びてしまっている私ですし...。
政府が鋭意努力をしているのはわかりますが、敢えて苦言を呈したい。「国民を衆愚扱いし、コントロールしようとする発想をいい加減に改めていただきたい。逆に、国民を信じ、情報を正しく公開した上で、国民の英知と美徳と心意気をうまく集約し、未曾有の事態を乗り切るために包括的に活用してほしい!」
先ほど、原発に向けて旅立った自衛隊のヘリ部隊の画像を見ました。まるで映画の『アルマゲドン』のようで、涙が出てきました。国民のために本当にありがとう!!! どうぞ無事で戻ってきてください。
「PCのバッテリーがある間は、オフラインで作業していますよ」のtakuetsu@管理人でした。
その中で、燃料や食糧・日用品など、全国的に買いだめ行動が広がっており、「被災地に不足する恐れがあるので控えてほしい。冷静な行動を」と政府は国民に呼びかけています。確かに、被災地で最も必要とされる燃料を買いだめたり、過剰な量を買いだめるのは決してよいことではないと思いますが、最悪のシナリオを想定して、自分の命を守るために必要な最低の食糧や日用品を備蓄することは、果たして非難されるべき利己的行動でしょうか?
実は、私も例に洩れず、原発の1号機の最初の爆発があったとき、ただちに買出しに走りました。「買いだめ」ではなく「買出し」にです。恥ずかしながら、日ごろの最小限の備蓄が足りないと判断したからです。でも、時すでに遅し、防災品はおろか、飲料水・保存食品や米など、私が求めようと考えていたものはほとんどありませんでした。
被災地の方には大変申し訳ない言い方になりますが、日本として今最も避けなければならないことは原発の最悪の事態です。そして、原発の構造や機械に詳しい人ほど、事態の深刻さを早期から認識していると思います。我が夫は一端の技術者ですが、技術士(機械部門)の資格保有者なので、当初から危険性を指摘し、単身赴任先(神戸)からこちらに警告を送ってきていました。かつて、大手鉄鋼会社で大規模な設備の開発・設計・製作・保守・点検という一連の作業をいくつものプロジェクトで行ってきた経験から、今回の事故のソフト面の問題点を一早く認識していたのです。
でも、政府の対応はどうだったでしょう? 対策は後手後手、関連部門との縦横の連携も悪そうに見えます。原発に関しては、国民をパニックに陥らせないために情報をコントロールしているやもしれません。
ですから、被災地に物資が不足しているのは、国民が買いだめに走っているために物資の絶対量が不足しているからではなく、被災地への輸送経路や手段が確保できていないからではないでしょうか? 企業の寄付や海外からの援助もあり、物資が絶対的に足りないとは思えないのです。国民のせいではなく、輸送できていない政府のせいではないでしょうか?
福島の南相馬市長の悲痛な訴えが耳に残ります。「物資が全く足りない。ようやく届いたと思ったら、原発からの避難区域30km圏内なので、入って来られない。こちらから30km圏外の地点まで取りに行かなければならない。ここから出たくてもガソリンがない。県や国から見放されてしまったように感じている」と。
そんな政府の対応を目の当たりにして、誰が政府の言うことに従うでしょうか? 原発に万が一のことがあっても、何百キロという広範囲の国民が避難するのは、人口密度が高く平野の少ない日本では不可能でしょう。国民が避難し、ある程度の期間生活できる備蓄を備えた地下シェルターがあるわけでもありません。代わりに屋内退避を強いられた場合、政府は一軒一軒物資を届けてくれるのでしょうか? 万が一のとき、自宅の地下シェルターに避難したり、自家用ジェットで安全な地帯にある別荘に移動できる庶民なんておりません。
政府が守ってくれないのなら、自分の身は自分で守るしかないと考えるのが自然の流れではないでしょうか? ですから、これは利己的な行動ではなく、政府への不信感に裏打ちされた自衛的な行動だと私は思うのです。例えが悪いかもしれませんが、航空機内で酸素マスクが降りてきたとき、子連れの大人はまず自分のマスクをつけ、自分の安全を確保してから子供につけるのが基本です。ライフベストも同様ですよね。まず自分の命を確保しないと、周りの人間を助けることはできないのです。「自分さえよければよい」というレベルの話ではないのです。
日本国民は、被災に際して冷静であること、助け合っていること、秩序とモラルを保っていることに対して、世界各国から賞賛されていますよね。被災していない国民も、被災者のために何かしてあげたい、何らかの形で役に立ちたい、と大勢が思っているはずです。ボランティアに行きたいけれどどうしていいかわからないと、志を胸に歯がゆい思いをしている若者も多いと思います。そう、日本国民はすでに冷静に対応、自衛しながら、日本人としての英知と美徳を保っているのです。
我が家には、拙記事「我が家の『あのね...』」でいつも紹介しているとおり、いつもへらへらし、ちゃらんぽらんな25歳の息子がおります。彼は、自衛隊を派遣するか東電に収拾させるかと愚かななすり合いを始めたのを見て、こんなことを申しました。「チェルノブイリでは何十万人もの強制労働者を犠牲にして国民を守ったけど、民主国家じゃそれはできないから、最悪の事態になったら特攻隊員を募集するしかないよね」と。「そのときあなたはどうするの?」と訊くと、「代わりに家族や親戚の生活を一生保障してくれるなら、それと引き換えにオレは行くよ」と、かなり本気で言いました。将来の暗い日本で生きていたいとも思わないからと。息子を失ってまで、私は生きていたいとは思わないし、生きていけるとも思いませんが...体のごく一部とはいえ、がん治療ですでに50グレイという大量の放射線を浴びてしまっている私ですし...。
政府が鋭意努力をしているのはわかりますが、敢えて苦言を呈したい。「国民を衆愚扱いし、コントロールしようとする発想をいい加減に改めていただきたい。逆に、国民を信じ、情報を正しく公開した上で、国民の英知と美徳と心意気をうまく集約し、未曾有の事態を乗り切るために包括的に活用してほしい!」
先ほど、原発に向けて旅立った自衛隊のヘリ部隊の画像を見ました。まるで映画の『アルマゲドン』のようで、涙が出てきました。国民のために本当にありがとう!!! どうぞ無事で戻ってきてください。
「PCのバッテリーがある間は、オフラインで作業していますよ」のtakuetsu@管理人でした。
先ほどは、記事を作成途中で公開してしまいました。変な記事だと思われたでしょう? それにコメントを入れていただき、恐縮です。
更新を自粛するはずでしたが、政府が不甲斐ないし、愚息があんなことを言い出すし、思わず興奮してしまいました(^_^;
菅さん。
舵取り、しっかりお願いします。
「覚悟決めてください。」
一刀両断の言葉
酷すぎます。
原発~なんとかしようと
決死の思いで行動しておられる方々
ほんとうに
頭が下がります。
関東に住む
息子たちへ
電池を送ってあげようと
電気屋さんをまわりますが、
福岡でも どこも
棚はすっからかんです。
とりあえず、使える状態の懐中電灯を
三男の住む横浜まで
持って行ってあげようと
思っています。
自衛でも利己でもありません。
家族が困っているからなんとかしてあげたい。
それだけです。
・・はなこころ
そうですね、家族愛に他なりませんね。
それにしても、福岡でも電池がないのですか? それほどまでに、今回の震災と原発事故(原発に関しては、私は人災に近いと考えています)の威力の大きさを物語っていますね。
横浜に来られるのですか? 気をつけてくださいね。私の娘も横浜におりますよ。
素敵な息子さんです。
わが息子がこんなこと言ってくれるかしら・・。
なんて、わが息子のことを考えました。
複雑な気持ちで、受け止めたのでは
ありませんか?
大事な家族の一人がいなくなったら・・・
そう思うと、災害にあった方々は
多くの人が家族を失っていて、
言葉を失います。
息子はそんなんじゃないんですよ、ただ天変地異に遭遇し、先行き不透明なので自分の将来の計画も崩れ、それなら家族と引き換えに英雄として名を残すほうがよっぽどかっこいい、くらいに考えているのでしょう。
でも、現に今現場で取り組んでくれている方々は、まさにその特攻隊の立場ですよね。昨夜の東京消防庁のレスキュー隊の会見には号泣してしまいました。
家族を失われた方々の気持ち、その立場にならないとわかりませんね。