えつこのマンマダイアリー

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我が郷土の文化財 ~太古の土偶と土器~

2013年04月22日 | 雑記

 少し前のことですが、多摩市にある「東京都埋蔵文化財調査センター」を訪問しました。
 動機となったのは、私が住む稲城市若葉台の宅地造成期に見つかった遺跡(「多摩ニュータウンNo.9遺跡」 ↓左)から、縄文時代中期後半(約4,500年前)の土偶が100体以上出土しており(↓右)、関東地方では質・量ともに群を抜く貴重な資料(都指定有形文化財)だということを知ったからです。
 (★これより下の画像は、クリックすると大きくなります。リンクに別画像が入っているものもあります。)

         

 これらの土偶を見るために当該センターを訪れましたが、残念ながら直接見ることは叶いませんでした。それでも、類似の土偶何体かを観ることができましたし、古代の土器類や装飾品を通し、古代人の暮らしに触れることができました。

 まず、当該センターについて解説しますと...
 東京都には数多くの遺跡が残されており、都民共有の文化遺産として保護し、次世代に引き継いでいくことが求められている一方で、開発事業も進められているため、文化財保護と都市開発との両立を図る必要があります。そのために設立されたのが当該センターで、埋蔵文化財の発掘調査・研究・保存事業や広報・普及事業を行っています。
 一般の人が見学できるのは、建物内の展示ホール(↓左)と野外の遺跡庭園「縄文の村」(↓右)です。

     

 遺跡庭園「縄文の村」とは...(くだんのHPより)
 「多摩ニュータウンNo.57遺跡(縄文時代集落)に盛土をして、当時の多摩丘陵の景観を復元したものです。トチノキ・クルミ・クリをはじめ50種類以上の樹木やゼンマイ・ワラビ等を植栽して、当時の植生を再現しています。また、3棟の復元住居があります」 
 
 建物内展示ホールの内容は...(HPより)
 常設展示(「通史展示」):「『多摩を発掘する』と題して、旧石器時代から縄文・弥生・古墳・奈良・平安・中世・近世にいたる約3万年の多摩丘陵の歴史を、発掘された出土品を中心に展示しています」
 企画展示:「多摩ニュータウン遺跡以外の資料も交えて、毎年テーマを替えた一年間の企画展示を行っています」
 
 まずは、企画展から、一部をご紹介します。(職員のE氏に解説してもらいました。)
     
  現在は「縄文人のおしゃれ」がテーマで、縄文人の造形美・機能美・色彩美に迫っています。
  

 (左)正面          (右)背面

  

土偶は女性の体に見えます(胸の膨らみ、お腹には妊娠線を連想するような縦線あり)が、顔がデザイン化されている(ハート形など)ことを考えると、神化しているとも考えられるのだそうです。
同様に、顔の白い模様は涙にも見えますが、神化の象徴とも考えられるようです。 

 

 (左)正面          (右)背面
 

背面にも連弧紋などの模様があります。

 
 

 

 

 人が万歳した形の土版(↑中央)は、縄文時代晩期では珍しいそうです。 
 
 

以下、数々の細かい造形に驚かされました。
「髪針」とは、今で言うヘアピンですね。櫛やヘアピンを使って髪を調えていたとは!w(☆o◎)w

  
 

耳飾りと耳栓(じせん)
「耳栓」は今で言う耳栓とは異なり、滑車様の耳飾りです。
薄く削がれた貝がはめこまれた物も見つかっています(右上 黒い丸い台に置かれているもの。案内してくれたE氏が発掘したもの)。

 

  
 

ペンダント(左上・右上)
腰飾り(左下)
ブレスレット(右下)

 
 
 ここからは、常設展示を紹介します。
   
 

縄文時代早期の土器
黒いのは煤。火を使っていたことの証左です。
土器類はすべて触れられるように展示されています。

 
 以下、各時代の土器は、くだんの「多摩ニュータウンNo.9遺跡」で出土したものを、代表として紹介します。まさに我が街の遺産です。
 
  

縄文時代前期の土器

 

 

 
  

縄文時代中期前半の土器

 
  

縄文時代中期後半の土器

 
 

何年か前に、川崎市麻生区黒川にある市民農園でもらった土器の破片(右)を鑑定してもらったところ...
縄文時代中期後半(ちょうど左の土器が作られた頃)の「加曽利(かそり)E式」(千葉県千葉市の加曽利貝塚のE地点で出土した土器が標式となっているもの)と判明!!! 

黒川には「黒川東遺跡」(小田急多摩線黒川駅の北西部で、黒川駅と鶴川街道の間)があり、そこからほぼ西に1,750mほど行った所にある市民農園でもらったのですが、このような土器の破片が沢山出てくるのだそうです。
くださったIさんに報告に行かなくっちゃ!*

 
 

縄文時代中期後期・晩期の土器
急須と似ていますね。
(これはNo.9遺跡のものではありません)

  
 

こんな土器や装飾品もあります。
フタを開けると...(中身はリンク画像でどうぞ!)

 
 

体験コーナーで、天然の道具を使い、粘土に模様を作ってみました。

  
    

 内面に赤や白の顔料で文様が描かれた土器(右)
そんな時代から、顔料を使って色をつけていたとは!w(☆o◎)w

  
 

縄文時代には、赤い色が好んで使われたそうです。

  
 

さらに驚いたことに、縄文時代には漆器もあったのです。
漆器にも赤や黒が使われました。

   
 

古墳時代前期の土器
(左)器台・(右)高杯

  
 

古墳時代後期の土器
(左)蒸し道具
(右)かまどの解説

  
 

こんなふうに、破片一つ一つに記号がつけられているのですね。
地道な復元作業です。

 
 

古代の水場について

 
 
 
                                       
 
  
 縄文時代から、かなり細かい装飾品を使っておしゃれをしていたことや、顔料を用いて器や装飾品に彩色していたことなど、いろいろ驚かされました。
 
 また、持っていた土器の破片が本物だったことに感激! 4,500年もの時を超え、今私の手元にあることの不可思議、神秘をかみ締めています。どんな人が作り、どんなふうに使っていたのか...想像は尽きません(#^.^#)
 なお、くだんの「黒川東遺跡」は、解説してくださったE氏が学生時代に実習したことのある遺跡だということで、それにも不思議なご縁を感じました。

 今回は、時間の関係で、生憎遺跡庭園を観ることができませんでした。自然観察にももってこいの場所のようですし、復元住宅の中では火焚きのデモンストレーションも行われています。いつか再訪したいものです。
 都民のみなさん、特に多摩ニュータウンにお住まいのみなさん、たまには我が郷土の文化財に触れてみてはいかがでしょうか? 入館無料ですよ(#^.^#)

 

 *【後日追記】土器の破片をくれたIさんに会いに行ってみたところ、現在はこの市民農園を借りていないので来なくなった、とのお仲間談でした。残念(^_^;
  【後日追記】(2021.3.25) さらにその後、同じ農園でIさんと無事再会することができ、お礼を伝えることができたばかりか、近辺のキンランが生えている場所に案内してもらうことができました。出会いに感謝です(^^)v

 


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2 コメント

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Unknown (みゆき)
2021-03-24 23:54:01
若葉台に引っ越してきたのでとても興味深いです!ありがとうございました😊
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みゆきさんへ:Welcome to our town !!! (takuetsu@管理人)
2021-03-25 09:33:30
みゆきさん、初めまして! ようこそ若葉台へ!!
そして、拙ブログをご訪問の上、コメントまでいただき、ありがとうございますm(_o_)m

若葉台はよい街ですよ。きっと気に入っていただけると思います。
近隣の里山などを散策して、ぜひ稲城の自然を味わってみてくださいね。近年開発が進み、その姿が変わりつつあるのがとても残念ですが…。
市内各地で行われる年明けのどんど焼きや、妙見尊の夏の蛇撚り行事、穴澤天神社の里神楽や獅子舞など、伝統行事も多く残っています(このブログでも紹介しています)。ぜひお楽しみくださいね。
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