えつこのマンマダイアリー

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第5章 放射線治療 23.

2007年07月26日 | 乳がん闘病記
23.
 2005年5月19日。N医科大学付属病院でのY先生の診察日。
 T南部地域病院での放射線治療がとっくに始まっていると思っていたらしいY先生は、来週から始まると聞いて少し驚いた様子だった。思い返せば、N医科大学付属病院での治療は迅速だった。最初の検査診断と告知は即日だったし、それに続く全身検査は10日間で終わった。最終告知の日にはその10日後に手術予定だと告げられ、目が回ったものだ。手術が終わって退院した日が、最初の告知からちょうどひと月後という速さだった。
 それに比べると、T南部地域病院での治療は確かにテンポが遅い。何もかも両病院は対照的だった。どちらに軍配が上がるというわけではなく、それぞれ一長一短なのが面白いというか、どうしようもないというか…。

 開口一番、Y先生が「大変申し訳ないことをしたのですが…」と切り出したので、一体何事かと身構えていると、なんと、がん細胞の核異型度*がグレードIだったと言うではないか。グレードI~ IIIのうちIが最も悪性度が低いので、嬉しい知らせには違いなかったが、私は複雑な心境だった。病理診断結果を受け、私が尋ねたときには、「硬がんなので、グレードIではないと思います」と言われたのだ。その言葉に少なからずショックを受け、またそれが決め手となって、ホルモン治療を2種類併用することに決めたのだ。拍子抜けというか何というか…。
 Y先生もそんな私の心境は察してくれたのだろう、「不確かなことを申し上げて、大変申し訳ありませんでした」と謝り、「でも、グレードIでよかったですね」と気まずさを払拭するように言った。さらに、私がセカンドオピニオンを求めたNクリニックのN先生にも、術後の病理検査結果を報告しておくと言ってくれる。

 がんの病期はI、細胞の種類は硬がんではあっても総合的な悪性度はグレードI。ということは、乳がんとしてはかなり軽い部類に入るのだから、ホルモン治療を2種類併用しなくてもよさそうなものだが、このときはまだどちらかにしようとは思わなかった。まだまだダブル治療の威力、すなわち副作用を思い知らされていなかった私は、愚かにも単純にこう考えただけだった。―おめでたいことだし、そこまで言ってくれるのなら許してあげる、先生!―

 次回は放射線治療の影響を見るために血液検査をするので、診療の予約時刻より1時間前に来て先に検査を受けるよう言われる。2回目のホルモンの皮下注射を左腹部に受けて退室した。
 
 * http://www.vol-net.jp/yougo/yougo.html (索引で「核異型度」を引いてください)

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