私の母は、自分の戦争体験を決して自ら語ろうとはしてきませんでした。今の子どもたちに戦争体験を語ってほしいと要請があっても、「とてもじゃないわ...涙が出てきて語れないわよ」と現在でも申しております。
そんな母の代わりに、母の心の残る広という町を、母の心の軌跡を辿るために訪れました。 . . . 本文を読む
私は被爆二世です。母が学徒動員先の呉から故郷の島根に戻る際、広島で入市被爆しました。
初めて訪れる広島。被爆の悲惨さ、戦争の爪痕の酷さが、どんなに直截的に伝わってくるのだろうか?と想像していたのですが、意外にも、そして残念なことに、隔世の感を禁じ得ませんでした。 . . . 本文を読む
本日の一品は、「まるごとかぼちゃのグラタン」です。ミニかぼちゃをいただいたのでまるごと使いたいと思い、ネットで検索...あちこちのレシピを合体させ、結局また「えつこ流」になりました。 . . . 本文を読む
44.
朗らかな人の周りには、自然に人が集まる。暗くしていると、自然に人は離れて行く。だから私は、落ち込んでいるときでもそれを覆い隠し、無理して明るく振る舞おうとしてしまう。実際、父が難病を告げられた明くる日でも、何食わぬ顔で同級生のオフ会に幹事として参加していた。でも、それは自分自身を奮い立たせる行為であると同時に、自分を偽って無理している行為でもあることに、私は気づいて気づかぬふりをしていたのだ。 . . . 本文を読む
11/9-10と初めて広島を訪れました。妹の絵本『ピンク色の雲 おばあちゃんのヒロシマ』の出版をきっかけに集った仲間5名で、絵本の普及@広島市と、戦時中の母の軌跡を辿る旅@呉市を目的としたもので...そう、観光目的ではありませんでした。絵本を出版しただけでは自己満足に終わってしまう、次につなげようというわけで、その第一歩としての旅でした。 . . . 本文を読む
43.
そんな根暗な思考回路から抜け出し、視点を転換したいとき、私が思い出すようにしているのが河合隼雄氏の言葉だ。2005年4月末、ある福祉のTV番組でうつ病について語っていた内容がとても印象的で励みにもなったので、ここに紹介させていただく。 . . . 本文を読む
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こうして、波瀾含みの6月は検査やその結果を聞くために何度も通院することになったが、N医科大学付属病院の女性診療科の担当医も内科の担当医も、皆Y先生同様に感じがよく、患者に敬意を払って接してくれたことは、何よりありがたかった。 . . . 本文を読む