「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

熊澤蕃山⑬「惑を解ことの多きを理学といひ、心をおさむることの多きを心術といふ。」

2020-11-27 21:06:56 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第二十八回(令和2年11月27日)
熊澤蕃山に学ぶ⑬
「惑を解ことの多きを理学といひ、心をおさむることの多きを心術といふ。」
                                 (集義和書』巻第一)
 
 蕃山は「時・処・位」に留意し、かつ水土(風土)の違いを考慮して、シナの儒学やインドの仏教と日本の神道とを比較出来る透徹した眼力を有していた。蕃山は、『集義外書』の中で日本の水土(風土)から生まれた神道の価値を語り、釈迦も孔子も日本に生まれたならば神道に生き、広めたであろう、と述べている。そして、我々は「学問としては儒学も学び、仏教も学んで道を豊かに広くすべきだが、その根本には神道を立てるべきである。」と断言している。これらの立論の何と真っ当な事であろうか。日本人としての主体性を失わず、かつ、時代時代の特性を考えて蕃山は文化や宗教を考察する事が出来ていたのである。

 それ故、宋代に起こった朱子学と明代に起こった陽明学については、それぞれの役割を平等に評価している。「惑いを解くことが多いのを理学と言い、心をおさめることの多いのを心術と言う。秦の時代に焚書坑儒によって儒学の経典は被害にあって散逸してしまった。それ故、漢代の儒者は訓詁(文献)を重んじて、功を上げた。其後、異端(仏教)が広まり、三国・隋・唐・南北朝時代には、仏教に惑わされる者が多くなった。それ故、宋代の儒者は「理学」=儒教哲学(朱子学)を系統立てて人々の惑いを解く様にした。そこで、人々の惑いが解けたので、人々は自らの心の問題を改めて考える事が出来る様になった。それ故、明朝の論(陽明学)は心法が主題となったのだ。」と、シナに於ける儒学の流れの特性について述べている。学問には、時代時代の要請が背景としてある事を蕃山は強調している。

 巻八では、「私は朱子にもとらず、陽明にもとらず、ただ古の聖人に学んで用いるのである。道統が伝わっている事は朱子も王陽明も同じである。その言葉はその時その時の次第によって発せられているのである。真理の点では同じである。朱子はその時代の弊害を正す為に理を窮めて惑いを弁別する点に力点を置いていた。その時に自反慎独の効果が大いに上がった。王子(王陽明)もその時の弊害を正す為に自反慎独の効果を上げている。私は、自反慎独の効果が内に向かって受用となる時は、陽明の言う「良知を開き起こす」事に習い、惑いを弁別する時は、朱子の窮理の説に依っている。朱子と王陽明の時代では学問をする者達の惑いが異なっていたのである。二人が生きた時代・場所を交替しても、同じ様になったはずである。」と。現代に生きる我々は、現代の要請を考えるべきであろう。戦後日本の迷妄が解け始めている今日、我々は日本人の心とは何かを、改めて考える時を迎えている。


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