ケイシロウとトークアバウト

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馬鹿者のすべて

2019-11-03 21:22:00 | 日記




ある七月七日の七夕の日、
俺のおばはんの花壇に枯れ葉剤撒いたDQN太郎は、
七夕祭りを実家で過ごそうと、
高速バスの窓際に座っていた。
七夕は、おり姫とひこ星なのに、
どういうわけか、
ひな祭りの、お内裏さまとおひなさまを、抱きしめていた。

DQN太郎は、
外の景色を見て、
呟いた。
「かつては飛脚が走った道を、今では高速バスが走る。時の戯れは、イジらしくわびしい」
DQN太郎の脳裏に、
様々な思い出が蘇る。

七歳のDQN太郎が、初めて小遣いもらった時、
うれしくてうれしくてたまらなかったが、
ひとりだけうれしがるのは申し訳ないから言うて、
「小遣い、お前らにも分けてやるからな」と叫んで、
キャベツ畑に、金を投げた。

十歳のDQN太郎が、池に行くと、
誰かが溺れていた。
そして、
必死でDQN太郎に、
「何かつかめるものあるか!?」と叫んだ。
DQN太郎は、
「あるよ」と言って、ちんちん出した。

十三歳のDQN太郎の、初中間試験の際、
配られるとすぐに試験用紙が風に飛ばされたので、
慌てて拾い、机に置くと、
裏の白紙の部分やった。
DQN太郎は、
この白紙部分を試験終了までじっと見つめて、
学問とは、問いも答えもないことだと悟った。

十六歳のDQN太郎は友達に、
「馬鹿はどうしたら治るんか?」と尋ねた。
友達は、
「さあ?死ねばいいらしいよ」と答えた。
DQN太郎は、
さんざん、死ぬ方法考えた挙げ句、
諦めて、
一つの格言を作った。
[腹切りたくとも刀無し。刀有っても度胸無し]

DQN太郎の様々な思い出の垣間から、
ずっと続く道を見つめ、再び呟く。
「人は考える葦(パスカルの言葉)、Jリーガーは考える脚(😧なんや?それは)。考えに考えた果てに、何が残るか?」
ただ、
DQN太郎と言えども、
道は必ず続いているもんやと理解は出来る。
DQN太郎は、色々考えつつも、
後少しすれば実家の灯火に疲れは取れることを実感していた。
そして、
「道路さん、道路さん、早くお家に着きますように」とお祈りした。
ただ、
DQN太郎は知らなかった。
間違って、
反対方向のバスに乗ったことを。