誰もが知らず、
俺のみが知り得たことを語ろう。
何年前かは覚えていないけど、
ずいぶん昔かもしれない。
とある皇居やスカイツリーがある大都会で、
自転車に乗ってたオヤジが転倒して、
10回ほど回転した後、
うつ伏せになったまま気絶😵した。
気絶😵してたオヤジの周りには、
大勢の人がいたが、
振り返ることなくスマホ📱に夢中になり、
オヤジを起こそうとする者は皆無やった。
このオヤジは、
嫁が浮気した挙げ句一方的に離婚されたこと3日前。
息子がスマホ📱の友だちサイトで知り合ったオカマと駆け落ちしたこと2日前。
そしてきょうは占い師に凶だと言われた。
この気絶😵したオヤジの心情的十字架が理解されることなく、
多くの無関心人間の群れの中、
オヤジは痛めた体をひとりで起こして、
スマホから顔を上げない人々のもとから、
自転車に乗って、
よろけつつも走り去った。
この名もなきオヤジ。
自転車から転倒してもスルー対応受けたオヤジ。
大都会は無関心を大黒柱として、
顕れる。
そしてこのオヤジも、
無関心のるつぼにある人間のひとりやった。
やからこそ、
大都会のオヤジ。
名もなき大都会のオヤジ。
不幸を衣食住とし、
無関心の空気を呼吸する😮💨
けどケイシロウ。
俺ら一人ひとりが、
大都会のオヤジかもしれん。
無関心の冷ややかながらも熱中症警戒アラートを帯びた日差しの中で朝を迎え、
愛想笑いと社交礼儀に時を歩むお昼のランチは、
発がん性のコンビニ弁当。
味気なくも塩辛い安弁当は、
綾鷹か伊右衛門で喉に流し込む。
孤独の影だけは照らせないLED電気の光瞬く夜に、
空虚に床につき、
何千万年も人を見続けてきた月が夜空に浮かぶ。
夕は朝となり、
朝は夕となる。
日々は、
終着駅を持たない列車のようにひたすら走り、
止まったそこは骨壷やった。
しかしケイシロウ。
イマこの時に、
人と人の触れ合いこそが、
金銀財宝ビットコインに勝るものであることを悟れ。
それを知る時に、
人は、
大都会のオヤジではなくなるんやさかい。