自慢になりませんが私は不器用で絵画制作の才能ゼロです。 とにかく苦手なんです 小学校の時の図工の成績なんて5段階評価で「2」か「3」だったと思います。
そんな私でしたが 高校の時『芸術科目』選択で仕方なく『美術』を選びました。 左利きだったのを小学校4年生から右手を使うように矯正されたので字の汚さはものすごく 劣等感のかたまりで『書道』は選べず、一番得意なはずの『音楽』は「写譜」といって譜面をそのまま写すという作業が不器用でできるわけもなく 最後に残ったのが『美術』。
絵を描くのも苦手だったのですが『書道』や『音楽』よりはマシかも、それに先生が 結構おもしろい方だったので『美術』クラスへ。
しかし、美術クラスに入ってみたら やっぱり絵の上手な人が美術を選んでて力の差は歴然・・・・
暗い気分になって両親に「絵を習いたい。」と話しました。 すると父方の祖母が「習うのなら一流の人から習わなくちゃいけません!いい先生を知ってるから紹介してあげる。」と言い出し 紹介してくれたのが 当時二科会の広島支部長をやっていらした増田勉先生でした。
それから毎週日曜日の午後は先生のアトリエに通うようになりました。
初老の女性、中年の男性、20代後半の女性、そして美術大学受験予定の私と同い年の女子高生が集まって それぞれキャンバスに向かっていました。
油絵具の匂いのする天井の高い静かなアトリエ、はじめのうちは自分の絵の下手さに嫌な思いをしていたのですが それぞれが思い思いに絵を描く雰囲気がだんだん好きになってきて週一回の先生のお宅へ行くのが楽しみになってきました。
私以外の方たちは油絵を描いていらっしゃいましたが 絵の基礎を習いに通っている私はずっと鉛筆デッサンばかり。
何時間も描いても全然うまく描けません。 最後の数分、先生がパッと描き足してくださると絵が途端に活き活きしてきました。 これはもう魔法のようでした。
静かな部屋の静かな時間。 先生の穏やかな表情、やさしい教室の生徒さんたち・・・・どれもが私の癒しで2年間しっかりお世話になりました。
その頃先生が描かれていたのはすべて上の写真のような『山』の絵ばかりでした。
先生はそういう絵を描かれる方だと思っていたのですが 先日たまたまオークションサイトで先生のお名前を見つけ先生の画集を買いました。
先生とそんな話をしたことはなかったのですが 原爆に遭われ引率していた生徒さんやご自身のお子さんを亡くされ、ご自身も原爆症にかかっていらした時期もあったようです。
その先生のライフワークが原爆の絵を描くことだったようで この画集のほとんどが先生が経験された原爆の絵でした。
当時の私はなんとか人並みな絵を描きたいとそればかりを考えていて あまり先生や生徒さんたちとゆっくりお話をしたことがありませんでした。
もっと皆さんといろいろお話をしておけばよかったなあ、と今更ですが残念に思いました。
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