私の両親は 広島の郊外の廿日市という所に小さな家を建てました。 父が25歳、母が24歳くらいの時のことです。
その頃両親はふたりとも仕事を持っていたのですが 当時は保育所が近くになかったため私は広島市内の祖父母の家に預けられました。
せっかく建てた家なのに 両親は仕事が終わってから帰宅して寝るだけの場所になりました。
私がこの家に戻るのは週末の夜、父の車に乗って帰るだけでした。
時々は母と電車やバスで帰宅したこともあるのですが なにしろ子どもの頃のことです、駅から自宅までのルートなんてほとんど覚えていません。
家なんていつでも帰れる場所、と思っていたのに 父が東京に転勤し、そのまま東京暮らしになり、私もまったく帰ることがなくなりました。
そして 私も妹も東京の大学に進み、就職もしたので父は東京から離れることを考えなくなったようで空家になっていた広島の家は手放すことにしました。
ここ数年、なぜかその家が恋しくなりました。
電車の駅で降りて 左手に曲がり お寺の横の細い道を歩き、商店街を抜け・・・と頭の中で家までのルートを思い出そうとしました。
今回久しぶりに故郷に戻ることになったので 妹を誘い電車に乗って幼い頃の記憶だけを頼りに実家探しに出かけてみました。
売店のあった古い駅は こざっぱりした駅舎になっていました。
そして細くて曲がっていた道は 広くまっすぐな道になっていました。
それでも感覚だけで駅から歩いていると・・・
なんとなく覚えのある道を見つけました。
当時はもちろんこんな舗装はされていなかったし 道の両側は田んぼでした。 春には田んぼ一面にピンクの蓮華の花が咲いていました。
そして自宅だった場所に辿り着くことができました。
私の懐かしい小さなおうちのあとにはオシャレな家が建っていました。
家の前の道を抜けたところに バスの車庫がありました。
当時は路線バスの車庫だったのですが 今は近くの幼稚園の園バスの車庫になっていました。 でも、車庫の建物は当時のまま・・・(もちろん補強はされてるのでしょうけど。)
お世話になった近所の方のお宅があったところは
駐車場になっていました。
そして 少し歩いてみると 小さな港がありました。
でも、これはびっくり。
だって子どもの頃、こんな港が家の近くにあったなんて知らなかったのです。
きっと両親が危ないと思って港の近くに私を連れて行かなかったのでしょう。
ずっと胸につかえていた実家探しができて ほっとしました。
赤ちゃんの時に家を離れた妹も行けて良かった、と言っています。
のんびりして楽しかった田園風景はなくなっていましたが 若かった両親が頑張って買った家の場所です、とても感慨深い冒険をすることができました。