こんにちは
百合ヶ丘のebcアトリエに併設の形で、昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。
では、幸せになれる食べ物と言うのはどんな食べ物なのでしょうか?
どんな方も、好きな食べ物があるのだと思います。そのすきなものを食べた時には、幸せに感じる事でしょう。
でも、その好きな食べ物を毎日3食食べて幸せになれるでしょうか?
もし、毎日3食食べ続けても幸せになれるものはあるでしょうか?
私は、20代後半に数ヶ月ではありましたが、寺女として、広島のとある山寺においていただいていた事があります。
その寺の和尚にこのように言われた事がありました。
「食べると言う事は、楽しむ為ではない。生きる為の所業なのだよ。」
この言葉は、それまで10年間「食」を司る職業に就いていた私にとっては、はたと考えさせられるもので、忘れられないものとなりました。
ただ、それは、食を楽しむべきではない、と言う単純な真理として刷り込まれた訳ではありません。
いまだ「食」を職業としている身で、「味覚的に楽しめるおいしい食」は基本です。
けれども、そればかりでは、私たちが「食べる」と言う行為をたゆまずし続ける理由にならないような気がするのです。
そうです、あの、辛い日々、どんなに美味しいものも「砂の味」がした日々、それが開けるきっかけとなったあの食事は、私の人生を変える程の力を持っていました。
生き返らせたのです。
百合ヶ丘のebcアトリエに併設の形で、昼は「カフェたまり」夜は「おもてなし家庭料理たまり」の女将をやっています、陶芸家のクメタマリです。
では、幸せになれる食べ物と言うのはどんな食べ物なのでしょうか?
どんな方も、好きな食べ物があるのだと思います。そのすきなものを食べた時には、幸せに感じる事でしょう。
でも、その好きな食べ物を毎日3食食べて幸せになれるでしょうか?
もし、毎日3食食べ続けても幸せになれるものはあるでしょうか?
私は、20代後半に数ヶ月ではありましたが、寺女として、広島のとある山寺においていただいていた事があります。
その寺の和尚にこのように言われた事がありました。
「食べると言う事は、楽しむ為ではない。生きる為の所業なのだよ。」
この言葉は、それまで10年間「食」を司る職業に就いていた私にとっては、はたと考えさせられるもので、忘れられないものとなりました。
ただ、それは、食を楽しむべきではない、と言う単純な真理として刷り込まれた訳ではありません。
いまだ「食」を職業としている身で、「味覚的に楽しめるおいしい食」は基本です。
けれども、そればかりでは、私たちが「食べる」と言う行為をたゆまずし続ける理由にならないような気がするのです。
そうです、あの、辛い日々、どんなに美味しいものも「砂の味」がした日々、それが開けるきっかけとなったあの食事は、私の人生を変える程の力を持っていました。
生き返らせたのです。