よれよれ日記

谷晃うろうろ雑記

竹の枝葉

2005年01月27日 | Weblog
というキイワードで検索したらこのページに出会いました。
http://www.kakitagawa.or.jp/widearea/rep3.html

放置された竹林を再生するプログラムの研究です。竹の5年生の循環期までこぎ着けたときに、成果物が市場にちゃんと流通して採算が取れなくてはならない。というのはなかなか難しそうで、おそらく研究が研究のままになっているのではないか。高知でこれを実現することが出来るのだろうか、と思える。

また昨夕ラジオで聞きかじった資源循環活用についての話題は、この記事の後半にある稲城市の取り組み。
http://www14.plala.or.jp/Cuba/libro05.htm

稲城市では食用廃油を集める作業を障害者の社会参加の手だてとして、燃料として確保できるなら
市内循環バスをそれで走らせる構想もあるようです。これも東京の衛星都市だから出来るかな、と。

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手巻きの目覚まし

2005年01月26日 | Weblog
去年の春引っ越したとき以来片づけていない荷物をのぞいたら、手巻きの目覚まし時計、トラベルクロックが出てきた。

いつ何のために買ったのか、それとももらったのか、どういう経緯でここにあるのか、全然思い出せない。三つ折りにして畳むと手のひらに入る大きさの赤い小箱になる。どう見ても女持ちのもので、先年亡くなった義母のものか、何か大事な用事の旅行、大学受験かのために、この大きさのものがこの色しか手に入らなかったのか、とんと思い出せない。

ゼンマイを切りきりまくと、コチコチと音を立て始め、電話の時報で時刻を合わせてみる。クオーツ時計でもないし、秒針もないのだからあまり意味はないのだが。

コチコチという音の、コチとコチの間に時間があるわけで、遠い昔子どもの頃布団の中で、家人が皆寝息を立てているのに、私だけ寝付くことが出来ず、そのころは両手で持ち上げるほどの大きさの目覚まし時計のコチコチをいつまでも聞いていたことを思い出した。

故知、東風。

その音を聞きながら、やがて自分も死ぬ、ということが大きく感じられ、胸が苦しくなり耳鳴りもするのだが、自分が死ぬ前に父母も死んでしまい、そしたらこの広い宇宙のどこかでまた巡り会うことが出来るのだろうか、宇宙ではどちらが上でどちらが下なのかしら。自分は落ちているのか浮かんでいるのか、わからなくなる。

朝ふいに我に返ると、コチコチはちいさくなり、台所から朝の音とにおいと寝床の外の冷気が伝わってくる。

どちらが本当の世界なのか、長い間考えてもみなかったが、なんだか声にならない声、音にならない音が、遠く近く呼んでいるような気がする。

コチコチ、こっち、こっち、、、。

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「里山保全と竹炭作り」体験

2005年01月23日 | Weblog
作業所「朝顔」主催の体験イベントに参加した。

鏡川中流の行川地区で、まず午前中はびこった竹を切り、午後炭窯で焼いた竹炭を取り出し袋詰めをする作業を体験。たくさんの人手をかければみるみるはかどるのだけど、ふだんは一人か二人で「一から十まで」こなしているという。

現場に向かう途中にも、台風の影響で枯れた竹が道路にたおれかかりそうな場所が何カ所もあった。「里山を保全する」ために竹を切り、その竹を炭にして活用する、ということが繋がれば一石二鳥。しかもそのことで障害者の作業所の運営が成り立てば、一石三鳥なのだが、あまりにも手間暇がかかりすぎる。

里山保全と竹資源活用、そして障害者の自立・社会参加ということが、作業所という枠組みでちゃんと「自立」する日が来るのかしら。自分にはその事に使う日々は少ないではと思った。

http://www.digi-mori.com/dmr/20/4/2040000066/

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もいちど揺れたい

2005年01月17日 | Weblog
牧野植物園で普段公開されていない「牧野文庫」の一部が、富太郎博士の命日にあわせて三日間だけ公開されるというので出かけた。

植物についての学問書はもちろん研究に関係のある広範な領域に及ぶ蔵書は四万五千冊、自筆の植物画など7000葉も含まれる。

明治初年の英和辞典では、英語は当然横書きなのだけど、まだ日本語を横書きにすることが無かったらしく、訳文は縦書きが寝そべったように組付けられている。
博士の関心テーマごとに蔵書が分類展示されているが、地震についての展示に、関東大震災のありさまを記した文章がパネルにしてある。「自分はすぐに庭に飛び出して木にしがみついていたが、逃げ遅れた妻子は家の中で柱が三四寸も揺すられるのを見たという。生きているうちにもう一度そんな揺れにあってみたいもので、それから地震のたびに家の中にいるようにしている。」などととある。

茶目っ気のある科学者らしい物言いだが、震災にあった人が聞いたらきっと怒るに違いない。こんな具合で4万五千冊も本を買い漁られた日には、家族も大変だったに違いない。書物に埋もれて机に向かう白髪の牧野博士の後ろ姿は、写真だけど鬼気せまるものがある。ちろりと振り返り、見たなー、などとうめきそう。

博士は研究にのめり込み、自分が当時の日本で先端を走っていることをかなり意識していたらしく、南方熊楠のことをライバル視していたという逸話もあり、書物にふれることがまるで見知らぬ世界へのゾクゾクする冒険行であったのではないかと感ぜられる。

http://www.makino.or.jp/makino/frame/f_zosho.html

自分のすぐ近くに、こんな世界が潜んでいたのかと、いい年して瞠目してしまった。
牧野植物園へは実家から五台山公園の中の遍路道を歩いて往復した。

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よりよい死生を

2005年01月16日 | Weblog
顔見知りの人に誘われて「地域で”いのち”に寄り添う」学習会に参加。

どうやって地域で助け合って暮らしていくのかを、この学習会では第1回では「過疎」、第2回は「障害者」、そして第3回の今回は「死から遡っていのちを考える」をキイワードにして考えようとする。

札所竹林寺の住職の話の後、ホスピスの看護師長さんを交えてのパネルディスカッション。進行は私を誘ってくれた人で、彼は独居老人と支援者のネットワークを作り「遺言執行人」という活動をしているということをはじめて知った。

死を宗教の観点から、あるいはホスピスという現場から、独居老人の孤独死が増加する予感、死を見つめなおすそれぞれの立場からの発言も興味深かったが、遺言執行人のしめくくりの言葉が耳に残った。

いい話をいくら聞いても、自分がなにかしなくてはいつまでたっても他人事。死を見つめて生を全うするために近くにあることから何か始めよう。

そう言っておいて、いい話には続きがある、とも言う。
https://www.pippikochi.or.jp/modules/news/article.php?storyid=150

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寒いけど暖かい夜

2005年01月14日 | Weblog
妻の店がある商店街の空き地で、シティFM放送番組出演者の交流会がありました。

この寒いのに屋根のないところで七輪を何台も出して鍋パーティ。
http://dokodemo.cocolog-nifty.com/blog/

もうすぐの1月17日早朝には、阪神淡路大地震から10周年を迎えます。
中越地震の被災地には例年を越す大雪だと聞きます。

寒くても見知ったもの同士、鍋を囲める暖かさ、でした。

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戦後日本の平均余命

2005年01月08日 | Weblog
戦後日本は還暦を迎えたという。

 そういう言い方の中に、還暦を過ぎれば生まれ変わる、というイメージが忍び込んでいて、そのことを怪しむ論調も新聞などに見える。

 今朝、NHKテレビの土曜インタビューで海老名香葉子(三平夫人)の話を聞いた。
 昭和20年3月10日の東京大空襲で家も家族も失い、5年間の放浪の末、家族付き合いのあった三遊亭金馬師匠と再会し養女になり、勧められて三平の妻になるという一代記。

 暖かった家庭生活が戦争で崩壊し、戦後それを取り戻すまでの苦闘を振り返り、結局それを支えてきたのは最初にあった「家族の愛」であり、それを守るため二度と戦争の惨禍を招いてはならない。戦後60年、戦災を知るものは少なくなろうとしている。広島長崎には原爆が落ち、東京には3月10日の大空襲があり、一夜にして十万余の命が奪われたことを、知っているものは知らないものに伝えなければならない。
 毎年3月10日にはかつての生家のあった辺り、父母が息絶えたと聞いた辺りを60年間歩き続けてきたという。空襲で亡くなり上野の山に土葬にされた人たちの慰霊碑を、この春ついに建立するという。

映画「うしろの正面だあれ」
http://www.citizenfilm.net/eigashokai/html/ushiro.html

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ひとりだけの成人式

2005年01月06日 | Weblog
正月休みで帰省していた二十歳の我が娘が、成人式には出席せず大学に戻るという。

ちょうど妻の店のある商店街で、新春を和装で迎えるというイベントがあり、それに参加して写真だけ撮ることにした。

近所の美容室で髪を結ってもらい、母親が成人式で来た総絞りの振り袖を古着屋さんで着付けをしてもらった。馬子にも衣装、とはこのこと。祖父母のところに連れて行き、デジカメで写真をぱちぱち撮った。

本人は最初恥ずかしがっていたが、おもわず一生に一度の成人式を自分一人だけのためにやった気になっておおいに喜んでいた。

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