よれよれ日記

谷晃うろうろ雑記

首巻氷枕

2005年07月28日 | Weblog
熱帯夜が続いている。

寝汗、とくに首のうしろ、うなじに汗をかくのが気になり、首にタオルを巻いて寝てみたり、昨夜はついにそのタオルの中に冷凍庫で凍らした保冷剤を巻き込んで、「首巻氷枕」にしてみた。

なかなか快適で久しぶりに熟睡できた。特に昨日は炎天下近所で昼火事があったりしていささかオーバーヒート気味だったので、なおさら「頭を冷やす」効果があったらしい。

最近高校の後輩が脳出血で入院し、左半身が動かなくなってしまった。他にも同世代で病気の話がいくつか聞こえる。年の順ということではあるが、せいぜい気をつけなくては。真夏、火の用心、陽の用心、か。

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あるいてみた

2005年07月16日 | Weblog
久しぶりに空いた時間が出来たので、五台山公園の中を2時間くらい歩き回った。

牧野植物園の東側に背の高い木の林があり、鳥の声がにぎやかに聞こえている。近づいてみると白鷺の営巣地になっていて、空中に白鷺のアパートみたいに木の枝で作った巣が密集していて、下の道は白い糞だらけになっている。まだ羽が薄墨色で白くなりきっていない幼鳥が、枝から枝へ飛ぶ練習をしているのが見える。この暑いさなかに巣立ちをするのだろうか。

山の反対側に下りてバスどおりをてくてく引き返してきた。田んぼの稲は穂が垂れ下がり、田の水も乾き始めている。高校のころこのあたりの田んぼにはまったことがあったっけ。途中で小学校の同級生の実家の前に出て、この前いつ来たのか思い出したら、お父さんのお葬式のときだった。なんまいだぶ、なんまいだぶ。
コメント (1)
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あるかないあるきたいあるくあるけばあるこうる中毒

2005年07月15日 | Weblog
日本ウォーキング協会の新聞「あるけあるけ」を手に取った。

最初から最後まで「歩け歩け」。あたりまえだけど。
公認大会に何回参加したとか、累計何千キロだとか、あるきたくなる日本のみち500選だとか。

もう半分新興宗教のような熱気を帯びている。まもなく団塊の世代がすることなくなって加われば、せまい日本そんなに歩いてどこに行く、ということになる。

案の定、一番最後のページに企画ツアーの広告「万里の長城10年ウォーク」とある。その10年が過ぎたら今度はシルクロードでも歩かせるつもりかしら。

そんなにものめずらしいところを歩き回らなくても、家の近所でリアカーでも引いて廃棄物回収とかのボランティアでもすれば、トラックの油を使わず済み一石二鳥だのに。

散歩も度が過ぎたら徘徊、彷徨になる。

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小さな卓上ラジオから

2005年07月14日 | Weblog
私は昭和30年生まれで、ものごころついたときにはラジオしかなかった。その割りにラジオ番組については何も憶えてない。

白黒テレビ、カラーテレビになり、ラジオから離れていた。それが昭和43年に中学校に入り、ラジオの深夜放送を聴くようになった。最初の自分専用のラジオは、父が取引先からもらったPANSONICの上蓋をあけたらタバコを置くようになっている小型卓上ラジオだった。ボリュームとチューニングの小さなつまみしかなく、周波数をあわすのにずいぶん苦労した。

地元ラジオの番組では「日立ミュージック・イン・ハイフォニック」がちょうど夕食・入浴が済んで机に向かう時間帯だった。

深夜放送はまだ地元局はやっておらず、東京の電波を小さなつまみで探り、TBSの「パックインミュージック」をよく聞いた。そろそろ高校を卒業というころまでその小さな卓上ラジオだった。

あれから何十年も経ち、最近はカーラジオしか聞かないけれど、あのころの小さなラジオを通じて別世界に導かれるような感覚だけは一瞬よみがえってくることがある。あの小さな卓上ラジオは「何処でもドア」だったかもしれないし、またそこに戻る日が来るような予感がする。

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会うは別れの始めなりしか

2005年07月14日 | Weblog
実家の近所に不幸があり、お葬式に行った。

小学校の同級生が来ていた。彼女が「子どものころ50歳言うたら大変な年寄りと思うたけど、いざなってみたらまだまだ子どもやね。」とおっしゃる。まことにまことに。

他の同級生の近況を聞けば、老親が亡くなったり、自分たちが病気になったり、息子娘が家庭をもったり、いろいろだが、たしかにまだまだ大人になりきれてないというか子どもの部分が残っているような気もする。

小さな小学校だったので、一学年ひとクラスしかなく、6年間ずっとおなじクラスだったので全員のことをよく覚えているが、なぜか同窓会はまだ一度もしていない。

私の父の友人に聴いた話だが、わざわざ同窓会をしなくても葬式に行けば同窓会になる年代が来る、とのこと。なるほどなるほど。ひとたび会えば必ず別れるが、最後に別れる告別式か。


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太平洋戦争と日本映画

2005年07月13日 | Weblog
ケーブルテレビのチャンネルをグルグル回していて、日本映画専門チャンネルに出くわした。

7月と8月は「終戦60周年記念」企画で戦争映画42本をグルグル上映中。
http://www.nihon-eiga.com/pacificwar/

映画は古いものもあれば、最近のものも含まれているが、題材は二・二六事件から戦後の下山事件、「吉田学校」まで年代順にとられている。

私が子どもの昭和30年代後半、市内の映画館の立て看板のどれかに必ず戦争映画がかかっていたと思う。戦後、朝鮮戦争の特需を受けて復興が加速され、映画を作る力が日本にあったとき、テーマとして負けた「戦争」ははずせなかったのだと思う。

あれから60年、「戦争を知らない子供たち」の社会になってしまったが、最近のアフガニスタン、イラク戦争やそれに続く国際テロ、アフリカ各地の内戦などの話を聞いていて、本当に戦争のことを全部知っている人間なんているのか、と思う。ましてこれから起こりうる「戦争」が、我々の知っている「戦争」と同じような形で目の前に現れるとは限らない。

私の両親にも戦争体験はあり、いろんな話を聞かされるが、それは二人が見知った話だけなのであって、戦争の一部でしかない。その一部分だけの知識・経験をもって「戦争」を云々している戦後世代の浅はかさは、平和・平和・平和と唱えるだけの平和な人たちも、戦争があるのが普通なのだから普通の国になろうという人たちも同じなのではないか。

だったら、何をしたらいい、という途端に途方に暮れるが、自分の目で見て、耳で聞き、考え、自分の言葉で表わす、そういう暮らしぶりから始めるしかない。

東京都立現代美術館の常設展にも、戦中美術のコーナーがあったが、そこに足を止める人は少なかった。戦争は過去完了のものもあれば、現在進行、未来形もある。

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殺戮のPDCAサイクル

2005年07月08日 | Weblog
戦後60年ということで、昭和20年の空襲についての展示を見に行った。

遺物や写真、地図などの資料のなか、とりわけ違和感を覚えたのは米軍の書類(もちろん英語)だった。

まず高知・高松・徳島への爆撃作戦の説明文書があり、高知市は軍需目的に転用された工場が多いことと、四国東部の物資流通の要点である。人口は10万余で、主に高知城東部に密集してすんでいる、云々。

そして爆撃前の偵察撮影した高知市中心の航空写真。

爆撃結果を「評価する」文書もある。淡々とした表記で数字が羅列させられているが、それは人間が死んだり、家が焼け燃え落ちた数字。添付資料として「爆撃前」「爆撃後」の写真がつけられ、最後に担当者が署名をしている。

爆撃さえもPDCAサイクルだったか。

平和、と唱えれば平和になるとは思えない。
戦争と言うが、われわれが知っている戦争というのは、あまねくおこりつづける殺し合いの60年前のひとつかふたつかみっつなのかもしれない。

昨日ロンドン、明日東京にならない、という保証はどこにもない。
まして平和と唱えるだけで済む話でもなし。

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時計の速度

2005年07月03日 | Weblog
気持ちはどうしようもなく緩んでいた。仕事場に置いてある大きめの掛け時計の秒針がすごい速さで9時3分45秒、50秒、55秒と進んでいく。

 象の時間、ネズミの時間、とかいう話を聞いたことがあるが、まったくあっと言う間に秒針がくるくる回っているように見えて、おもわず自分の頭をふってみた。頭の回転が遅くなってきたので、秒針の動きが早く見えるのでは、と真剣に考えた。時間の経つのが本当に速くなってしまった。

 某日、パソコンのセミナーを受講した。教室のパソコンは最新式でCPUの動作が3ギガ、光通信でそとにつながっている。普段の仕事場で使っているのは、良くて500MBとか100MBくらいのパソコンで、インターネットはISDN。これほど条件が違うと動作が速いというよりは、待ち時間ゼロになってしまい、なんだか身体も頭もついていけず、いつ画面が切り替わったのか分からず次の動作に移れず呆然としている。

 車に速度計の他、エンジンの回転数を示すタコメーターがついているが、人間にもドタマの回転メーターというのがあったらいいのに、と思う。頭のアクセルが踏めたらいいのに。ドラえもん、ホリエモン、ボケエモンの世界、か。

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