敬愛する師匠のご母堂が亡くなった。99歳。
東京生まれのかちりとした人柄だったらしく、最後まで介護サービスなどは受け付けず、自宅で過ごされた。
食べ物がのどを通りにくいというので、スープの本や、大分土産の椎茸茶など届けた。
最後の最期は、病院で眠るように息を引き取られたという。
教会でのお葬式を済ませて、1週間ほどして、師匠の事務所に電話したら師匠の長男さんがでた。
「そろそろ慣れましたかね?」
「いやいや、まだまだ。
仕方ないので、まだいることにして、毎日やってます。」
そうか、まだいる、ことにするか。
案外、本当はそこにいてくれているのに、
見える目をもたないだけのことかもしれない。
花は散るから、花、か。
東京生まれのかちりとした人柄だったらしく、最後まで介護サービスなどは受け付けず、自宅で過ごされた。
食べ物がのどを通りにくいというので、スープの本や、大分土産の椎茸茶など届けた。
最後の最期は、病院で眠るように息を引き取られたという。
教会でのお葬式を済ませて、1週間ほどして、師匠の事務所に電話したら師匠の長男さんがでた。
「そろそろ慣れましたかね?」
「いやいや、まだまだ。
仕方ないので、まだいることにして、毎日やってます。」
そうか、まだいる、ことにするか。
案外、本当はそこにいてくれているのに、
見える目をもたないだけのことかもしれない。
花は散るから、花、か。