同じ日に、作家百田尚樹氏と厚労省事務次官村木厚子氏の講演を聞く機会を得た。
永遠のゼロを書くきっかけは、
戦争に行った大正生まれの自分の父親の世代が、
昭和30年代には戦争のことを語り合い、
息子である自分たちはそれを聞かされていたのに、
孫の世代には話しておらず、
若い世代の中にはアメリカとの戦争の実感が伝わっていない。
いま大正生まれの人は去ろうとしている。
いま書くべきことがある、と。
日本は敗戦時、都市を破壊され、
文字通りゼロの状態だったのを、
東西陣営の冷戦のなか、
朝鮮戦争やベトナム戦争において、
地の利を得て産業を復興させることができ、
昭和39年には新幹線を走らせ、
東京オリンピックを開催することができた。
その経済成長の成果として、日本人の平均余命は世界一だが、
団塊の世代が後期高齢者となる2025年には、健康寿命が尽き、
医療や介護の受け手となり、生産年齢層に依存することになる。
そのときの社会保障を支えていくには、みなに覚悟が求められる。
厚労省の地域包括ケア構想はそのうえに立っている。
事務次官村木厚子氏の話は、
少子高齢化の日本を支えていくための男女共同参画について。
活用されていない女性の生産年齢の力をどうするか。
話の内容より、とくとくと説明する声音に、
ひろく日本の女性に語り掛ける「姉」の様子を感じた。
中東や西アジアでは紛争が続いているが、
日本でも700万弱の団塊が死んでいく静かな「戦」が始まり、
死ぬ本人たち、それを看取り見送るのに発生する巨額の「戦費」について、
財務省は狂奔している。
講演を聞いた後、東京都写真美術館で、
フィオナ・タンという映像作家のインスタレーションを観た。
「ディスオリエント」という作品で、
世界各地の紛争や貧困層の実写の背景で
「東方見聞録」の朗読が流され、
世界が少しも変わっていないことが知れる。
「東方見聞録」も聖書も経典も大祓いも同じ。
世界は変わり続けることに、
変わりはない。
http://syabi.com/contents/exhibition/topic-2248.html
高校の同級生が難病で、
横浜の老健施設に入所したとのことで、訪ねる。
来年還暦なのに最年少。
元気はあるけど、することがない。
私にはすることがあるけど、元気はない。
足して2で割ったら、
永遠のゼロか。