金曜日は久しぶりのしっかりした雨で、屋外の用事に難儀した。草木は一息つき、水路にも田んぼにも水が満々としている。
夕方降り止み、西の方の山並みにかかっていたテーブルのような分厚い雲が動いて、稜線と雲のテーブルの間にぽっかり隙間が空いた。その空間に太陽が降りてくると、雨でホコリが落とされて大気の透明度が高いのか、赤みがかった夕陽ではなくてコバルト色というべき光り輝く火の玉になって目に飛び込んでくる。
週末の夕方、西向いて帰宅する人はさぞかし目が焼けたことだろう。西方焦土。
翌朝はうってかわって信じられないくらい霞のようなものがかかって、町の周りの一番近い山の姿すら判然としない。黄砂だという。その日の夕方、日が沈んでから西の山を観ると、黄色みのある空に薄墨で流したような山並みが、井上靖の本の装丁を東山魁夷が描いたような風情になっていた。なんのこっちゃ。
さらに次の日曜日あちこち小学校で運動会をしていて、高曇りではあるがさぞかし紫外線が強かろうと思っていたら、九州あたりでは「光化学スモッグ注意報」で運動会が打ち切られた、という。こいつも中国産。
週明けの月曜日、風向きが変わったのか雨も降らないのに空気が澄んでいて、遠くの山肌、そこに植わっている木々が普段より近く感じられた。「清明」というのはこれかと思ったが、それも西の方から流れてきたものか、なんだか空模様はあっちこち荒れ模様。
夕方降り止み、西の方の山並みにかかっていたテーブルのような分厚い雲が動いて、稜線と雲のテーブルの間にぽっかり隙間が空いた。その空間に太陽が降りてくると、雨でホコリが落とされて大気の透明度が高いのか、赤みがかった夕陽ではなくてコバルト色というべき光り輝く火の玉になって目に飛び込んでくる。
週末の夕方、西向いて帰宅する人はさぞかし目が焼けたことだろう。西方焦土。
翌朝はうってかわって信じられないくらい霞のようなものがかかって、町の周りの一番近い山の姿すら判然としない。黄砂だという。その日の夕方、日が沈んでから西の山を観ると、黄色みのある空に薄墨で流したような山並みが、井上靖の本の装丁を東山魁夷が描いたような風情になっていた。なんのこっちゃ。
さらに次の日曜日あちこち小学校で運動会をしていて、高曇りではあるがさぞかし紫外線が強かろうと思っていたら、九州あたりでは「光化学スモッグ注意報」で運動会が打ち切られた、という。こいつも中国産。
週明けの月曜日、風向きが変わったのか雨も降らないのに空気が澄んでいて、遠くの山肌、そこに植わっている木々が普段より近く感じられた。「清明」というのはこれかと思ったが、それも西の方から流れてきたものか、なんだか空模様はあっちこち荒れ模様。