よれよれ日記

谷晃うろうろ雑記

わさびはそばに

2007年12月29日 | Weblog
私は52歳になるが、子どもの頃、南国土佐の高知ではあまりそばを食べなかったと思う。

二期作といって、温暖な気候に恵まれ同じ年に同じ田んぼで二回稲作が出来ていて、東北のように粟やヒエで米を補うということをしなくてもよい土地柄で、麺と言えば宴会料理の皿鉢(さわち)に出てくる素麺くらいだったと思う。

だから手打ちのそば屋など見たこともなかった。が、最近本格的なそば屋が出来てきて、その度に珍しく思って食べにいく。

今日も新しい店に行ってみて、「わさびはつけ汁ではなくそばに直接」と雑誌で見かけたのを思い出して、やってみた。

気のせいかもしれないが、そのようにしたら、そばの味、わさびの辛さと風味、それからつけ汁の滋味、という順に味わえたような、気がした。

気がした。



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写真とは、真を写した、それを見て、そして、、、

2007年12月25日 | Weblog
ロイターのニュースページに次のリンクがあった。

http://jp.reuters.com/news/pictures/slideshow?collectionId=1347#a=1

ホームレス、という実在。
それをこの目で見て、私はどうすればいい。

何か答えたら、それは嘘か、間違いか、に違いない。

こんな写真もあった。

http://www.uzo.net/photoj/photo.htm

地球は広い上に、丸くてくるくる回っていて、止まることはない。
60年前の日本はどうだったろう。

CNNにこんな場所もある。

http://edition.cnn.com/CNNI/Programs/untoldstories/blog/

「所詮この世は色と欲」とは日本のセリフだが、
アメリカは、「金か油まみれ」にしか見えないと思っていたが、このような目線もあり、バランスしているらしい。

日本の「色と欲」は何とバランスしているのかしら。

それが即答できない自分が、悲しい。

私にカメラを向けたら、どんなものが写るのだろう。






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ある日突然、鳥獣保護。

2007年12月20日 | Weblog
仕事場の溝で「鳥がうずくまっている」と報告あり。

行ってみると、鳩より二回りくらい大きい灰色でくちばしの長い鳥が確かにうずくまっている。片方の羽を力なく開いたまま目だけが鈍く動いている。最近このあたりはカラスの群れが我が物顔に飛び回っているが、連中に追い回された挙げ句に墜落してきたものかしら。

どうしたものかしばらく迷ったが、十年くらい前に小学生だった末の息子が近くの公園の芝生の中で怪我をしていた小鳥を見つけて来て、親子で小鳥屋や獣医を訪ねまわり結局、市営遊園地「わんぱーく高知」のアニマルランドに引き受けてもらったことを思い出した。

引っ越し用の段ボールにタオルを敷き、灰色鳥の後ろから別のタオルを布団のようにかぶせて抱き上げると、少しみじろいただけで抵抗もせず温和しく「引っ越し用の段ボール」に収まってくれた。

車で十分ほどのわんぱーく高知に行くと、まもなく閉園時間で通用門に通され、ちょうど事務所から出てきた女性の係員に要件を告げると、まっすぐ「治療室」に案内され「鳥獣の治療と放鳥を県から委託されていますので」と受け取ってくれた。(前回もそうだったか、思い出せないが。)

渡り鳥かと思っていたら、このあたりに普段からいる「ゴイサギ」という鳥とのこと。

後になって鳥獣保護の取り組みについて調べようとしたら、このページが出てきた。
http://www.i-kochi.or.jp/prv/je5pkx/110ban.html

誰に感謝していいのかわからないけど、とにかく感謝したくなった。



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椿三十

2007年12月15日 | Weblog
椿三十を観たら、椿三十を観たくなった。

いや、森田三十を観たら、黒澤三十を観たくなったのか。
はたまた、織田三十を観たら、三船三十が観たくなるのか。

新作を観た後、旧作を観たくて、レンタルビデオを探したが、各店1本しかおいてなくいずれも貸し出し中。

NHK-BSが三船敏郎特集のようなことをしているが、三十は予定にない。

今の時点で、その特集で三作観たが、白黒の「侍」がよかった。

「桜田門外の変」の話だが、往年の役者さんたちが皆しっとりとしていて、最近のテレビや映画の危うさが全くない。

我々が失ったのは、時間の経過以上のものに違いない。
これ以上生きていて、得るものが、あるのだろうか。

私の年齢と同年の頃の三船敏郎もそう思ったろうか。

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