ガンバレ、ニッポン

なんか、不安定なニッポンですね。

IR参入希望の中国企業が関与か 秋元議員元秘書 外為法違反容疑

2019-12-18 15:58:23 | 外国人犯罪
どうしようもない

自民党、、、、

外国人に乗っ取られている現実に日本国民は自分の生活を守ることでいっぱいいっぱい状態。。。




そーすから

自民党の秋元司衆議院議員の元秘書が、外為法違反の疑いで家宅捜索を受けた事件で、日本国内でのIR(統合型リゾート)事業に参入しようとしていた中国企業の元役員らが、海外から不正に現金を持ち込んでいた疑いがあることがわかった。

東京地検特捜部は、12月7日、内閣府の前副大臣で、IR担当だった秋元司議員の元秘書宅などを外為法違反の疑いで家宅捜索している。

この事件で、日本でのIRに参入しようとした、中国企業の日本法人の元役員らが、海外から無届けで、数百万円の現金を持ち込んだ疑いがあることがわかった。

元役員らは、IR招致をしていた、北海道・留寿都村のリゾート施設の運営会社幹部などにも会っていて、特捜部は、留寿都村の職員から事情を聴き、北海道庁から資料を入手するなど捜査を進めている。

「運動会の花火」「除夜の鐘」に苦情多数で禁止拡大の不寛容

2019-12-16 13:35:20 | 社会
へ~~

そうなんですね。。

なんか、呆れるね。

これでいいのかなあ、、

お寺の近くに住まなければいいと思うけど、、

人間って身勝手だね。。

数人の意見で無くなったものや禁止になったものが結構あると思いますが。。。




そーすから

うるさいから止めろ、と言われても、音を出す側に相応の理はある。だとしても騒音と断じられてしまうのか。

 たとえば、運動会の始まりを告げる花火。主に宮城県など東北6県では、運動会のみならず、収穫の秋を祝う町内の祭りなどの行事を行う合図として、古くから用いられてきたという。

 それがここ数年、住民たちの苦情で、取り止めになる例が相次いでいるのだ。
 地方紙記者が解説する。

「“夜勤明けで眠れない”などの住民からの抗議で、今年の運動会では仙台市内に186ある小中学校のうち、約半数の90校で打ち上げを見送りました。確かに早朝から花火の音が響き渡れば迷惑だと思われるかもしれませんが、この合図は明治以来続く地域の伝統的な慣習です」

 お隣の福島県でも、同様の事態が起きている。福島市では、昨年から住民の苦情が市役所に寄せられ、今年は二つの小学校で花火の打ち上げを見合わせた。

 市教委の担当者が言う。

「苦情で取り止めたわけではなく、あくまで現場と協議して、メールなど別な方法でも運動会の開催を周知できるという判断から、午前6時台に行っていた花火を取り止めました。本番が始まる8時台の花火は例年どおり実施しました」

 運動会も秋祭りも年に1回限りの行事である。なにも毎朝、花火が打ち上がっているわけではないのだ。
 年1度と聞けば、まもなく迎える大晦日でも不寛容の声が鳴り響く。東京・小金井市にある曹洞宗の寺院・千手院は、除夜の鐘を5年前から止めたそうだ。

「近隣の方から苦情が来て裁判所で調停が開かれたのですが、100万円かかる防音パネルを設置しなくてはならなくなりました。音が遠くまで聞こえなくなるし不自然なので、今年も鳴らすことはありません」(住職)

 同じく住民の抗議を受けながら、鐘を復活させたのは真宗大谷派の大澤寺(だいたくじ)(静岡・牧之原市)である。

 住職の今井一光氏(61)はこう話す。

「百八十度発想を変え、正午から除夜の鐘を突く予定です。昨年も日が高いうちに鳴らしたところ好評で、近隣から苦情も来なくなりました。昼間の方が明るいし寒くないので、今まで足を運び辛かったお年寄りや子供たちも、気軽に鐘を突けるようになりました。お手伝いに来る婦人部の方も、夕方は家でおせちの準備ができると喜んでいますね」

 まさに「災い転じて福と為す」というワケだが、夜に鐘の音を聞きながら年越し蕎麦を啜る光景が、ここでは見られなくなってしまったのもまた事実。世間を覆う禁止拡大の波は、収まる気配が見えないのだ。

泥棒は韓国のお家芸! 『盗んだ種で、大儲け』広島の努力が・・・。

2019-12-14 09:14:06 | 韓国
日本人はしっかりしろよ

としか言えない、、

国民性の違いなのかなあ?

キャノンを退職した方から聞いたのですが

中国に工場を作るときに新品の機械を日本から運び組み立てる。

工場で生産をします、のちに中国人とトラブルになります。

日本人と中国人との考え方の違いです。

技術移転、、、ようは技術が完全に盗まれます。

その技術が中国人による新会社設立に使われる。

そのほかいろいろトラブルが発生します。

その方は役職でもあったことで退職後も中国へ行って技術指導をしていた。

新品の機械を持って行ったが「中古」にすればと反省していました。

日本人は「みえ」をはる民族ですから外ずらをよくすることしか考えない。

20年も経済が低迷しているのは日本人の国民性なんじゃーないだろうか。






そーすから

 2019年12月10日、植物に国境はない。風に飛ばされ遠い異国に芽を出したとしても、それは己の力であって、人間かとやかくいうことでない。

 しかし、他国が開発に何十年も費やした種苗を、勝手に持っていって(一般社会ではそれを窃盗と言う)、栽培して利益を上げるというのは、もう犯罪だ。

 今、韓国産シャインマスカットが、中華圏で人気の果物になっている。

 シャインマスカットは、日本の広島地方において、30年もの時間をかけて交配され品種改良され研究されたブドウの品種だ。粒が大きく、きらきらと輝く姿が「シャイン」という名称にもつながっている。

 この種が、韓国や中国に極秘に持ち出され、栽培されているのだ。中国産は、栽培技術が不足していて、栽培する農家も少ない。日本産を仮に輸入するとしても価格が高い。

 そこで、人的に栽培技術すらも盗みやすい韓国人グループが日本に入り込んで、農業実習生などになり、種と一緒に盗み出したと言う次第だ。

 韓国産(日本からそのまま技術を盗んだのだから)は、品質も優れている。価格帯も日本産と中国産の中間水準ということで価格競争力が高いと評価されている。

 地続きで果物が手に入る。中華圏では運送費も安く韓国産を選ぶというわけだ。味も中国人には同じに感じるのだろう。

 「高級イメージ構築のためには、もっと品質管理に努力しなければならない。また、中華圏の名節を狙った先物市場攻略にも功を奏する」と、韓国農水産食品流通公社は見解した。

 残念ながら、日本固有の種であり果物との登録を、日本では行わなかったのだ。ズル賢い韓国が、自国発祥のシャインマスカットと言い出す日も近いだろう。

川崎市、ヘイトスピーチ禁止条例可決 罰金最高50万円

2019-12-12 19:27:51 | 日本
在日コリアに対してのヘイトでの罰則法案、、

日本人が暮らしにくい日本、、

川崎市って自分で自分の首を絞めてないか?

日本って差別社会なのでしょうか?


怖いなあ~~

コリアの難破船、、、






そーすから

外国にルーツがある市民らを標的にしたヘイトスピーチ(憎悪表現)を犯罪と位置づけて刑事罰を科す、全国で初めての条例を川崎市がつくった。12日に開かれた定例市議会本会議で可決、成立した。差別的な言動を3回繰り返すと、最高50万円の罰金が科される

 条例は、道路や広場、公園のような市内の公共の場所で、拡声機を使って「日本から出て行け」と叫ぶなど、罰則の対象になる行為を厳格に絞り込んだ。憲法が保障する表現の自由に配慮した。

 罰則対象の行為があった団体に対し、市長はやめるように「勧告」。再び行為に及びそうな時には「命令」をする。命令に違反すると、市長は警察や検察に告発し、刑事裁判で有罪になると罰金が科される。

 市長は、勧告、命令、告発の各段階で、有識者でつくる「差別防止等審査会」に意見を聴く。行政や捜査機関が条例を乱用しないようにする仕組みだ。

 ヘイトスピーチは特定の人種や民族などの少数者に対して、暴力や差別をあおったり、侮辱的な言葉をぶつけたりするもの。近年の日韓関係の悪化を背景に、在日コリアンが多く生活する東京・新大久保や大阪・鶴橋など各地で繰り返されてきた。

 川崎市では在日コリアンを標的にしたヘイトスピーチが繰り返され、2016年に国の対策法ができるきっかけになった。だが、法律は「不当な差別的言動は許されない」という基本的な考え方を示しただけで、罰則を設けなかった。先行する大阪市や東京都の条例も啓発が目的で、刑事罰は設けていない。

 対策法の施行後もヘイト行為が横行する状況に対し、川崎市は抑止力のある条例を整備しようと取り組んできた。先駆的な内容で、同様の条例作りに取り組む全国の自治体のモデルになると注目されている。

 ただ、インターネット上の書き込みや動画によるヘイト行為については、表現の自由との兼ね合いなどから罰則の対象外となり、今後の課題として残された。 市議会では出席した57人全員が賛成した。採決の前に2人が退席した。

壮絶…日本で外国人の子供が「ギャング化」その厳しすぎる現実

2019-12-09 19:37:18 | 外国人犯罪
TVやマスコミが報じない、だから日本人はこのような外国人の

子供たちの状況を全く知らない。

4月から移民の自由化でさらに外国人が日本へやってくる。

日本語ができない外国人だらけの日本になっています。

新潟のこんな田舎でも日本語でない言語が飛び交っています。

大声での会話ですぐわかる。

国会で取り上げることもまったくしない。

与党、野党は腐りきっている。

日本の土地が買われて状況に危機感を持たない日本人、、、

どうすればいいんだろう。。。

20年もすればこの世からいなくなる私ですが

やはり、気になる。




そーすから

ギャング化する外国籍の子供たち
 今年9月、文部科学省は、日本に住む外国籍の子供のうち、15.8%に当たる約2万人が不就学になっている可能性があると発表した。不就学とは、不登校と異なり、学校に籍がない状態を示す。


 日本には、工場や建設業の仕事を求めて来日してくる外国人が年々増加しており、その中には子供を連れてくるケースも少なくない。

 こうした子供たちは家庭環境や日本語の壁にぶつかり、学校へ入学しないか、入学しても途中で辞めてしまうことがある。外国人は「義務教育」ではないので、学校を辞めて社会とのつながりが断ち切れるということが起きてしまうのだ。

 彼らは学校へ行かなくなることで社会福祉や地域とつながりがなくなり、漂流していってしまうことが多い。児童労働に取り込まれたり、非行化してギャングとなって事件を起こしたりするケースもある。

 日本が労働力を外国人に頼らざるを得えない状況の中で、こうした子供たちに光を当てるのは間違いではないだろう。

 ここでは、日本の教育からこぼれ落ちた二人の南米出身の日系人の子供に光を当ててみたい。


池長ミツヨシ
 池長は日本に来て20年になる。全身にタトゥーを入れ、建築の仕事をしながら、家庭を持って子供も育てている。だが、ほとんどと言っていいほど日本語をしゃべることができない。日本人の子供に例えれば、4歳前後のボキャブラリーだろう。その原因が、彼の「不就学」にあるのは明らかだ。

 池長はブラジルの貧しい町で生まれ育った。父親はいろんなところに女をつくり、子供を生ませていた。池長もそうして生まれた子供の一人であり、物心ついた時には父親は離婚していなくなっていた。父親はブラジルで生活が成り立たなくなり、日系人だった母親を頼って日本へ行ってしまっていたのである。

 母親の元で池長は小学5年生まで過ごすが、家は貧しく生活もギリギリだった。そのため、日本で暮らす父親のところへ預けられることになった。

 日本で父親は契約社員として肉体労働をしていたが、女性をつくって遊び歩いており、池長はネグレクト状態に置かれた。池長はご飯さえ食べられない日々がつづいたが、日本語ができない上、学校にも行っていなかったので、助けを求めることさえできない。

 小学6年のある日、父親に殴られたのをきっかけに、池長は家出をした。だが、彼には行先も、助けを求めるだけの語学力もなく、汚い橋の下で暮らしはじめた。12歳でホームレスになったのだ。

 池長の言葉である。

 「橋の下で生活したのは、寒いから。あと捕まるのが怖いから。痛いし、怖い。でも、家よりいい。(父親は自分のことを)捜してくれなかった。邪魔だったと思う」

 下水の臭いが漂う橋の下で、拾ってきた段ボールを敷いてベッドにし、布団替わりに汚れたタオルに身を包んだという。

 池長は公園の水を飲んだり、コンビニのゴミ箱を漁ったりして飢えをしのいだ。風邪をひいたこともあっただろうが、そんなことに気づく余裕もなかったという。

 驚くことに、ホームレス生活は3年に及んだ。もし池長が日本人であれば、このようなことは起きなかったはずだ。家庭が荒んでいても、学校や親戚が気づいて捜索願を出していただろうし、地元の人々も日本人が橋の下で寝泊まりしていれば手を差し伸べたはずだ。「外国人」だからこそ、人々の無関心の下でこうしたことが起きてしまうのである。

 15歳の時、池長はようやくホームレス生活に終止符を打つことができた。建設業のオーナーに声を掛けられ、働かせてもらえることになったのだ。違法な児童労働であり、日当も低かった。だが、3年も橋の下で暮らしていた池長にしてみれば、天から下りてきた蜘蛛の糸のようなものだった。彼はその会社で働き、屋根の下で生きていくことができるようになった。

 池長は言う。

 「あそこで仕事してなかったら、死んでた。親方、助けてくれた人」

 皮肉にも、学校も地域も救ってくれなかった中で、建設業の親方だけが「児童労働」という形で池長に手を差し伸べたのである。

 この親方の会社では、同じような境遇の日系ブラジル人の子供たちがたくさん働いていた。ほとんどが学校にも行けず、家庭にもいられず、町をさまよっていた子供たちだった。

 彼らは生きるために無我夢中で働き、夜は夜で鬱憤を晴らすように酒を飲み、ドラッグに手を出し、日本人相手に暴力を振るった。それしかストレス解消の術がなかったのだろう。

 そして彼らは自分たちのルーツである南米のギャングを真似して、全身にタトゥーを入れた。特徴的なのは、それぞれの体に市外局番のタトゥーが入れられていることだ。南米のギャングは自らが生まれ育ったストリートをギャング名にしてタトゥーにすることが多く、それを真似たのだ。

 池長は言う。

 「俺の地元はブラジルじゃない。ここ(可児市)。だから、この番号を入れた」

 彼らは、可兒こそ自分たちの生きる場所だと思っているのだ。

アチャ
 アチャが暮らす静岡県磐田市もブラジル人労働者の多い町として知られている。

 磐田市には、かつて"スラム"と呼ばれていたT団地がある。リーマンショック前は住民の多くがブラジル人労働者だった。

 アチャはブラジル人ではなく、日系ペルー人だ。両親が出稼ぎ目的で日本に来ていたため、ここで生まれ育ち、小学校へも入学した。だが、内気な性格がたたったのか、日本語がしゃべれるのに、言葉がうまく出ていないと判断され、まったく日本語ができない子供たちのための教室へ送られ、それが嫌で不登校になった。

 当時の団地にはあちらこちらにカラースプレーの落書きがあり、外国人たちがドラッグをやっていたり、酒を飲んで暴れていたりしていた。酔って刃物をふり回すような人たちもおり、日本の暴走族さえ近づかなかったという。

 アチャは不登校になったことで、そういう若者や大人たちとつるむようになった。学校へ行けば先生から「日本語が下手」と言われ、同級生からは外国人ということでいじめにあう。居場所は団地の外国人の不良たちのたまり場にしかなかったのだ。

 アチャは言う。

 「本当は真面目にやりたかった。でも、日本の学校がそうさせてくれなかった。あの頃は団地にはそんな人たちがあふれ返っていて、学校へ行かなければ、そういう人たちの輪に入るしかなかった。外を歩けば声を掛けられて誘われるんだから仕方ないじゃん。

 今考えれば、本当にスラムみたいな団地だったと思う。俺の住んでいる棟だって、うちの上と下の部屋に住んでいた人が自殺してる。社会に溶け込めなかったんだろうね。そんなふうに死ぬくらいなら、不良とつるんでいた方がずっとかっこよかった。それ以外に選べなかったんだよ」

 親からは不良の外国人と付き合うなと言われていた。ドラッグをやっている人たちと一緒にいるくらいなら家に引きこもってくれていた方がよかったのだろう。

 だが、当時彼の団地の2LDKの家には、きょうだいや甥っ子など十人が暮らしており、幼子の世話も押し付けられていた。アチャはこうしたプライバシーのまったくない家に留まるつもりはなかった。

 団地の環境が変わったのは、2009年のリーマンショックだった。大不況により、工場はブラジル人労働者たちに一家族につき30万円の帰国費用を支払うことを条件に退職を強いた。事実上のリストラである。これによって、団地に暮らしていた大勢の外国人たちが日本を去っていった。

 アチャの両親も仕事を失い、一時帰国することを決めた。だが、アチャは日本に残ることを選んだ。

 アチャは日本生まれだし、両親が暮らしていた町はペルーでも屈指の治安の悪いスラムだった。一度だけ実家に帰った時、家を出た瞬間に強盗に銃を突きつけられて殺される寸前の体験をした。友達もいない、そんな危険な国へ行くという選択肢はなかったのだ。

 両親がペルーへ帰ったため、アチャは団地に一人で取り残された。何があったのか、すぐに仕送りが止まり、アチャは生活に困窮するようになる。家の電気、ガス、水道はすべて強制的に止められ、真っ暗な部屋で空腹に苦しんだ。

 アチャは言う。

 「金がないから、コンビニから盗んだものを食べたり、公園で水を飲んで腹を膨らましたりしてた。すげえ孤独で頭が壊れそうだった。誰も助けてくれないし、誰に助けを求めていいかわからない。

 それで手を出したのがパウダー(危険ドラッグ)だった。盗んだり、奪ったりして金を手に入れれば、すぐに浜松の店に飛んで行って買った。パウダーをやったら、全身が射精する感じになって、嫌なことを全部忘れられるんだ。家に帰るまで我慢できず、くせえ公衆便所でパウダーやっておかしくなってたこともあった」

 こんなアチャに手を差し伸べてくれたのが、同じ団地に暮らす不良やその親だった。食べる物がないと聞けばパンを分けてくれたり、小遣いをくれたりした。

 アチャは言う。

 「団地のみんなに助けてもらって、ここが俺の生きる場所だって思ったね。宝物だよ。この仲間たちと生きて生きたいと思った」

 彼は今、その仲間たちとともにラップをやっている。その仲間の体にも、可児市の池長と同じく市外局番のタトゥーが刻み込まれている。彼らにとって、T団地は「異国」ではなく「地元」なのだ。

「外国人」であるがゆえに…
 池長とアチャの例からわかるのは、彼らが「外国人」であることから、日本の子供ではありえないような状況に陥っていることだ。

 日本人の子供が、池長のように12歳から3年間も橋の下でホームレスとして生きていくことがありえるだろうか。

 あるいは、アチャのようなに、ライフラインの止まった団地の部屋に置き去りにされてしまうことがありえるだろうか。

 ほとんどのことが、「外国人」であるがゆえに、子供たちが社会から見捨てられた結果として起きていることなのだ。

 冒頭に述べたように、今の日本は外国人による労働力に未来を託そうとしている。ならば、外国人の子供に対してそれに見合った支援をしていく必要があるだろう。

 池長やアチャは国籍こそ外国かもしれないが、体に地元の市外局番のタトゥーを掘り、そこで定住しようとている。家族も友人もみんなそこにいる。

 そう考えた時、私たちは彼らを「外国の子供」ではなく、「日本に暮らす子供」として受け止め、何をすべきかを考えていく必要があるのではないだろうか。