風邪を引いた。急に寒くなったから、体が追いついていないらしい。
肩から上が別人のようだ。
これ以上ひどくなりませんように。下火になったとはいえ、コロナはまだ姦しいし。
先日の坂本繁二郎の展覧会は、正確には、同郷の青木繁との二人展(というのだろうか、こういうのは)だった。
展覧会の最後の絵は、それぞれの絶筆だった。
坂本は晩年の月の絵の締めくくりとして、月の姿は見えず、暖色の雲の中に月光のみが浮かぶ、まろみのある絵。
それに対して青木は、荒れたタッチの朝日の絵だった。
長く生きて、描くことそのもののようになっていった坂本は、自分の人生を十分に生き、仙人のようになった。
それに対して溢れんばかりの才能を持て余して早世した青木は、さぞ悔しかっただろう。
一瞬そう思って、違うな、と思った。
坂本と青木がいると思い、長い人生と短い人生があると思い、仙人のようになった人を羨ましいと思い、早世した人を無念だろうと思うのは、私が、私がいると思い、時間があると信じ、長生きしたい、平安でありたい、いや、平安であるべきだ、という信念の投影だ。
坂本も青木も、柔らかな月影の絵も荒々しい朝日の絵も、それを見る私も、すべては一つであり、今ここにある。
多分私は、それがぜんぜんわかっていない。
でも、わかってなくていいんだとも思う。
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