一人旅は何年ぶりだろう。
昔から国内旅行は好きだったから、今回も別に不安はなくて、しかも高野山はそれほど広い街じゃないし、世界遺産だからいろいろ整備されてるし、見所も固まってるから、
「まあ、なんとかなるだろう」
と、それほど考えずに出かけたが、これが後々、慌てる羽目になる。
要するに私は、自分で思っているほどは旅行に向いてないらしい。
あまりにも地図と時刻表に弱すぎる。そして優柔不断すぎ、細かいことにこだわりがありすぎる。
思い起こせば若い頃の旅行もアクシデント満載ではあった。
今回もしょっぱなからどういう思い込みなのか、ケーブルの高野山駅に着いたら、すぐ山門があるもんだと思っていたのに(なんでそう思っていたのかがわからない。ガイドマップに山門にはバスで行けって書いてあるだろう)、あるのはバスターミナルだけ。
しかもすぐに出発しちゃいそうだったので、慌てて飛び乗る。歩き倒す気満々で、フリー乗車券買わなかったのに。
で、せっかく乗ったので、街の一番奥まで乗って行っちゃえ、と思い、ここでようやく、
「よし、じゃあ、今日は奥の院に行くか」
と行き先を決める。
高野山の見所三大スポットは、奥の院、金剛峯寺、壇上伽藍。
その中でも、奥の院は、空海が入定し、今でも瞑想を続けていると言われる、高野山の一番奥まった場所であり、もっとも
ここで素直に「奥の院口」という、いかにも奥の院に行けそうなバス停で降りればいいのに、
「お昼食べなきゃ」
と思って、奥の院のもう一つの出入口で、街に近い一之橋で降りたら、何もない。
お土産屋さんに聞くと、一つ先の店に食堂が併設されてるからそこに行けという。そこに行ったら団体でいっぱいだから、もう一つ先のバス停まで行けば、お店が数件あるという。
そこは奥の院口だった。初めからここで降りればいいものを。
そこで「停車馬」という名前の、ウッディな喫茶店ぽい店を見つけ、
「停車『場』?」
と、思わず首を傾げながら入ったそのお店のキツネうどんが、
「ああ、まさに今、これが食べたかったんだよ!」
というドンピシャストライクの味で(数日前から胃腸の調子がイマイチで、あんまり食べられなかったのもあって)、あったかくて、青ネギがたっぷり散らしてあり、出汁が関西風で、黄金色でさっぱりと香り高い。
「ああああ、幸せ……」
うどんをすすりながら、いろいろと挫かれた気力をようやく取り戻した。
お客さんは私だけだったんだけど、お店の人が、
「ゆっくりしてってや」
と声をかけてくれて、思わず、
「美味しいぃぃぃ」
と、感動を伝える。
食べ物っていうのはなんか不思議なもので、時々こうやって、お腹以外の何かをふわっと満たしてくれるときがある。
大満足でお店を出て、そこから奥の院へ。
奥の院までの道は、ひたすらお墓が続く。そしていきなり、浄土真宗開祖の親鸞のお墓を見つける。
「んー?なんでここに親鸞さん?」
そしてさらに、浄土宗開祖の法然の墓も見つける。
「んー?なんで法然さん?」
私は真言宗とは何かとご縁のある土地柄に生まれたけど、元々は北陸出身の我が家は浄土真宗。この二つは色々と真逆で面白いと思っていたのだけど、
「お墓は高野山なんだね……」
後から調べたら、墓というよりは墓碑であるらしい。そして高野山は宗派を超えた仏教の聖地として(ベースに山岳信仰もあり)認識されているのだそうだ。なるほど。
この日は夕方から雪が降る予報で、今にも降るぞ、という曇天が杉の古木の合間から覗いていて、なんだか重厚な雰囲気を醸し出していた。テレビなんかでも、
「ここを渡ると、なんだか空気が違いますね」
なんてよくやっていた御廟橋の前で一礼し(お作法だそうだ)、ちょっとドキドキしながら渡ってみたが、空気の違いはあまりわからなかった。まあ、ここは人の気配も多いし、そんなもんだろう、と思って拝殿に入る。読経を聞きつつお参りをし、お守りやお札なんかを見ていると、葉書が積んであった。そこに、
「お大師さまにあなたの胸の内をそっと聞いてもらいませんか」
と書いてある。宛先は、
「高野山奥の院 お大師さま」
これがなんだかツボに入って、じわじわと泣けてきた。
うんうん、聞いてほしいよねえ、助けてほしいよねえ。
私はそういう存在を聖霊とかイエスとか呼んできたけど、お大師さまってもっとなんかこう、生身な暖かさを感じる。これが血肉に受け継がれた文化というもんだろうか。私の理解の中では同じ存在(というか機能)だけど、私がその呼称に応じて違う印象を投影しているというのが面白いと思いながら、じわじわと泣く。
拝殿からの帰り道は、来る時と違うルートを取って、一橋に向かう。
この頃からひらひらと雪が舞い初めた。いい感じ。この景色、ちょっと期待していた。
途中には、戦国武将のビックネームがずらり。
中でも御廟橋に近いところに、織田信長と豊臣秀吉の墓があった。秀吉はともかくとして、信長の墓の前に立って、
「おーい、第六天魔王……」
と、思わず呟く。信長ほどの人が今更、既存の仏教システムを使って成仏しようなんて思ってないと思うけどなあ。誰かにここに葬られちゃったのかなあ。それとも、それ(高野山とか比叡山の焼き討ちね)はそれ、これ(高野山の聖性で成仏!)はこれなのか?
もっとも信長が第六天魔王と自称したのは、武田信玄の手紙に対する、ただの「売り言葉に買い言葉」だったらしい。へえ、そうなんだ。その信玄のお墓は見つけたけど、近くにあるという上杉謙信のお墓は見落とした。
さて、無事に奥の院のお参りを済ませ、まだ時間があるので、金剛峰寺へ行くことに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/d7/8d4ab3b86a8975af0a39eab935500122.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/3f/284b505995d6edfbc4e7e9de7b502be2.jpg)
ここは密教のお寺というよりは禅宗のお寺みたいな感じ。襖絵がすごい。黒光する木の感じとか、別院との間をつなぐ長い廊下とか、ものすごく好み。ただし、耐え難く寒い。
ここについた頃には雪がガンガン降ってきた。みぞれっぽいのか、ざらざらざらざら……と音がする。
蟠竜(地上にトグロを巻いている竜のことだそう)庭という石庭の白石に、さらに雪が白く降り積もる。もう夕方に近いせいか、人もほとんどいなくて、ただただ雪の音だけが鳴り続けて、大変に良い風情。拝観コースの最後に、大きな大きな台所があった。ここに煙が上がり、たくさんの僧が忙しそうに行き交って、大窯をたき、汁を作りする様子が目に見えるようで、表舞台である書院や石庭の静けさとの対照が印象的。二千人分の米が炊ける大窯が大迫力。空中に棚が吊るしてあり、上の板の四方を半紙で囲ってあった。ネズミが入らない工夫だそうだ。
「……ということは、しょっちゅうネズミがいたってことだ」
この棚で、なぜかとても、
「ああ、自然の中で人間が生きるって、大変なことなんだよな」
と思わされる。
今日の宿は本覚院という宿坊。
般若湯が供されないと困るので、事前にビールとハイボールを確保。
「日が暮れると道に迷いそう。道に迷ったら凍死確定」
と思い、少し早めに宿を目指す。さすがに冬至で日暮れが早い。
「え、まじでここですか?」
と怖気付くほど立派なお寺で、どこから声をかけていいかわからず、立ち往生してると、
「あ、○○さんですか?」
と名前を呼ばれて、
「なんでわかるんだ」
と驚く。で、なぜかというと、今日の客が私ともう1組だけだったからだった。
部屋に案内してくれたお坊さん(鹿児島出身だそう)が、
「初雪です」
と言っていたが、ガチで寒い。外ももちろん寒かったが、お寺の中もしんしんと冷えている。平野在住、加えて最近の暖冬ですっかり忘れていたが、あまりに寒いと手足が痛くなる。案内された部屋にはエアコンが轟々と音を立てているが、全然あったかくならない。おこたもあったが、これもぬる〜い。
「部屋があったまるまでお風呂に入ろう」
と、冷たい廊下(ほんとに冷たい!)を早足で風呂場に向かう。大きく開け放たれた玄関から、藍色の空気と、提灯の明かりに照らされた石畳に降る雪が見える。閉めようよ、寒いよ。
結構大きなお風呂が貸切で、でも広いだけに寒いので、焚き口を陣取って強引にあったまる。脱衣所には懐かしい石油ストーブが炊かれている。トイレにもエアコンが入っている。いやもう、ほんとにそれくらいしないとどうにもならないほどに寒い。
夕飯は僧房で作っているのではなく、仕出しのお料理だということは聞いていて、天ぷらも揚げたてではないのはわかってたけど、おそらくは常温で保存されていたであろう椎茸の天ぷらが、歯に染みるほど冷たかったのはちょっとびっくりした。
料理がガイドブックに載っていた精進料理屋さんのセットそのままだったことに後で気づいてちょっと笑う。
十分に美味しかった。いくつかの碗に載せられた柚の皮が、とてもよく香っていた。
雪はどんどん降り積もる。
広いお庭は真っ白で部屋も炬燵も全然あったまらない(布団が薄いんだよー)。
これはもうどうにもならん、と、敷かれた布団の上に炬燵を乗せる。
するとなんということでしょう、一気にホッカホカになり、読んでいた司馬遼太郎の本を手に寝落ち……。
1日目、終了。
昔から国内旅行は好きだったから、今回も別に不安はなくて、しかも高野山はそれほど広い街じゃないし、世界遺産だからいろいろ整備されてるし、見所も固まってるから、
「まあ、なんとかなるだろう」
と、それほど考えずに出かけたが、これが後々、慌てる羽目になる。
要するに私は、自分で思っているほどは旅行に向いてないらしい。
あまりにも地図と時刻表に弱すぎる。そして優柔不断すぎ、細かいことにこだわりがありすぎる。
思い起こせば若い頃の旅行もアクシデント満載ではあった。
今回もしょっぱなからどういう思い込みなのか、ケーブルの高野山駅に着いたら、すぐ山門があるもんだと思っていたのに(なんでそう思っていたのかがわからない。ガイドマップに山門にはバスで行けって書いてあるだろう)、あるのはバスターミナルだけ。
しかもすぐに出発しちゃいそうだったので、慌てて飛び乗る。歩き倒す気満々で、フリー乗車券買わなかったのに。
で、せっかく乗ったので、街の一番奥まで乗って行っちゃえ、と思い、ここでようやく、
「よし、じゃあ、今日は奥の院に行くか」
と行き先を決める。
高野山の見所三大スポットは、奥の院、金剛峯寺、壇上伽藍。
その中でも、奥の院は、空海が入定し、今でも瞑想を続けていると言われる、高野山の一番奥まった場所であり、もっとも
ここで素直に「奥の院口」という、いかにも奥の院に行けそうなバス停で降りればいいのに、
「お昼食べなきゃ」
と思って、奥の院のもう一つの出入口で、街に近い一之橋で降りたら、何もない。
お土産屋さんに聞くと、一つ先の店に食堂が併設されてるからそこに行けという。そこに行ったら団体でいっぱいだから、もう一つ先のバス停まで行けば、お店が数件あるという。
そこは奥の院口だった。初めからここで降りればいいものを。
そこで「停車馬」という名前の、ウッディな喫茶店ぽい店を見つけ、
「停車『場』?」
と、思わず首を傾げながら入ったそのお店のキツネうどんが、
「ああ、まさに今、これが食べたかったんだよ!」
というドンピシャストライクの味で(数日前から胃腸の調子がイマイチで、あんまり食べられなかったのもあって)、あったかくて、青ネギがたっぷり散らしてあり、出汁が関西風で、黄金色でさっぱりと香り高い。
「ああああ、幸せ……」
うどんをすすりながら、いろいろと挫かれた気力をようやく取り戻した。
お客さんは私だけだったんだけど、お店の人が、
「ゆっくりしてってや」
と声をかけてくれて、思わず、
「美味しいぃぃぃ」
と、感動を伝える。
食べ物っていうのはなんか不思議なもので、時々こうやって、お腹以外の何かをふわっと満たしてくれるときがある。
大満足でお店を出て、そこから奥の院へ。
奥の院までの道は、ひたすらお墓が続く。そしていきなり、浄土真宗開祖の親鸞のお墓を見つける。
「んー?なんでここに親鸞さん?」
そしてさらに、浄土宗開祖の法然の墓も見つける。
「んー?なんで法然さん?」
私は真言宗とは何かとご縁のある土地柄に生まれたけど、元々は北陸出身の我が家は浄土真宗。この二つは色々と真逆で面白いと思っていたのだけど、
「お墓は高野山なんだね……」
後から調べたら、墓というよりは墓碑であるらしい。そして高野山は宗派を超えた仏教の聖地として(ベースに山岳信仰もあり)認識されているのだそうだ。なるほど。
この日は夕方から雪が降る予報で、今にも降るぞ、という曇天が杉の古木の合間から覗いていて、なんだか重厚な雰囲気を醸し出していた。テレビなんかでも、
「ここを渡ると、なんだか空気が違いますね」
なんてよくやっていた御廟橋の前で一礼し(お作法だそうだ)、ちょっとドキドキしながら渡ってみたが、空気の違いはあまりわからなかった。まあ、ここは人の気配も多いし、そんなもんだろう、と思って拝殿に入る。読経を聞きつつお参りをし、お守りやお札なんかを見ていると、葉書が積んであった。そこに、
「お大師さまにあなたの胸の内をそっと聞いてもらいませんか」
と書いてある。宛先は、
「高野山奥の院 お大師さま」
これがなんだかツボに入って、じわじわと泣けてきた。
うんうん、聞いてほしいよねえ、助けてほしいよねえ。
私はそういう存在を聖霊とかイエスとか呼んできたけど、お大師さまってもっとなんかこう、生身な暖かさを感じる。これが血肉に受け継がれた文化というもんだろうか。私の理解の中では同じ存在(というか機能)だけど、私がその呼称に応じて違う印象を投影しているというのが面白いと思いながら、じわじわと泣く。
拝殿からの帰り道は、来る時と違うルートを取って、一橋に向かう。
この頃からひらひらと雪が舞い初めた。いい感じ。この景色、ちょっと期待していた。
途中には、戦国武将のビックネームがずらり。
中でも御廟橋に近いところに、織田信長と豊臣秀吉の墓があった。秀吉はともかくとして、信長の墓の前に立って、
「おーい、第六天魔王……」
と、思わず呟く。信長ほどの人が今更、既存の仏教システムを使って成仏しようなんて思ってないと思うけどなあ。誰かにここに葬られちゃったのかなあ。それとも、それ(高野山とか比叡山の焼き討ちね)はそれ、これ(高野山の聖性で成仏!)はこれなのか?
もっとも信長が第六天魔王と自称したのは、武田信玄の手紙に対する、ただの「売り言葉に買い言葉」だったらしい。へえ、そうなんだ。その信玄のお墓は見つけたけど、近くにあるという上杉謙信のお墓は見落とした。
さて、無事に奥の院のお参りを済ませ、まだ時間があるので、金剛峰寺へ行くことに。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/d7/8d4ab3b86a8975af0a39eab935500122.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/03/3f/284b505995d6edfbc4e7e9de7b502be2.jpg)
ここは密教のお寺というよりは禅宗のお寺みたいな感じ。襖絵がすごい。黒光する木の感じとか、別院との間をつなぐ長い廊下とか、ものすごく好み。ただし、耐え難く寒い。
ここについた頃には雪がガンガン降ってきた。みぞれっぽいのか、ざらざらざらざら……と音がする。
蟠竜(地上にトグロを巻いている竜のことだそう)庭という石庭の白石に、さらに雪が白く降り積もる。もう夕方に近いせいか、人もほとんどいなくて、ただただ雪の音だけが鳴り続けて、大変に良い風情。拝観コースの最後に、大きな大きな台所があった。ここに煙が上がり、たくさんの僧が忙しそうに行き交って、大窯をたき、汁を作りする様子が目に見えるようで、表舞台である書院や石庭の静けさとの対照が印象的。二千人分の米が炊ける大窯が大迫力。空中に棚が吊るしてあり、上の板の四方を半紙で囲ってあった。ネズミが入らない工夫だそうだ。
「……ということは、しょっちゅうネズミがいたってことだ」
この棚で、なぜかとても、
「ああ、自然の中で人間が生きるって、大変なことなんだよな」
と思わされる。
今日の宿は本覚院という宿坊。
般若湯が供されないと困るので、事前にビールとハイボールを確保。
「日が暮れると道に迷いそう。道に迷ったら凍死確定」
と思い、少し早めに宿を目指す。さすがに冬至で日暮れが早い。
「え、まじでここですか?」
と怖気付くほど立派なお寺で、どこから声をかけていいかわからず、立ち往生してると、
「あ、○○さんですか?」
と名前を呼ばれて、
「なんでわかるんだ」
と驚く。で、なぜかというと、今日の客が私ともう1組だけだったからだった。
部屋に案内してくれたお坊さん(鹿児島出身だそう)が、
「初雪です」
と言っていたが、ガチで寒い。外ももちろん寒かったが、お寺の中もしんしんと冷えている。平野在住、加えて最近の暖冬ですっかり忘れていたが、あまりに寒いと手足が痛くなる。案内された部屋にはエアコンが轟々と音を立てているが、全然あったかくならない。おこたもあったが、これもぬる〜い。
「部屋があったまるまでお風呂に入ろう」
と、冷たい廊下(ほんとに冷たい!)を早足で風呂場に向かう。大きく開け放たれた玄関から、藍色の空気と、提灯の明かりに照らされた石畳に降る雪が見える。閉めようよ、寒いよ。
結構大きなお風呂が貸切で、でも広いだけに寒いので、焚き口を陣取って強引にあったまる。脱衣所には懐かしい石油ストーブが炊かれている。トイレにもエアコンが入っている。いやもう、ほんとにそれくらいしないとどうにもならないほどに寒い。
夕飯は僧房で作っているのではなく、仕出しのお料理だということは聞いていて、天ぷらも揚げたてではないのはわかってたけど、おそらくは常温で保存されていたであろう椎茸の天ぷらが、歯に染みるほど冷たかったのはちょっとびっくりした。
料理がガイドブックに載っていた精進料理屋さんのセットそのままだったことに後で気づいてちょっと笑う。
十分に美味しかった。いくつかの碗に載せられた柚の皮が、とてもよく香っていた。
雪はどんどん降り積もる。
広いお庭は真っ白で部屋も炬燵も全然あったまらない(布団が薄いんだよー)。
これはもうどうにもならん、と、敷かれた布団の上に炬燵を乗せる。
するとなんということでしょう、一気にホッカホカになり、読んでいた司馬遼太郎の本を手に寝落ち……。
1日目、終了。
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