はな兄の1分で読めるエッセー

ふと脳裏に浮かんだ雑感を気ままに綴った日記

10月10日で・・・

2023-10-10 02:31:35 | 日常生活

思いだしたのは

昭和57年(1982年)の10月10日に

人生で初めて入院した日だった。

この日が

当たり前に手に入るだろうと思い描いていた

日本の中流家庭の

つつましき

『狭いながらも楽しい我が家』的未来予想図が

瓦解し始めた日と言ってもよかった。

 

糖尿病か ※私の糖尿病はⅠ型糖尿病(インスリン欠乏型糖尿病)

嫌だなあ

糖尿病と言えば

今もそうだが

年寄りがかかる病気というイメージだった。

病気にカッコいいも悪いもないかもしれないが

若いうちは

「周囲の医療について疎い人からは

変な目で見られる。あるいは嘲笑されるかもなあ」

などとたいそう気になるものだ。※

ましてや

二十歳にも満たない女の子は

なおいっそうだろう。

 

でもその時の私は

教育入院だった。

入院で規則正しい生活をして

糖尿病についての知識を栄養士にレクチャーされ

今後の食生活のメニューを

ノートに書いては提出してチェックを受けたりした。

治療と言えば

ダオニールという薬を1日1錠のむだけ。

 

なのに

あ~あガッカリ

と毎日暗い表情でうなだれていた。

入院って

体験した人でなければわからないです。

入院未体験の人が入院してる会社の同僚を見舞うときに

「まあこれも神様が休めというサインなんだから

上げ膳据え膳の

民宿にでも泊まるってるつもりで気楽にやりたまえ」

かんらかんらと笑いながら励ましていた人が

その後

その見舞いの同僚とやらも入院することになったとき

愕然とした姿だったものねえ。

違うんだよな

風景が。

入院してる側と見舞いしてる側では

今まで見てきた同じ病院なのに

待合室も入院室も

全く違って見える。

同じ風景ではない。

全然違うんです。

 

ちょっと似た話だけど

助産婦さんとか看護師さんは

痛がる妊産婦に対して

「しっかりして。大丈夫よ。頑張って」

などと励ましたりするが

いざ、助産婦および看護師さん自身が

痛がる妊婦になったときはどうかというと

普通の人より大きな声で泣き叫び

大騒ぎする妊婦になることが多々あるというのである。

この例でも立場によって変わるということを如実に物語っている。

 

でもその落ち込む私が幸運だったのは

同室の患者が面白い人たちで

雑談してるうちに病気を忘れてしまうこと。

4人部屋で

私の向かいは、会社員のワキノさんっていってたかな。(当時31才)

B型肝炎らしく

高カロリーの食事をしていた。

「糖尿病と逆だよね」と述べ笑う。

カロリー制限も大変だが

毎日バターたっぷりのトーストで

カロリーを無理やり摂取するのも辛いだろうな。

今ふと気づいたんだが...

糖尿病でカロリー制限してる人が

B型肝炎になったらどうするんだろ。

あっちがたてばこっちがたたず

グリコのようにお手上げポーズするしかないんだろうか。

 

私は窓際のベッドだったが隣りの廊下側に

アライさんがいた。

この人は香具師で

いつもどこそこでお祭りがあるという情報を把握していた。

競馬好きで競馬の見方も教えてくれたし

『男はつらいよ』の寅さんのような口上も披露してくれた。

斜め向かいは

『ナールデン』というオランダの香料会社のMさんである。

英語が得意で

本当の話かどうか定かではないが

ウンチクがスゴイ。

「ホラ。この部屋から眺めると

アソコに死体の焼き場があるでしょ」

それは事実で

横浜市立大学附属病院の高い階からは

遠くに遺体の焼却場が見えた。

「あの焼き場の職員って役得でね

死体を焼いた後に残る金歯なんて

職員同士で山分け。

けっこうな臨時ボーナスですよ」

なあんて、うそぶいていた。

 

私の担当は

佐々木先生だった。

足を引きずっていた。

後に外来で来た際、いろんな先生を眺めてみると

足を引きずってる医師が多い。

そういえば近くに

大きな子ども専門病院がある。

あーそうか

子どもの時にこの子ども専門病院に長期入院していて

医師や看護師さんのあたたかい看護を受け感銘して

「退院したら医学の道を志すぞ。将来は医者を目指すっきゃないべ」

と心に強く誓った子が20年後30年後に

この横浜市立大学医学部付属病院に勤務したのに相違ないと

推測した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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