はな兄の1分で読めるエッセー

ふと脳裏に浮かんだ雑感を気ままに綴った日記

駐在所

2025-02-01 01:19:13 | 伊豆大島

兵庫県の駐在所で巡査部長たちが

「ミニパトカーのライトを利用しての

バーベキュー大会で2人が懲戒免職」のニュースが流れた。

 

駐在所といえば

私たち家族は1966年

伊豆大島の差木地という字(あざ)の

駐在所に住んでいた。

元町の港から

くねくねした上り坂を行き

やっとこさ坂を上りきったところ

木々が生い茂り、とりわけ駐在所の大きな木には

リスたちがいつも運動会を開催していた。

目の前には差木地小学校。

父は毎日のように小学校の教師と剣道に明け暮れていた。

私は、小学校のお兄さんお姉さんたちと遊んだ。

唯一の遊び道具の一台のリヤカーで

時にはボブスレー

時にはジェットコースター

時には空き地で採取したアシタバや磯でとれたカメの手を入れて

近所に売って歩く道具としてフル回転だった。

 

前述の上り坂の途中には

まずパン屋があって

最初に30円のコッペパンを買う

ピーナッツクリームやイチゴジャムは別売りで10円払うと

おばさんが市販の上記のジャムを自宅の冷蔵庫から

おもむろに取り出してきて目の前で塗ってくれる。

気に入られている子供はべったり塗ってくれた。

さらによっこらせと歩いてゆくと

小さなガソリンスタンドがあった。

ところが自家用車に乗ってる人があまりいないせいか

遠くから見たらカツラのようにみえるんだけど

テングサ(ところてんの材料)の束のようなものが

ガソリンスタンドの敷地いっぱいに

敷き詰められ干されていた。

 

差木地に住む男の子は

中学卒業時

断崖から海へダイビングしなければならない儀式があった。

何年か前、死亡者が出てその儀式は廃止されたらしい。

 

その後、映画『リング』で差木地が出てきて

思わず身を乗り出して観た。

サダコの故郷だったのか。

へぇ。

 

 

 

 

 

 


大島の想い出

2024-07-25 03:43:12 | 伊豆大島

式根島へ行く途中のフェリーが故障して航行不能になり

他の船に曳航されている光景を映し出していた。

フェリーがつんのめり気味になりながら引かれている。

さぞや乗客は船酔いで苦しいんだろうな。

 

私は5歳から8歳までの3年間

伊豆大島に住んでいた。

その間1回だけ小学2年の時

東京都心に行くときがあり

定期船の2等客席で1時間30分揺られて熱海に着き

そこから湘南電車で都心へと。

フジテレビの鈴木ヤスシと渡辺直子司会の

人気番組に

伊豆大島初の視聴者参加番組の出演者として出場したのである。

帰りはスポンサーの菓子メーカーのチョコレートを

持ちきれないほど抱え

家族で賞金の5千円でどっかのちゃんこ鍋屋で打ち上げ。

翌日は

元町小学校でスターになっちゃったよな。

思えばあの頃が私のモテ期だったかも。

 

あと

そのすぐ後ごろ『かとれあ丸』(初代)という

画期的な定期船が建造された。

就航前の進水式に元町小学校の児童1年生と2年生が招待され乗船して

大島をぐるりと一周巡った。

甲板に立つと

頬を撫でる風が気持ち良かったねえ。

 

その『かとれあ丸』は1989年に引退したという。

時間は流れてるんだなあ。

 

(伊豆大島の)民宿の『かわしま』

私の父の元町警察の同僚が警察を辞めて

ガソリンスタンドとか民宿とかやり始めて

その一つだったけど

昔『かわしま』に電話したら

おかみさんらしき女性が出て

私が「宿泊できますか」と言い切る前に

悲痛な声で『もう辞めました』ガチャッと切られてしまった。。

 

とっくの昔に廃業したみたいだね。

 

民宿の『つつじ荘』

もないだろうな。

ワタシら家族は保谷市から来たばかりで大島の住居が決まるまで

ここに住んでいたのだ。

近所の私と同世代の5歳ぐらいの男の子、女の子6人ぐらいで

海の近くの雑木林で遊んでいた。

その中の女の子の

「ギャ~!」

という叫び声が。

急いで駆けつける。

道から踏み外したらしい。

ブッシュの中に転がり吸い込まれてゆく数秒

彼女のこわばった表情の目と

私の目がバッチリ合った。

今でもあの時の彼女の表情は

私のトラウマになっている。

 

 

「たいへんだ。たいへんだ」

私たちは近所に住む彼女の父親のもとへ駆けつけた。

 

彼女はブッシュを飛び出し

白い石の岩壁をつたって落下した。

 

そのあとの私の記憶は

布団で苦しげな顔で

「う~ん。う~ん」とうなされている彼女と

傍らで険しい表情をしている彼女の父だけだ。

「だいじょうぶ?」

私は彼らに声をかけたが「父」は黙ったままで

コチラをぎろりと睨んだ。

その睨みは、なにか

「おまえらのうちの誰かが今回の事故に加担したんじゃないだろな」

という疑心暗鬼の気持ちを表しているように感じた。

いたたまれぬ思いになり

その場から逃げ去った思い出がある。

 

あの時の崖下に転がり落ちた彼女

今頃どうしてるかなあ。

63歳か64歳ぐらいだと思うけど...

達者でいてほしい。

 

昭和43年4月、伊豆大島町立元町小学校に入学して

一番最初に私の隣りの席になったのが

『かながわ・まるみ』さん。

キャロライン洋子に似た美少女だったけど、どうしてるかな。

『なち・ひろよ』さんもステキだったな。

『あいざわ・ようこ』さんにはタヌキの貯金箱を貰った。

担任の先生は、沢田小夜子先生。

甘酸っぱい想い出があって。

遠足の途中で私の気分が悪くなったさ

その間ずっと先生の背中におんぶしてもらってたんだよね。

その時さ私は2年生だから、歩いている1年生たちの横を過ぎる時に

「キミたちのお兄ちゃんだけど

(おんぶされてるからといって)笑わないでね。具合が悪いの。キミもそういう時あるでしょ」

と、さかんに私のプライドに配慮した一言を振りまいていた記憶が鮮明だ。

思えばあの時の先生の背中が

初恋と言えるかもしれない。

 

先生は埼玉の狭山市で天寿を全うしたらしい。