はな兄の1分で読めるエッセー

ふと脳裏に浮かんだ雑感を気ままに綴った日記

入院の話の続きで恐縮ですが

2022-01-27 17:11:05 | 入院

病院というのは

不思議で。

入院している家族や友人の

お見舞いで来た時と

その人がその後、たまたまその病院に入院することになったとして

患者の一人として

その病院内を見るときと

景色が

全く違って見えてしまう。

もちろん

外見は

待合室も病室もトイレも売店も

看護師さんの顔ぶれも

見舞いに訪れた時と変わらないのに

患者になって

寝間着姿になるや

なんだか

全てのひとつひとつの風景が

岡本太郎の『座ることを拒否するイス』のように

こちらに

プレッシャーをかけてくるような嫌なものに見えてくる。

 

 

夜中。

静まりかえっている。

空気が冷たい。

 

 

トイレに行くと

個室から

プォ~ン!

という屁の音が響き渡る。

「ああなぜ、俺はここにいるんだろう。なぜ夜中に

他人の屁の音を聞かなきゃならないんだろう」

空しい気持ちになる。

同年代の人々は

合コンだの飲み会だのコンパだのと

楽しくやってるだろうに。

 

中古のビーカーを股間に当て

おしっこをする。

情けない。

採取した尿は

トイレの中にある分析装置みたいな器械に

ジョボジョボと流しいれる。

トイレのスリッパのペタペタ響く音も

哀感を演出する。

 

 

 

「早く退院したい」

 

それ以外のことは考えられなくなる。

時代からも取り残されているような気さえしてくる。

 

 

 


透析直前入院日記

2022-01-10 09:26:57 | 入院

筑波大学付属病院にも何度も入院したが

あまりいい思い出は持っていない。

入院が楽しくなるかどうかは

ひとえに

同居する患者とウマが合うかどうかで

私の場合恵まれなかった。

看護師を自分専用のメイドと勘違いしているやつとか

病院食はまずいと

コンビニでスナック菓子を山のように買ってるやつ。

意外と苦手だったのが

自分は若い患者を励まし応援し鼓舞して

いいことをしていると思い込んでいるオヤジ患者で

そのオヤジは

私がもうすぐ透析をスタートとしなければならないと

昨日、担当医に告げられたその日も

廊下で微笑みながら近寄ってきて

私の肩をバンバン叩き

「なぁに憂鬱な顔してんの。笑顔、笑顔、笑顔が大切だよ」

通りがかった看護師は

アイコンタクトで「ごめんね。許してやってネ」という合図を

おくってくる。

昨日、まの悪いことに

みのもんたの番組は

「笑顔を作るとガンの免疫力が上がる」という特集をやったせいで

笑顔&ポジティブシンキング至上主義を

我々に強要するオヤジの鼻息を

さらに盛んにする結果を生んでしまった。

まったくこういう受け売りは田舎のおばさん、おじさんに多いのだが

その典型だ。

マスコミやメディアの述べることに対して

いったん眉に唾して

冷静に考えるとか疑うという行程を経ない人々である。

 

病院の屋上から

牛久の巨大観音像を眺めながら

一人の、おそらく若いであろう女性患者に愚痴をこぼした。

首から上が全面包帯をぐるぐるに巻かれている。

目の所だけ、穴が開いている。

すごい格好だが

だが暗い雰囲気はしない。

「よくさ、ため息を一つこぼすと

一つ幸せが逃げてゆきますよ」

みたいなことを

年寄りは人生訓と称して言うわけ。

でもさ。

ぶっちゃけ、ため息の一つ

愚痴の一つもこぼしたくなる時があるでしょ。

包帯少女はうんうん頷きながら笑った・・・いや笑ったと感じた。

「愚痴をこぼすって、そんなに悪いことかな。

自分の心がストレスで充満している。と、そんなときに

自己の防御反応で

愚痴をこぼすことによって

ガス抜き

というのも変な表現かもしれないけど

爆発しそうな気持を自らなだめてゆく。

とても自然な行動だと思うんだよね。

それがあのオヤジ

「笑顔、笑顔、キミは知らないのか、笑う門には福来る」って

うるせえんだよ」

と、包帯少女が答えてくれた。

「すぐオヤジって自分の主張を正当化するために故事ことわざを引用するよね」

 

数日後

オヤジによる「笑顔強要」はパッタリなくなった。

それどころか

私から避ける&逃げるようになったのだ。

私が透析を始めることを知ったらしい。

どうもそもそもオヤジは私がそんな重病な患者とは

思ってなかったようだ。

バ~カ。

 

透析を始める直前は

62キロの体重で

水ぶくれである。

透析前

私は最後の担々麺と称して

見舞い患者用の食堂の

名物『担々麺』を食べた。

これはけっして

おおげさではない。

ひとくちすすったとき

「(水泳の岩崎恭子みたいな声で)わたしが今まで生きてた中で一番

美味しい」

と叫んでしまったぐらいである。

ラーメンマニアが交通費をかけて

食べに来ても、損はしないと思う。

 

翌日人生初めての透析を終えると

体重が52キロになっていた。

 

また。

そのときの入院ではもう一つ

記しておきたいというか

気になったことがあって

真夜中

気分転換と運動不足解消を兼ねて

病院内の廊下を散歩していたのだが

暗い廊下の向こうから

ガシャンピー、ガシャンピー

なにかロボットが歩いてるような足音が聞こえてくるのです。

遅くまで勤務する臨床検査技師のなかに

カラダに器械をつけて生きている方がいられたんだろか。

私は怖くなって、すぐさま自分の部屋に引き返した。

当時の筑波大学病院関係者で

「あ~彼のことね」と

解ってる人がいると思うが

興味本位で申し訳ないが教えてほしい。